* 仏の説いた法は、存在しない

『金剛般若経』で「仏の説かれた法は、存在しない」と説かれている事は、以前にも繰り返し述べた。
我々が生きていること自体が、それぞれの人間にとって、この上もなく尊いことであり、これを「仏」の名のもとに制限したり、否定したりすることは、あってはならないことである。
どんな人でも本質的に「仏」でないものはない。「あなたも仏、わたしも仏」である。
だとすれば、自分が特別な仏だ、と言うこともできないし、そもそも、仏とは何か?ということを定義したり持ち出したりすること自体が、誤りである、ということになるのではないだろうか?
仮にあなたの実存を否定してくる宗教があったら、そういう集団とは関わらない方が良い。
そういう宗教は暴力によって、あなたの個人的存在を否定し、他人である「仏の化身」なる存在に、一生奉仕させられることになるだろう。
あなたを否定するのは、その集団にとって「個性」が不要であるからだ。全体に奉仕する忠実な「駒」が必要なだけである。
あなたは本質的に、そんなものに奉仕するほど、無価値な存在ではない。


* 神通力

大乗仏教の経典には、空を説く『般若経』と、空の現象的展開を説く『法華経』『華厳経』等の2系列の経典がある、と私は考えている。
般若経系の経典は、言葉を否定し、仏陀の境地を超越的なものであり、いかなる感覚や思惟によっても到達できない、と言う。
それに対し、法華経系の経典は、仏陀に対する信や何らかの現実的手段により、仏陀の境地に到達しうることを説く。ただし、即座に到達できるのではなく、3カルパ100コーティという、ほぼ無限にちかい長い時間の菩薩行が必要であるとする。
しかし、初期密教の経典である『大日経』になると、これらの時間は理念的なものであり、ある秘法を修行すれば、すぐに仏陀になれる、と説くようになる。
密教は大乗仏教の発展形態であり、大乗仏教の理論からすれば、結局は密教の見解に至るだろう、と思われる。
インドではこの密教の見解が最高とされ、チベット仏教もこの見解を忠実に受け継ぐ。
しかし、中国の仏教は「われわれは本来成仏しているのに、それに気が付かないだけだ」という見解を生み出す。
密教よりさらに一歩を進めた見解である。
その代表的なものが「禅」と「浄土」であることはよく知られている。
禅は私たちが生きていることそのものが神通力であり、歩いたり走ったり、寝たり起きたりなどの日常の生活がすべて仏の働きである、と断言する。
それ以外の経典に説かれているような、いわゆる「超人的な」力、超越論的な理論をまったく否定する。
日常の当たり前の生活そのものが、この上なく尊いものである、と自覚することが仏教の体験である。
だが、修行を否定しているわけではない。修行によって、「超越的な力」に頼ったり依存したりすることを、徹底的に否定する。
いっぽうの「浄土」では、過去に衆生を救うことを誓った法蔵菩薩が、阿弥陀仏になったのだから、救いはすでに実現されており、ただ一向に「南無阿弥陀仏」を唱えるだけで、どんな罪深い人間でも救済される、と説く。
今まで、無限の長い時間の仏道修行が必要であった仏教における救済が、より直接的に説かれることとなったのである。
この功罪は多くあるだろう。しかし、「すべての存在が尊い」と説いた点は、初期大乗仏教の目指した地点と一致しているように思われる。
インドで後世あまりにも専門的かつ難解になっていった大乗仏教が、中国においてはその初期の精神に立ち戻り、あらたな展開をした、とも言えるかもしれない。これらは、インドにはない考え方であり、中国や韓国や日本の仏教の一番根底にある考え方である、と私は信じている。


* 大乗仏教の目指したところ

大乗仏教が目指したのは、それまでの仏教(大乗仏教が「小乗」とか「劣った乗り物」などど言い、低く評価する)が目指す阿羅漢ではなく、仏陀に成ることである。それは経典や論書の中に書かれており、仏教史的には常識とされている。
阿羅漢は煩悩を完全に吹き消した存在である。しかしながらそれは、仏陀の別名であることも、経典中の記述によって知られる。
つまり、大乗仏教の初期の時代においては、阿羅漢になる、ということと、仏陀になるということの定義が、実にあいまいなのである。
大乗仏教では、この「区別」を明確にした。簡単に言えば、仏陀を阿羅漢のはるか格上の存在として、明確に定義した。これはいったいどういうことであったのだろうか?
初期大乗仏教において、無数の過去仏、現在仏、未来仏が想定され、それらの名を記した『仏名経』が著されたことは、これらの文献が発見されることから推測される。これは、仏陀を「現実の人間」ではなく、「理」すなわち世界の法則そのものとして考えていたことを示す。これは、現実の人間たる小乗の「阿羅漢」と称される現実の「仏陀」の体現者たちが、「仏陀」足りえないと考えていたから、大乗仏教はこのような存在を無数に想定したのだと、私は思っている。
小乗の「阿羅漢」は、たしかに仏陀の教えを体得した稀有な存在で、人間としては最高の境地に至った聖人であったにちがいない。しかし、彼らが現実に苦悩する一般の大衆を救済することはできなかった。彼らはあくまでも「人間」であったから。「人間」が人間を救済することはできない。それはまだ不完全な存在なのだ。
「人間」である、ということは煩悩を残している、ということである。さらにその煩悩の痕跡すら払拭した存在を、真の仏陀というのであり、そのような存在でなければ、大衆を救済できない、と考えたのであろう。
その結果、仏陀は人間ではなく、縁起の法や空の理そのものと見做されるようになり、形を持った存在ではなくなったのである。形を持った歴史上の仏陀は「変化身」であり、人間の「欲求」に合わせて、生死を「示して見せた」存在にすぎない、と考えたのである。
仏陀そのものである「法身」は、逆に形を持たないのであるから、場所や時間の制約なく、常に存在すると考えられた。
私はこのような初期大乗仏教の思想に、現実の人間に対する深い「嘆き」や「絶望」が感じられてならない。
小乗と称されるそれまでの仏教によっては、大衆は救われなかったのではないだろうか?
つまり、形式や文字を忠実に実践することによって、人は仏陀の境地に至れないことを、大乗仏教の人々は直感したのであった。
同時にそれらの境地に至るには、煩悩を備えたまま、ほとんど無限ともいえる長期間の修行が必要であることも、それにひるんではならないことも、仏教の世界に限定されない広いこの世界の道理を知らなければならない事も、自覚したのである。
そして、煩悩を備えたまま、まじめに仏陀の境地に向かって修行する人を「菩薩」と名付けたのではないだろうか?


* 『摂大乗論』の「大乗」

『摂大乗論』は後半、6章から10章ぐらいまでの間に、大乗仏教に特異的な「戒、定、慧」すなわち三学と言われる実践論、その結果としての成仏と自性身、受用身、変化身の三身を説く。
この論はそれまで実践の基盤となる「アーラヤ識」と「三性」と、それによって「認識の転回(転依)」の理論的な部分を説いてきて、この後半に至って大乗仏教の一番深い部分を説き始める。
大乗仏教にとって、肉身として、あるいは文字として現れる「ブッダ」は「変化身」と言われる。
一般に歴史上のブッダとして考えられるのが、この「変化身」としてのブッダである。
これに対し、「受用身」はブッダの説法そのもの(ただし、大乗の教えを説くブッダの説法)、「自性身」はこの世の法則そのもの(なので「法身」とも言われる)である。これは大乗仏教独自の「ブッダに対する見方」(仏身観)である。大乗仏教徒は、当然この三身を備えた仏陀となることを目指して、気の遠くなるような長い間、修行を続けなければならない。
これに関して『摂大乗論』は3章に以下のような印象深い3頌を述べる。

①人として生まれているほどのものは、各刹那ごとに、しかも無量にあるそのような衆生が、さとりに達するのであるから、それ故(汝もまた)ひるむ心があってはならない。

②心浄らかなるものの布施等(の完成行)を行おうとする意欲、その意欲を勝れた人々(菩薩たち)はすでに獲得して布施等を行うのである。

③善を身に着けた者は、死するや否や願いのままに円満な自体を得る。善を身に着け、しかもすでに(障碍を)断じている者が、直ちにそのような円満を得ないことが、どうしてあろうか。

このように信じて、いかなる長い間の修行であろうとも、ひるむことなく、無数の生涯を繰り返すことが大乗仏教である。
大乗とは、世間を救済するために、仏陀そのものになろうと誓って行われる行である。
この生涯で成仏できなくとも、また再び生まれ変わって、成仏の資糧である徳を積むのである。

* 『摂大乗論』精読

地球温暖化の影響か、暑くて屋外活動はできないので、読書をすることが多い。
昔読んだ本で、最も影響を受けた『摂大乗論(しょうだいじょうろん)』(長尾雅人先生の2巻本)を改めて読み直してみる。
私はこの本を読んだことによって、仏教学の道を志した。
『摂大乗論』は無著(Asaṅga)の著作と言われている唯識論書である。この論書にはチベット語訳、漢訳は存在するが、サンスクリット原典は残っていない。
ベルギーのキリスト教司祭であり、仏教学者でもあったÉtienne Lamotte司祭によるフランス語訳がある。
長尾先生のこの著作は、『摂大乗論』の読書会の内容をまとめたものであり、詳細な解説、詳しい注が付いている。前書きにもあるように、普通に一般人が読む場合、注は読まなくても読めるようになっている。しかし、この書の一番の価値は、その詳細な注にこそある。
今まであまりこの「注」の部分を読むことはなかったが、今改めて読んでみると、その精緻な記述に驚かされる。まさに文献学の方法論のお手本である。

西洋的「文献学」は、まず「原典の元の姿はどうであったか」を想定する。もちろん、それには複数の系統が存在するであろう。
そのうえで「ありうる」原語を想定し、それに基づいて翻訳を考えるのである。
もちろん、その原語がオリジナルであるか、どうかはわからない。
あくまでも「想定」である。
これは「伝承されているテキストを基にして読む」というものではなく、文献学的に合理的なテキストを想定して読む、ということになる。
ヨーロッパにおいて発展した聖書の「原典批判」の方法論を仏教原典にも適用したものであり、普通、これが一般的に日本の大学で行われてきた「仏教学」と言われる学問の内容である。
長尾先生は『摂大乗論』を読むにあたって、現在まで伝承されている世親と無性による「注釈」も、漢訳、チベット語訳両者について参照し、本文解釈に大いに活用する。また『秘儀釈』という、チベット語にのみ伝わる注釈も参照する。これは中国仏教の影響を受けているらしい。敦煌で栄えた法成(chos grub)系の学問は、当時チベットで盛んに学習されていたと思われる。敦煌に入った中国の摂論学派、また、それから大きな影響を受けた禅学などにおける『摂大乗論』の解釈もチベット語に訳されていたのかもしれない。『秘儀釈』がこれに該当するのか、明らかではないけれども、いずれにせよ、それらの流れが、後に「ニンマ(古派)」といわれる流れをチベットにおいて作っていくことになる。法成は漢訳の経典をチベット語に翻訳した人でもある。
さらに、長尾先生の訳された『摂大乗論』は、引用される経典、参照される論書の中から原文のサンスクリット原典を抽出する作業も行っている。
結果として、『摂大乗論』の前半部分をサンスクリット原典に還元するという困難な作業も試みられ、巻末に掲載されている。
西洋的「批判的原典解明」の手法がすべて使用されており、この本を精読すれば、仏教学と言われる学問の方法論はだいたいなぞりうるであろう。

現在となっては、このような「原典批判」的方法論よりも、チベットで伝承されている原典の読み方に従う方法論の方が多く採用され、その方が妥当である、と認識されていると思う。
しかしながら、唯識学の伝統は、チベットにおいては主流ではなく、後代の仏教論理学の中に含まれる形で「批判される対象として」伝えられているにすぎない。それは決して「唯識学」のもともとの形ではないのである。
インドでは唯識学の伝統が途絶えており、チベットでもその伝承が不完全である場合、このような「西洋的」批判的原典研究にも意味がないわけではないように思う。
なぜならそれは、後世あまりチベットでは評価されなかった「唯識学」を、インドにさかのぼって改めて考えてみる機会を提供する、と思うからである。
『中観荘厳論』に注釈を著したミパムも、現在のチベットで主流をなす中観帰謬論証派と、批判されているとされる唯識学は究極において述べていることが一致している、と言う。
両者の間に主張の違いがあるのは、解説する方法の違いがあるに過ぎない、と言っている。解説対象の「仏教の究極の真理」は、同じである。つまり、ロジック(説明方式という意味での)違いがあるだけである。
そして、まさにそのことをまとめて中観・唯識の見解を統一したのが『中観荘厳論』である、と言う。 ゆえに中観の見解だけが重視されるのは間違っており、唯識の学問も同じ比重だという。

その意味で『摂大乗論』を改めて読んでみる事には意味がある。チベット仏教の不幸な歴史を考えてみれば、唯識学が誤解されやすく、批判された理由はわからなくもないが、それは「唯識」が本当は何を意味しているのかを正確に理解することで、本当に理解することができる。
「唯識」が仮の表現であることは間違いない。それを超えたものを示しているのが、原典に書かれている「唯識」の意味である。それは中観派が説明する空の説明と、全く矛盾することがないのである。

* 変わる世界

明らかに、世界は一瞬もとどまっておらず、変化している。2500年前も、1億年前も、そうであったし、今後もそうだ。
条件は常に変わるので、同じ状態で居られる存在はまったく無い。「永遠」という状態が「名前だけの」「概念上の」仮設でしかないことをずっと指摘してきたのが、仏教に他ならない。
昨日真実とされてきたことが、今日は真実でない。昨日友達だ、と思っていた人も、今日は敵である。川の流れは昨日の流れとは全く違うのである。
このようなことを、当たり前のこととして知ってはいても、それを理解し、はっきりと認識することは、至難の業である。
なぜか?
それは私たちが高度に組織され、体系化された概念の世界に住んでいるからである。
それらの「概念」とか「文字」とかが根底から否定されるならば、その時本当の世界の現実を見るのだろう。
しかし、それが否定されうる、概念というものが根拠を持たず、実体のないものであるということを示すためには、「概念」が必要である、という矛盾した現実がある。この問題に、仏教はずっと取り組んできたのだと、私は感じている。
概念というのは、「文字」だけでなく「映像」「話し言葉」「音声」もすべて含む。人間が何かを「表現」することが、「言語活動」である。
大乗仏教中観派の学匠たちは、それを「世俗」という言葉で言い表す。
世俗は「変わる世界」に他ならない。それは同時に「真実」である。それ以外の場所に、絶対永遠不変の真実の実体は、決してあり得ない。しがみつける余地は微塵ほども無いのだけれども、世俗を救う「中州」として、「言語活動」が仮に示されるだけである。

* 悪

この世の中に「悪」が尽きることはない。しかし、この「悪」とは何か?
一般に「悪」とは、人間社会にとって害悪をもたらすことであり、他の存在を傷つけたり、消滅させたりすることを為すことであり、社会が、国家が非難し、法律によって罰を加えるべき行為の事である。
仏教ではこれに加えて、僧団のルールとしての「律」を守ることが要求される。
ルールを守ることは、仏教にとって一番大切な要素である、と伝統的に決められてきた。
仏教では、表面的だけでなく、内面的な心の行いにまで、細かく「悪」を定義する(『倶舎論』で説かれる108の煩悩が有名だ)。

しかしながらこれらの「悪」は、人間の根源的な欲望であり、これを「ない」と否定することはできない。
これを社会の為になることに活用するならば「善」である。
したがって、本当の「悪」とは、「反社会的な行動、精神」だということになる。
なぜ、人間は反社会的行動をとるのか、ということを突き詰めて考えてみると、そこにも単純でない、複雑な要因があることがわかる。
他人にそそのかされた、自分の不幸な環境を呪うこと、自らの性格によるもの、など、様々な要因が絡まり、単純に「悪」はなぜ起こってくるのかを説明することは、不可能ではないだろうか?
つまり、「悪」もやはり「条件」によって起こってくる現象であり、「縁起」している。
大乗仏教では「善」「悪」の2分法で世界を見ない。
「善」も「悪」も、縁起している以上、実体のないもの「空」であるからだ。
「空」であるからこそ、そこに因果律がある。「善」や「悪」はあくまでも結果であり、そうなっているのが表れているだけの事であり、本質ではない。
「悪」を為せば、悪い結果が生じて、本人が苦しむだけである。自らの「悪」に気が付かず、その行いから離れられないならば、因果律によって悪い結果をもたらすだけである。
仏教は、それらの「悪」が法に背くことである、と知っているから、「悪」を離れることを説く。
法に背いても、すぐには結果は現れない。しかしその影響が後々まで残り、いつか必ず、結果としてあらわれてくるのである。
だから釈迦牟尼仏は「もろもろの悪は為すことなかれ。もろもろの善を行いなさい。自らその心を清めよ。それが諸仏の教えである」と説いたのである。

* 仏教史について(2)

「ここで注意せねばならないことは、歴史 を語る物語行為は、単に過去の事実を『記 述』ないしは『描写』するものではない、 ということである。孤立した事実を描写す る記述文は『年代記』となりえても、『歴史』 を物語る用はなさない。歴史叙述は一定の 視点からする過去の全体的な組織化であ る」(野家啓一『物語の哲学』岩波現代文庫、 2005 年、p.174)

私は「歴史」が嫌いである。いわゆる「歴史」というものは、日本であれ、中国であれ、ギリシャであれ、時の権力者や王家によって、自らの正統性を証明するために、事実を歪曲して書かれていたり、そもそも「事実でないこと」を付加してある「物語」である、と思っているからだ。
歴史がしっかりとある国は、概してその「権威」を強調し、それによって政治体制も強力である。「歴史」とはそのようなものではないだろうか?
一方の、インドは「歴史のない国」と言われるほど、編年体の歴史書が無い国であるが、実際には「神話」と一体化した歴史書が多くみられる。
要するにインド人は「歴史」を「神話」として解釈していた、ということであろう。
とても優れた見識だと思う。
「歴史」というのは、権威付けの一種なのだと思うのだが、それを「神話」として伝承しているのは、南アメリカの先住民族や、アフリカの先住民族にもみられる。
内容は荒唐無稽であるが、それらを読み解くことによって、過去の事実を概念的に得ることが出来る。
「神話コード」は、一種の伝承形式であり、神話の中に埋め込まれている過去の民族の経験を、伝承した人間が語ることで、コミュニティーを存続させてきたのだ。
歴史を理解できるのは、シャーマンであったり、地域の「長(おさ)」であったりするわけで、それ以外の人間はそれらの人々の語ることを聞いて、なんとなく理解する程度だ。アマゾンの先住民族などでは、それらの「語り」を生活の一部として(あまり重要なことではないように)、理解している様子がうかがえる。
私が思うに、「歴史」とは本来そのようなものであり、それほど真剣に受け止めるものではない。

* 仏教学は、本当に仏教に関係があるのか?

私が大学でやってきた、いわゆる「仏教学」というのは、だいたい以下のような学問だった。
まず、偉大な先人の書いた仏教の歴史書、当時は平川彰先生の『インド仏教史』を読むことから始まる。
仏教の詳しい歴史など、高校では教えてくれない。
そして「漢訳」経典を読み、書き下しを作り、教授に訂正してもらって、単位をもらう。
本格的に大乗仏教を学ぶ場合は、サンスクリット、チベット語、パーリ語を学習する。
また、テーマに沿ったレポートを書く。
そして自分のテーマを持ち、卒業論文を書く。
これで飽き足らない場合は、大学院に進み、さらに語学力を付ける。
しかし、だいたいが、サンスクリットの難解さに阻まれて、先に進むのがつらくなる。そして、英語のほかにドイツ語、フランス語、インドの方言など、やたら学ぶべき言語が増えていくあたりで、目標が分からなくなってくる。
中にはインドやヨーロッパに留学する人たちも出てくる様になる。
そして世界の広さを知ると、実は、仏教は文献も儀礼も詳しく調べつくされていて、ほとんど未開拓の領域は残っていないことを知り「手詰まり」になってしまう。
知らないうちに、五種類ほどの言語を学習する言語の専門家になっている。
また、それだけの言語を完璧に理解できる人間は、ごくまれで、ほとんどはそこまで学習できない。
言語を理解できる能力が、天賦の才能であることを、思い知らされるようになり、たいていはそこであきらめてしまうだろう。

そこで、「これは本当に仏教を学ぶことであったのだろうか?」と振り返ってみると、言語に詳しくなっただけの自分を見出すことになる。
私が思うに、この「仏教学」というのは、ほとんど仏教に関係が無い。
いくら文字に詳しくなったからと言って、仏教が理解できるわけではないのだ。
だから、本当に仏教の道を追及しようと思う人は「仏教学」を勉強しなくてもいいような気がする。
仏教と「仏教学」は、根本的な所で、何かが違っている、と言わざるをえない。

* 大乗仏教は悪魔の説いたものか?仏説ではないのか?

大乗仏教が現れた時、それまであった仏教の側から、かなり激しい反発があったことは想像できる。
既存の仏教や、ことばや形に依存する仏教徒は、大乗仏教を「仏説でない」「悪魔の教え」である、として、一斉に排撃したことであろう。
それまでの仏教が「仏説」として頑なに守ってきた伝統的な経典を否定し、本当の仏教は「ことば」「かたち」ではない、と主張したのである。
豪華な仏塔を建設し、大仏を作り、「ブッダ」が直接説いた経典を研究して、膨大な「アビダルマ」を論述する。。。それが「大乗」以外の既存の仏教の教化方法であった。
それらに対してすべて「ノー」を突き付けたのが、初期の大乗仏教であった。
なぜ、大乗仏教はそんなことをしたのか?
これは、現在の仏教にも突き付けられている問題である。あまりにも高度になりすぎて、もはや一般の信徒たちが近づけないほど複雑な教え、大学の奥深くに秘蔵されて、一般の人の目に触れないようになっている教え、莫大な寄付を投入して作られた巨大な建造物、豪華で巨大な仏像など、現在の仏教も、2000年前のアフガニスタンで行われていた仏教と、大きな違いはない。そしてブッダの直説であるという「経典」を金科玉条のものとして、それらを墨守する。それと異なったものは認めず、排除しようとする。あらゆる「権威」を否定した歴史上のブッダ・シャーキャームニを、神格化してあがめたのであろう。その結果仏教は政治に都合の良いように利用された。
それらは「ことば」や「かたち」、そして人間の欲望にとらわれた仏教のありかたであった。そのような「ブッダ」は、本来の姿からは遠く離れた虚像になってしまった(実は、後期の大乗仏教も結局は部派仏教が辿った同じ道を進んでしまうのではあるが)。
それらに、素直な疑問をぶつけたのが、初期の大乗仏教である。
そして、本来の仏教というのは、そんなものではなかった、という思いも、彼らの意図の中に読み取れるような気がしている。
「仏法は存在しない。だから仏法である。すべての法は仏法である」という言葉には、そんな思いが込められているのではないか?

仏教の辿って来た、長い道のりを振り返ると、人間の行為というものが、ほんとうにどうしようもなく思えてくる。
しかし、それが「人間」という存在の、否定しがたい本性であることは、よくわかるのである。
それらから離れることが、果たしてわれわれに可能であろうか?少なくとも、仏教がインドに興って以来、問題は何も解決されなかったことだけは、確かなようだ。

* 以前にも書いたアカハラ問題(まだやってるのか)

以前書いた「さる先生」と清水俊史氏の論争について、まだ論争が続いているらしい。
馬場紀寿氏による無実の主張
清水俊史氏による声明
どちらも読ませてもらった。冷静な目で見るならば、どちらの言い分が正しいかは、一目稜線としている。
自分の研究業績に執着する「さる先生」と、若い研究者による反論の間で起きた問題である。
「さる先生」は、自分の業績が否定されるのを、快く思わなかった。そこで「権威」の力を借りて、都合の悪いものは潰しておこう、と図ったように思われる。
恩師と共に恫喝を加えるなど、ハラスメント行為以外の何であろうか?このような論争が起こること自体、日本の仏教学はすでに健康体ではないのだろう。しかしながら「さる先生」の主張が認められず、清水先生に反論の機会が与えられることになったことが、せめてもの救いだ。

しかし、日本の仏教学が健康体であるならば、自分の業績を否定されても、このような形で圧力を加えるのではなく、堂々と「反論」すればよい。それもできなくなっているほど、日本の仏教学が衰退しているのであろう。
以前にも書いたように、このような「学会」に関わらなくて、本当に良かった、としみじみ思う。こんな論争にいったいどんな意味があるのだろうか?
仏陀の言葉に執着して論争しているなら、まだ救いようがあるか、と思っていたが、一連の流れを読んでみれば、これは「自分の業績」に対する執着によって起こった論争だ。仏教とはまったく関係が無い。むしろ仏教が禁じている「我語取」(自分の言葉に執着すること)である。
『金剛般若経』が言うように、「我(アートマン)」「人(プドガラ)」「衆生(サットヴァ)」「寿者(ジーヴァ)」に対する執着そのものである。
仏陀はそれらに対する執着を離れないと、苦しみますよ、と説いたし、その「実体のないもの」に執着して争うと、悪い結果になりますよ、と説いたのである。
まさにそれに執着して争うなど、仏教を理解している者のすることではない。たぶん「さる先生」は、仏教の研究をしながら、仏教を知らないのだ、と言われてもしかたがないような気がする。

初期仏教の歴史は不明な所が多く、新しく昔の資料などが出てこれば、それまでの業績が一気に覆る可能性だってあるわけだ。
そんなものに執着して、いったいどうするというのか?
「仏の説いた法は、存在しない」という言葉が、身に染みる事件である。

* 仏教は滅びることが無い。発生したことが無いからである

私を色かたちとして見る者
私を言葉で認識する(または解釈する、継承する,anvaya)者は
間違った放棄から入門する者である。
それらの人々は私を見ない。

ye māṃ rūpeṇa cādrākṣurye māṃ ghoṣeṇa cānvaguḥ |
mithyāprahāṇaprasṛtā na māṃ drakṣyanti te janāḥ

諸仏は法そのものである、と見よ。
導師たちは、法の身体である。
法そのものは、知られなければならないものではないから
それは認識することが不可能である。

dharmato buddho draṣṭavyo dharmakāyā hi nāyakāḥ |
dharmatā ca na vijñeyā na sā śakyā vijānitum

「仏教は滅びる」「仏教は衰退している」と言う人たちがいる。しかし、そもそも「形でないもの」「この世の法則そのものであるもの」が、どうして滅びるであろうか?
「滅びる」のは、我々が作ってきた仏に対する妄執だけであって、それらが無くなったとしても、どうして仏教が滅びるであろうか?
文字、形のあるものは、無くなるのである。それは2500年前も、数億年前も、現在も、そしてこの先の未来でも、まったく変わらない。
古い形は無くなるのである。古い考え方も無くなるのである。
だから、この無限に縁起しており、微塵も実体がないものが、宇宙が無くなった先でも、続いていくのである。
古い形が滅びるのは、当たり前のことなのだ。

『金剛般若経』は、当時ガンダーラ地方で栄えた仏教が、ことばや形に拘泥していたのを見ていた。
仏教を「言葉で」解釈していたのを見ていた。
大きな「仏像」を作り、古い「ことば(サンスクリットは「音声」だと言っている)」を仏の言葉である、と執着して継承していることを、この経典はたしかに見ている。
そのために起こった、無益な醜い闘争も見てきているだろう。
だからこそ、須菩提はこのような最高の説を聞くことが出来たのだ。
この状況は、現在でも全く変わらないで続いているではないか?大学では古い言葉に拘泥して、醜い争いを繰り返しているではないか?
バブルの遺産として残っている巨大な仏像は、仏の教えを、本当に反映していたのであろうか?
今残っている「釈迦牟尼仏」の説いたという教えが、本当に釈迦牟尼仏の「説いた」教えそのものなのだろうか?2500年前と全くおなじなのであろうか?
『金剛般若経』は、釈迦牟尼仏の入般涅槃後、約500年ぐらいで成立したと思われるが、その当時でさえ、この事に疑問を抱いていたのである。ましてや現在では、疑問があるのはなおさらの事であろう。当時のことは、現在の人間が想像しているに過ぎないのである。そんな「想像」は、小説や戯曲とたいして変わらないではないか?
しかし、2500年前の「現実」と現在の「現実」は、その「法」については同じである。
すべて、2千年前のアフガニスタンの仏教の時代から、何も変わっていないじゃないか?

仏法はそもそも存在しない。存在しないものが、どうして滅びたり、発生したりするだろうか?
滅びたり、発生したりするものは、それは、人間の都合で作ったものに過ぎないのである。

* 既存の仏教に対する批判

『金剛般若経』には、それまでの既存の仏教に対する鋭い批判が読み取れる。「三千大千世界を七宝で満たして布施するよりも、仏の法が存在しない、と書かれた経典を学習して広めた方が、比較にならないほど利益がある」というのである。
この言葉をかみしめると、当時の仏教教団の実態がわかるし、そのような行いに醒めた視線を送っていた人たちがいることが良くわかるのである。
裕福な王侯貴族や商人が、どれだけ教団に布施をしてみたところで、その「布施」がどういうことを目指しているのかを知らなければ、まったく意味がない。
「まったく欲のない心」というのは、「無我」の自覚に徹底して、欲を捨て去って行動する人たちにこそ、あるものだ。
そしてその行動は、どれだけものを集めて、享楽をむさぼるよりも、はるかに安楽なのである。
なぜなら、「離欲」は、どのような「欲」よりも安楽なのであるから。
どれだけ欲を求めることによっても、けっして安楽にはなれない。それらはきりがないから。
本当の「安楽」は、欲を捨てること、離れることによって実現される。
欲の対象を捨て、執着の根源を掘り起こして、すべて与えてしまう、というのが本当の「布施」である。
ものを施す、というのは、その一形態なのである。
本当の意味で「与える」というのは、なかなか厳しいことである。
あなたにはそれができるだろうか?私には、とてもできそうにないのである。

* バーミヤン写本

『金剛般若経』の写本は、アフガニスタンのバーミヤン遺跡の隣からも発見されてることは先にも述べた。
バーミヤンと言えば、20年ほど前に、タリバンによって破壊された「摩崖仏」が有名である。
発見された写本は、どうやらこの近くから発見されたものらしい。ほかにも大乗仏教の重要な経典や律、論書などが発見されている。
皮肉にも、アフガニスタンの混乱の中から、現地の人たちが糊口をしのぐために、外国人に売り渡したものの中とか、博物館から略奪されたものの中から発見されたものだ、と考えられている。
タリバンが「摩崖仏」を破壊したのは、イスラムの教えが「偶像崇拝」を禁じているからに他ならない。
しかし、大乗仏教自身も「偶像崇拝」に対しては、否定的な見方をしている。
「如来とは、法身である」として、「かたち」ではない、とはっきり言っている。ただ、それでは我々は理解できないので、方便として如来の「形」を作るのだ。
それを考えると、「かたちあるもの」が壊されても、仏教そのものは決して失われないのである。
とうぜん、仏教は「文字」でも「経典」でもない。それも形であるから。ただし、それらを破壊するようなことは、菩薩は決してしない。

※大乗仏教の起源について
すでに、このサイトのあちこちで指摘しているように、大乗仏教の教理を理解するためには、前提として、

1,アビダルマ(仏教哲学)に対する深い理解
2,坐禅修行のできる環境
3,アビダルマ哲学に対抗しうる論理的知識を持っていること

が、必須である。大乗仏教の経典のあちこちにみられる煩雑化しすぎたアビダルマに対する批判、仏塔崇拝に対する冷めた見解はこのことを裏付ける。
かといって、それらが全否定されているわけではない。
要するに、大乗仏教も様々な系統のものがあり、ある部派(あえてこう言ってもいいなら)では、まったく別の見解をもって、別の部派の見解を否定したりしていたのではないか?ゆえに大乗と小乗という区分自体が、初期の頃は、それほどはっきりしていたわけではないように思う。
また、大乗仏教を担った人々は、さまざまだったと思う。部派教団から何らかの理由で追放されたような人たち、部派のメンバーであっても、部派教団に対して批判的な人たちが大乗仏教を担っていたのだろう。大乗仏教で「仏教論理学」が発展した理由も、そのあたりに考えられるように思う。
現在チベット仏教に残っているような僧団の形が、ずっと続いてきたもともとの「仏教」の姿であったような気がしてならない。もちろん、そこでは僧団の規律である「律」が存在してきたのである。
大乗仏教は、明らかに一般信徒(王族などの上流階級やバラモン階級の人々が対象になっていたような気がするが)を意識して説かれており、もっと社会的ヒエラルキーの下位に属する人たちに対しては、後世、タントラ仏教などが現れて、その役目を担ったのではないだろうか?
われわれの考えるような「市民」というものは、インド世界圏においては近年まで存在していなかったわけであるから。
ヨーロッパ的な「市民」を想定して考えることが、そもそも無理だったわけである。
最近新しい考古学資料の発見などによって、今までの定説が訂正されるような状況にはなってきている。


* 『金剛般若経』覚書(3)

・『金剛般若経』の思想について
これから、『金剛般若経』が何を説いているのか、書こうとおもうのだが、このような試みは、どのようにしても成功しない。
『金剛般若経』の述べる所に従うならば、一切の思想というものには、想いが存在しない。
言葉で表せるような、表現できるようなものは、比喩的にすら、存在しないのである。
そもそも、言葉というものは、「主語」「話者」「発語する主体」というものを必要とする。
その主体である、固定不変の我(個我)、人(魂)、衆生(生き物)、寿者(寿命あるもの)が存在しないのである。それらは実体としてある、という前提の下ではなく、縁起の中にあるため、「存在しない」と仏教では明確に説いている。「主体」は変化しないものを前提としているはずだ。そうでなければ、「私は」という事が言えない。常に変化している「私」が、何を言えるというのか?
「如来がアートマン(個我)として見ることを説くこと、それは見ることではない、と如来は説いたからである。」(de bzhin gshegs pas bdag tu lta bar gang gsungs pa de lta ba ma mchis par de bzhin gshegs pas gsungs pa'i slad du ste)
という部分が、これを示している。我を見ることが、見ることではない、とは、見る主体が存在しないことを意味する。
また、この経典の中では「全体(一合相)の認識は、言語活動である。その法は言葉で表現できないとしたら、それもまた、凡夫たちが把握するものなのである。」(ril por 'dzin pa nyid ni tha snyad de/chos de ni brjod du med pa yin na/de yang byis pa so so'i skye bo rnams kyis bzung ngo)
とも説かれる。これは「言語活動」を行っているものは、すべて凡夫(普通の人)であることを意味する。また、認識対象も存在しないことを言っている。
真実そのものは「その法はわずかも存在せず、認識されない」(de chos cung zad kyang med cing mi dmigs te)
「真実そのもの(法性)は、知られるべきではないから、それは認識することが不可能である」(chos nyid shes par bya min pas de ni rnam par shes mi nus)
とはっきりと言われる。人間のいかなる認識領域にも入らない、決して認識できないものである。どんな想像も予想も計算も、ありとあらゆる人間の思考、感覚、論理、感情も、超えたものである、と言われているのである。
したがって、これを言葉で表現することは、あきらめなくてはならない。言葉で表現していることは、すべて正確ではない。
しかし「菩薩の道(菩薩乗)に正しく入る者たちによって、どんな法も、破壊されることも、切り捨てられることもないのである」(byang chub sems dpa'i theg pa la yang dag par zhugs pa rnams kyis chos gang yang rnam par bshig pa'am chad par btags pa med do)
これは、『中観荘厳論』でも言われるように、世俗において、厳密に検討しない限り、実体は認められる、ということを意味する。
真実は、目の前にある。目の前にある現象は、微塵ひとつたりとも、厳密な意味では、表現できないし、認識できないのである。
しかしながら、それらが目の前にありありと見える。これは何を意味するだろうか?


* 『金剛般若経』覚書(2)

・「テキスト」の問題について
『金剛般若経』は、多数の『般若経』経典群の中でも特に古いものであることは、すでに多くの研究者たちによって指摘されてきた。
これも近年になり、西洋で生まれた科学的「文献学」の発展により、明らかにされた事実である。
しかしながら、この経典は「仏教的」文脈の中では、今でも読誦されており、信仰されている経典であるから、古いとか新しいとかを超えた存在である。
まさに、現在も生きている経典なのである。
この文脈においては、「経典」は誤りを含まない、決して改変してはならない「聖典」であり、そのままの形で最初から最後まで、読まなければならない。

一方の文献学では、この仏教的文脈を「科学的」という名で改変する。意味の不明な個所を、別の文献、同じ文献の他の版や写本、あるいは翻訳を用いて「読めるようにする」。
これが、どのような意味を持つのかは、大いに考えてみる必要がありそうである。この態度によってテキストを「改変」し、新たな「テキスト」を生み出してしまったことによって、もともとの意味が曲げられてしまったいくつかの事例がある。近年、これについては直接オリジナルの写本を参照することが容易になった影響で明らかになりつつあり、これについて多くの研究が発表されている。その結果、「漢訳経典の理解のほうが正しかった」という例もあるのである。写本テキストの「系統」を無視して、批判的「校訂版」に基づき、一方的に漢訳が誤りである、とする態度はもはや過去のものなのである。

確かに、「読める」ということはとても大切なことである。しかし一方で、「これは本当にこのような意味なのだろうか?」という不安に、常に付きまとわれることになる。
結局、何らかの「根拠」を提示して、それを取り繕うしかないのであるが、その根拠も、本当に「原意」であるのか、はっきりしたことは言えないのである。これが、「文献学」の方法論の問題点と限界である。つまり「改変」されたテキストは、決してオリジナルではないのである。

結局、経典の本来の意味は、その古い写本が発見されれば、それを解読してみるぐらいでしか、近付き得ないのである。
しかし、それにしても、その古い写本で使われている、言語、文法などに対する我々の理解が本当にそれで正しいのかは、大体はわかると思うが、正確にはわからない、と思われる。
なぜなら、その言語を使っていた人々は、とうの昔に滅びて、現在その伝統は途絶えてしまっているからである。

このように、科学的「文献学」には多くの問題があり、これによってほんとうに「仏教」の真意に近づきうるのかは不明、いや、不可能と言うしかない。
では、「文献学」とは、いったい何なのであろうか?私にはまだその結論が出ないのである。
この葛藤を解消するために「昔から伝わって来た」伝統的な経典を、そのままの形で読んでみているのではあるが。

* 『金剛般若経』覚書

・『金剛般若経』を訳し終わって

一通り、『金剛般若経』を訳してみて、改めて経典の力に触れた思いがする。
この経典は、大乗仏教の初期に現れた経典である。『八千頌般若経』と共に、最古層の経典であろう。
よく言われるのが『般若経』なのに「空」の概念が一度も出てこない、ということである。
たしかに、空という言葉は一度も出てこない。しかし、「法でも非法でもない」とか「菩薩によって、どんな法も破壊されることはなく、観念が切り捨てられることもない」とか「法に住しない」とか言われ、「空」の本来の意味を正確に表現している。
何度も言うようであるが、「空」とは「縁起」の事であり、それは非存在では決してない。そのことを『金剛般若経』は、明確に述べているのである。
後に、金剛般若経の述べることが「空」という言葉に定式化された、あるいは、初期仏典で釈尊が説いた「空」という言葉に仮託されたのではないか?
昔のことを述べることは、すべて憶測なのであるが、この経典が、釈尊が説いた言葉に直接基づいていることは疑いない、と私は思っている。
これほど正確に、精密に仏教の本質を表現する経典は他になく、また、冗長な繰り返しなどどいわれる表現も、すべて完璧に配置されているのである。
『金剛般若経』をじっくり読む(出来れば、鳩摩羅什訳の漢文を、直接読んでいただきたい)ならば、確実に何かが変わるであろう。
ありがたい経典であることは、間違いない。

※注記

・チベット語訳
gang gi tshe ka lingka'i rgyal pos nga'i yan lag dang nying lag rnam par bcad par gyur pa
de'i tshe nga la bdag tu 'du shes sam
sems can du 'du shes sam
srog tu 'du shes sam
gang zag tu 'du shes kyang ma byung zhing
nga la 'du shes ci yang med la 'du shes med par gyur pa yang ma yin pa'i phyir ro

・スコイエンコレクションに含まれる梵文(ガンダーラ語の影響を受けている仏教梵語)の該当箇所

yadā me subhūte kaliṃgarājā aṃgapratyaṃga-anyac-chetsīn nāsīn me tasmin samaye ātmasaṃjñā vā satvasaṃjñā vā jīvasaṃjñā vā pudgalasaṃjñā vā na me kācit saṃjñā nāsaṃjñā babhūva

・和訳
「須菩提よ。カリンガの王が、私の手足を主要な部分からばらばらに切り離した時、私にはアートマンとの想いも、衆生との想いも、命との想いも、プドガラとの想いも、いかなる想いと想いでないものも、共に存在しなかった。」

覚書:
中村元の『般若心経・金剛般若経』の注にも、長尾雅人の『大乗仏典 1』の注にも、共に「カリンガの王、との記述は正しくない」とされており、サンスクリットの別本(ギルギット本)にはkali-rāja(悪い王)となっているので、それに従う、としてある。
確かに、当時最古の写本であったギルギット写本には、kali-rājaとなっている。しかし、近年発表されたスコイエン・コレクションに含まれる写本はギルギット写本と同じ「ギルギット・バーミヤーン型文字(Gilgit/Bamiyan Type)」(6~7世紀に使われた書体)で書かれたものであり、説一切有部の故地であるガンダーラ地方から出てきたものである、と考えられている。
その本に「kaliṃga-rājā」の文字があることは、チベット語の基づいている原典が、スコイエン写本の方に近いことを意味している。
現在知られている『金剛般若経』のサンスクリット原典とは違う、別の系統の原典から訳されているのではないか、と思った。
また、古い漢訳である鳩摩羅什訳にしても、kali-rājaは「歌利王」と音写されており、漢訳では固有名詞は翻訳しないのがふつうであるので、これは何らかの固有名詞を示している、と思われるのである。つまり「カリンガ」とは地名なのである。(真諦訳「迦陵伽」となっている。義浄訳でもこれを採用)
カリンガの王とは、言うまでもなく、カリンガ戦争でアショーカ王が戦った相手であり、この時の戦争の記憶を、この逸話は伝えている。
もっとも、この話自体はジャータカに存在するのが初出と思われる(『ジャータカマーラー』にも「忍辱本生」として収録されている)
この戦争で、アショーカ王は戦争の残酷さを深く観じて、その後仏教に深く帰依したのである。


* 『金剛般若経』翻訳中

チベット語の学習として、『金剛般若経』を翻訳してみている。
比較的短い般若経で、よく仏教梵語の教材としても使われる。この梵語『金剛般若経』も、古い歴史のある経典なので、難しい。仏教梵語は一般的なサンスクリットとは少し違うようだ。一方の漢訳やチベット語では、比較的意味がはっきりする。
漢訳の「亦無有定法如来可説」は「また、如来が説く事が出来る法は、決してございません」と国語訳できるが、チベット語では「de bzhin gshegs pas gang bstan pa'i chos de gang yang ma mchis so」で、これを訳すと「如来が説いた法は、何もございません」となる。
須菩提尊者の理解では、『般若経』を理解することによって、説法が「言葉を超えた」言葉として理解される、ということである。その時点で仏陀の「説かれた」法は何もないのである。「法」というものは、言葉で表現できない状態で、ありありと目の前にあるものなのである。最も「原始的な」初期に成立した般若経のうちの一つであるせいか、その所説はシンプルで、胸に迫ってくるものがある。
いちおう、完全に訳したが、訳語の統一と、訳語のチェックがまだである。
この経典は、意味が甚深で、訳すのがとても難しい。もともとの原文の意味が分かりにくい影響もあるかもしれないが、内容は大乗仏教の最も根本にある、非常に重大なテーマを含む。理解できないのは、私の心がけがれているからである。
これから修正しなければならない。

* 世俗

『中観荘厳論』の中で「世俗」について書かれる第63偈に対する自注の中で、この世界では厳密に検討しない限り、物事の自性が認められる、と言われている。
厳密に検討する、とは論理や考察、坐禅による直観を用いて物事が「縁起」しており、そもそも存在する性質が無く、まったく言葉で表せない赤裸々な現象が展開していることを見て取ることであり、それによって、この人間世界が「苦」であることが理解できる。
言葉を使ったり、あれが馬だ、とかゾウだとか言うのが、普通の世界の出来事である。
それに関して、『中観荘厳論』の著者は「私が、それに対してどんな否定ができるだろうか」と言っている。当たり前のことを、当たり前と認める立場である。
この世界を否定するのではない。ただ、それは真実の世界ではない。例えばテレビの画面や鏡のようなもので、映像はあるが実体がないものである。
それを厳密に検討すれば、走査線の点の集まり、光の反射であり、そこには何もない。映像の例は「目に見えるもの」に限定されてはいるが、これは音、香り、味、感触、思考などについても同じく適用できる。
それに執着すると、苦しみの堂々有巡りが開始することになる。
なので、それらは「ある」と思って執着すると、本当は映像等にすぎないから、求めるものが得られず、苦しみが生じる。
その映像その他は「事実」としてたしかに目の前にあったりするのであるが、それはずっと同じでない、といっている。そして究極的には「存在する」とも「存在しない」とも言えない。人間が想像する「たしかに存在する」というあり方を、そもそもしていないのである。川の流れは一瞬も止まらず。昨日の友は今日の敵なのである。永遠の真実など、微塵もない。
『中観荘厳論』には、そのようなことが書いてある。

* 論理に何種類もあるのか?

大学の時によく言われたのは「インドに論理学など有るのか?」ということである。
インドの「論理学」を勉強していた私は、その問いに憤然としたものだったが、今となれば当然の問いかけだった、ということが理解できる。
以下に書いたものの中でも言っているように、おのおの西洋論理学とインド論理学は異なった地盤から生じてきた、別の伝統をもった論理学である。
だから同じはずがない。西洋論理学は「論理の形式」にとことんこだわる一方、インド論理学は、論理の正当性を極端なまでに追求し、結局「それを論じている人間の認識論」を問題にするのである。論じている人の認識が正しくなければ、論理も正しいわけがない、とするのである。
西洋論理学の場合、「形式が正しければ」正しい推論が成立する。
これが今になって思う数理論理学とインド論理学の大きな違いである。
西洋論理学は論じる「人」を問題にしないから、最近のようにAIが論じても、推論が正しい限り成立するのである。
一方のインド論理学は論じている「人」に基づくので、たとえ「人」が間違ったことを論じていても、その人が正しいと認められた人ならば、その推論は正しいのである。
これが目下のところの結論である。
さて、今の世界はどちらの論理で動いているだろうか?
西洋論理学から見れば、インド論理学は一種の「修辞法」「討論術」「弁証法」あるいは「詩」であろう。それは論理学とは言えない。最終的な「正当性」は超越的な知識を(修行によって)得た聖人の知識に求められる。それは聖人の知識なのだから、間違っているわけはなく、普遍性がある絶対の真理なのだ、という。
これはまったくの宗教の論理だ。
西洋の論理学は、「人」のまったく関与しない論理空間というものを作り上げた。それは数や記号の組み合わせで成立している。それらはその気になれば、誰でも理解することができる。特定の「人」の作ったものではありながら、数学や論理学の定義に基づいているため、検証可能であり、したがって応用することができる。
それらの具体的な応用が、科学や工業製品やその他のもの、そして社会科学として、これほどまでに世界に満ちているのである。
したがって、どちらかと言えば西洋論理学の論理で世界は動いている、と思われるが、そうでない地域、例えばイスラーム社会などがある。
しかし、イスラームは昔、西洋論理学の創始者であるアリストテレスの哲学の影響を受けている。そもそも、欧米にアリストテレスの哲学や初期の科学や化学の基礎を教えたのが、イスラームだったのだ。それは歴史的に確かなことである。中世のヨーロッパ世界は、キリスト教絶対主義の世界であり、科学は2次的なものでしかなかった。

あなたはどちらを信じるだろうか?

ちなみにAIに以下のような質問を尋ねてみると、このような答えが返ってきた。
質問:「科学の限界は存在しますか?また、宗教は科学の限界というものがあるとすれば、それに対する答えを提供する能力がありますか。とても知りたいことです。だれも明確に答えてくれませんから。」

AIの回答:「科学の限界については、科学技術が無秩序に発展し、高度に専門化してしまったことによる弊害が如実に現れている今こそ、科学の限界を見据える視点が求められていると言われています⁵。その限界は、人間が生み出すものとしての限界、社会が生み出すものとしての限界、科学に内在する限界、社会とのせめぎ合いにおける限界の四つに分けて考察されています⁵。 一方、宗教と科学の関係については、検証可能な事実を対象とする科学と、信仰の理由をあえて求めたりはしない宗教とでは、相容れないという見解があります¹⁴。しかし、人間の欲求に対して別の立場から答えを出しており、本質的には相補的なものであるとも言われています¹⁴。また、宗教と科学は仲睦まじい関係であるとも述べられています¹⁴。 これらの視点から見ると、科学の限界が存在するとすれば、宗教はその限界に対する異なる視点や解釈を提供する可能性があります。しかし、これは一般的な見解であり、具体的な状況や問題によっては異なる解釈や結論が導かれるかもしれません。科学と宗教は、それぞれが異なる方法で世界を理解し、解釈するためのフレームワークを提供します。そのため、一方が他方を補完する、または一方が他方の限界を超えるという単純な関係性を持つわけではないかもしれません。それぞれの視点から得られる洞察が、我々の理解を深めるのに役立つことは間違いありません。²³。 ソース: Bing との会話 2024/1/31 (1) Amazon.co.jp: 科学の限界 (ちくま新書) : 池内 了: 本 - アマゾン. https://www.amazon.co.jp/%E7%A7%91%E5%AD%A6%E3%81%AE%E9%99%90%E7%95%8C-%E3%81%A1%E3%81%8F%E3%81%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E6%B1%A0%E5%86%85-%E4%BA%86/dp/448006690X. (2) 宗教と科学 - Wikipedia. https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%97%E6%95%99%E3%81%A8%E7%A7%91%E5%AD%A6. (3) 宗教と科学 - 宗教と科学の概要 - わかりやすく解説 Weblio辞書. https://www.weblio.jp/wkpja/content/%E5%AE%97%E6%95%99%E3%81%A8%E7%A7%91%E5%AD%A6_%E5%AE%97%E6%95%99%E3%81%A8%E7%A7%91%E5%AD%A6%E3%81%AE%E6%A6%82%E8%A6%81. (4) 「宗教と科学」に関する歴史的考察 - 国際宗教研究所. http://www.iisr.jp/journal/journal2019/P155-P175.pdf. (5) 宗教と科学 対立するのか、共存するのか? | 中学生にもわかる .... https://wakarutetsugaku.com/shukyotetsugaku/733/. (6) 科学の限界とそれを克服する方法 | 京都大学理学研究科・理学部. https://sci.kyoto-u.ac.jp/ja/academics/programs/scicom/2016/201701/01. (7) 筑摩書房 科学の限界 / 池内 了 著. https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480066909/. (8) CiNii 図書 - 科学の限界. https://ci.nii.ac.jp/ncid/BB10668701.」

* 日本仏教はちょっと違う

日本の仏教は独特だ。かつて「批判仏教」というのが流行った時、それを唱えた学者は「日本仏教は仏教ではない」と主張した。
だが、それは本当だろうか?
日本の仏教で仏像を崇拝しない仏教は無いが、形は変化しているにせよ、ちゃんと「仏陀」を崇拝している。
そして、他の地域の仏教が真剣に向き合わなかった人間の根源的な「悪」「無明」について、これほど悩み、向き合ってきた仏教はない、とおもう。
たしかにインド後期の仏教では、人間の根源的な性質に深く向き合った「タントラ」は存在したが、それを学べるのはごく一部のエリートたちで、一般の僧侶はそれを学ぶことさえ許されなかった。ましてや一般民衆はなおさらである。
それに対し、日本の仏教では特に浄土真宗で、その根源的な問題に向かったと思う。
正当な仏教の解釈からすれば、「地獄に落ちる」一般民衆にたいして、「他力」「極楽浄土」の概念をもたらしたことは偉大だ。
たしかに元はインドの浄土信仰を起源とするものではあったが、その理解をはるかに超えた発展をもたらしたのが、日本の浄土信仰であった。
インド仏教で定められた「清浄な」戒律を守り、実践できるのは、ごく一部のエリートだけであった。
さらにインド仏教などでは、王族は救うが、一般民衆に対する救済は対象外であった。
それはインドが厳しいカースト社会であったからだ。本当の意味での「平等」という概念が理解されるようになったのは、キリスト教がインドに入ったあと、初期仏教の復興運動が起こってからだ。それまで、インドにはキリスト教的な「本質的な平等観」というものは存在しなかったのではないだろうか?
浄土真宗がキリスト教(景教)の平等思想に触れる機会があったのではないか、という説があるが、それだけで浄土真宗の平等思想が形成されたとは思えない。事実、浄土真宗の教えは後世に至ると、最初の平等思想からはだいぶ離れたのではないだろうか?
いずれにせよ、日本に「万民平等」の思想を広めたのが親鸞聖人だとしたら、それはとても大きい功績だ。
現在ではキリスト教国である欧米よりもむしろ、日本の平等思想のほうが優れていた、ということがわかるのである。
なぜなら、欧米は貧富の格差が激しく、まるでカースト制度のような社会になっているから。
日本は最近では大きな格差が出てきたが、それはもしかしたら欧米の文化が日本に入って来てからそうなったのかもしれない、と感じることがある。
だとすれば、日本仏教の代表ともいえる浄土真宗の教えは、西欧の平等思想よりも、優れていたのかもしれない。
これを「仏教でない」といえるだろうか?
たぶん、初期の仏教がもともと持っていた「願い」を、もっとも実現しているのは「日本仏教」である、と言える一面もある、と私は思っている。

* 『教行信証』を読了

『華厳経入法界品』の最後に「普賢行願讃」があるが、その中に「普賢行願讃を護持する人は、悪道を避けて悪友から離れ、速やかに無量光仏にまみえる」という記述がある。これは解説によれば、初期の翻訳と思われる「六十華厳」では出てこない文であり、のちに付加されたものだろう、という。
しかし、サンスクリット原典、チベット語、後代の翻訳である不空の訳文にはちゃんと無量光仏の名が見える。
普賢行を実行して、阿弥陀様の極楽浄土に生まれることを願う文も書いてある。
阿弥陀仏や極楽(sukhāvatī(快楽のあるところ))と言えば、浄土真宗の開祖、親鸞の著作『教行信証』をずっと読もうと思いながら、読んだことがまだなかった。
そこで、今回通読してみたのである。
『教行信証』は正式名を『顕浄土真実教行証文類』と言い、真実教、真実行、真実信、真実証、真仏土、化身土の六巻ある。
作者は自分で「愚禿釈の鸞」と名乗っており、綽空という法諱を夢のお告げで変えた事も、この後に出てくる。
内容は『大無量寿経』の法蔵菩薩の四十八願をかいつまんで解説するものであり、さまざまな典籍を引用して、浄土の教えを解説する。
後代に言われるような「浄土真宗の立宗を宣言した書物」ではない。親鸞の浄土信仰をさまざまな角度から教証しようと試みている書物であり、立宗というよりは、他からの非難や問難に対応しようとして書かれたもののような気がする。
浄土真宗で今でも日常的に読まれている「正信偈」は、真実行の巻の文をそのまま抜き出したものである。
親鸞が特に思いを入れて引用するのが、中国の善導大師の「観経疏 散善義」などの書物であり、引用頻度が最も高い。書中では「光明寺の和尚」などと言われているのが、善導大師の事である。
浄土信仰というのは要するに「念仏一行」であり、「南無阿弥陀仏」の「1声」を実行することである。ほかの行は、このような末法の世の中では、実践できない、というのである。
そのうえで、従来の仏教を「雑行」であると退け、それでは極楽往生できない、と反論する。
ただし、発菩提心や持戒を否定するものではなく、それらを浄土信仰の中でどのように実現するのかが説かれている。当然、破戒は厳しく戒められているのである。
親鸞聖人は仏教の歴史上で初めて、「僧侶として」妻帯したとされているが、この『教行信証』の中では破戒の罪を、これでもか、これでもかと書いている。破戒が仏教にとっては良くない事であることが強く意識されていたことは、はっきり読み取れる。
それゆえになのか、以下のような一文が特に印象深い。
「誠に知りぬ。悲しきかな、愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し、名利の太山に迷惑して、定聚の数に入ることを喜ばず、真証の証の近づくことを快しまざることを。恥ずべし、恥ずべし」(真実信の巻)
親鸞はこの書を書いたときには、法然に連座して地方に流されており、僧籍もはく奪されている。
従って、僧侶の身分ではないので、結婚することは別に問題がない。
自分では「非僧非俗」である、と称してはおられるけれども、どう考えても「僧」ではなく「在俗の仏教徒」である。
このような状態に陥っている自分を救済してくれるのは、無量光仏の救済力だけである、と観念したのである。
最後の「化身土の巻」には、中国の老荘思想や儒教、天文学の書籍からの引用があり、それらに対する仏教徒としての批判も見られるが、なかなか難解である。
それらの典籍に通じていなければ、これだけのものは書けまい。
特に老荘思想に対する批判が厳しいが、これは善導大師が「仙経(道教の聖典)」を焼き捨てて浄土教に帰依したことを受けているからであろう。
私個人としては、おおらかな老荘思想が好きなので、ちょっと残念な記述ではある。

* 三世一切の諸仏

華厳経の中には「三世一切の諸仏」、つまり現在過去未来の、不可説不可説数の仏が、針の先の一微塵の中に座している、という記述がある。 一微塵の集合体である、我々を構成している物質世界では、これらの一微塵が無数に集合している。
これらすべてに行き渡る「真理」が、空=縁起である。
すべての存在が、固定的な、自分だけで成り立っている存在ではない。無数の条件の中で、うごめいている、名前も付けようがないものである。
それに仮に名前を付けて、われわれは理解している。
30年、20年、1年、1分、1秒たりとも、変化せぬ存在はない。
1秒まえのものは、それ以前のものとは言えない。
同じだと思い込むことが、苦しみの原因である。
それを「苦しみの原因だ」と教えてくれるのが、仏法である。
その習慣性は、永遠の昔から、我々の中にあり、それを持って私たちは生まれてきた。
その習慣性が無くならぬ限り、永遠に同じことを繰り返し、決してその流れの外に行くことはできない。
それを離れるために、修行がある。
華厳経によれば、その修行は「菩薩行」であり、絶え間なく「他の存在のために働くこと」である。
「我」というものが存在しないことを知っているので、それを他の存在にも教示していくのである。
それが波羅蜜の実践である。華厳経では「10波羅蜜」(10の完成行)を説く。
10波羅蜜の最後の「智」波羅蜜は、空性を悟る「般若」波羅蜜よりも、直接的な「智(jñāna)」であり、ものごとの「重々無尽」の「存在」を直接感じることである。「般若」の空が、「智」になると、ありのままの存在そのものを感じるのである。これは有無を離れ、概念そのものを離れた「ある」ということであり、極正確に現実を見る、文字通りの「智」なのである。

* 華厳経入法界品を読了
岩波文庫版『華厳経入法界品』を読み終えた。
この本は、中央公論社から『さとりへの遍歴』(上・下)という題で、1994年に出版されている(ちょうど30年が経過している。月日の経つのは早い)。
岩波文庫になるにあたって、若干の校訂が加えられている。冊数も上中下3分冊となっており、読みやすくなった。
サンスクリット原典から省略無しにそのまま訳されているので、一般の読者にとっては通読が難しいであろう。一つの主語に対して、100もの関係節が付くことは珍しくない。時折、主語が何であったか、忘れることがあるほどだ。
主人公の善財童子は、インドを南へ、南へと進み、ついには海岸に達して、そこで弥勒菩薩に出会い、文殊菩薩によって、普賢行願輪という曼荼羅の中に置かれ、そこで「大光明」を見る。これは普賢菩薩に出会う前兆である。
普賢菩薩が登場すると、この入法界品のクライマックスである、菩薩行の詳細が説かれ、その後、入法界品が現れた時にはすでに別行していたと言われている「普賢行願讃」が唱えられて、善財童子の長い旅が終わる
最後に「一切如来との平等性」にまで至った、と書かれているから、善財童子が成仏したことは確かなようである。
善財童子は、それ以前にも「菩薩行を知りたければ、険しい山を登り、火口に飛び込め」と言われて飛び込んでいるので、肉体としては存在していないであろう。また宇宙の最初から終わりまでの時間を過ごした、というような記述も見られる。
この「善財童子」とは、いったい誰なのだろうか?
おそらく彼は「人格」ではない。真理そのものを追及している「動き」そのものである。何かをひたすら求める力そのものが善財という存在に象徴されている。これは大自然の力そのものとも言えるし、宇宙の停止しない営みそのものである、ともいえる。ありとあらゆる制約を解かれた、きわめて自由な存在であり、何物も彼を止めることはできない。それが実は「空=縁起」の力なのである。だから「空」を「なにもない」と解釈するバラモン教学の解釈は完全な誤りなのである。これはとても強力な力である。すべてを変えていく力である。決して虚無主義の沈んだ力ではない。生命力そのものである、ともいえる。
そのポジティブな姿を見るのは、実に爽快である。どんな存在に出会おうともひるむことなく、前に進む。
それはすべての暴力を離れ、すべての存在の幸福を心から願い、仏の安楽な境地を求める旅であった。
そしてそれはあらゆる存在に平等にもたらされる。
バラモンが階級制度によって支配する世界を飛び越えて、仏教が世界各地に広まった、原動力がこの経典には確かに書かれている。

* このページの文を読み直してみる
このページに載せてある論文とも言えない「文」を読み直してみると、20年以上前に書いたものとはいえ、かなり誤りがあるなあ、と今更ながら思う。
体裁はもちろんのこと、誤解や誤読の集合みたいなものだ。お恥ずかしい限りであるが、それでも、自分の思索の原点でもあると思って、公開し続けている。
それはともあれ、仏教における「大乗仏教」という運動の一番のきっかけは最近読んでいる『華厳経入法界品』の中に垣間見ることが可能だ。
以前から指摘されているように、この運動は仏教が南インドに布教される過程で生じてきたものだ。 南インドの信仰と「平和的習合」をすることで、北インドで生じた仏教が、南インドに伝わった。 美しく、複雑で、冗長で、不可思議な文で記述されており、読んでいて楽しい。論理ばかりに親しんできた筆者にとっては、今までの方向とはまったく別な仏教を見ているような気さえするのである。「こんな仏教があったのか」という思いすらする。
大地に根差した「泥臭い」仏教信仰がそこに垣間見える。
南に伝わったはずの「大乗仏教」は、現在ではすべて残っていない。遺跡として確認されるだけである。 その過程で何が起こったのかはよくわからないが、さまざまな政治的要因やら、仏教部派間の論争が起こったりしたのであろう。
私は『入法界品』については良く調べてみたことがない。難しすぎて、当時はよく理解できず、ただ荒唐無稽な記述だと思っていた。 いま改めて読んでみると、この流れが密教につながっているのは間違いないと思う。 「大乗仏教」運動の真意がどのあたりにあるのか、そのカギがこの『入法界品』には含まれているような気がする。『法華経』を読むだけでは明らかでなかった要素がたくさん浮き上がってきており、面白い。

* 『華厳経』の女神
「入法界品」を読み進めているが、中間の観自在菩薩の章以後、rātri-devatāと名付けられる女神の善知識が8人ほど続く。これは、以前読んだことのある『ユトク伝』の中に出てくる8人の女神の事ではないだろうか?
ユトク伝の中では、これらの女神は、ある女神がアルラの木を8か所に植樹したときに、分身として配置されたことになっていたはずだ(記憶があいまい)。
いずれにせよ、「入法界品」の中での扱いは、観自在菩薩を上回る。その内容、長さの観点からして、明らかに重点が置かれているのが、実際に読誦を進めてみるとわかるのである。おそらく、南インドの土着信仰に関係のある女神であろう。rātriはサンスクリットでは「夜」を意味するので、一般に「夜の女神」と解釈されているが、rātriには「ラークシャサ(羅刹)」の意味もあるのである。つまり、これはアーリア人から見た異民族であり、要するに彼らの女神のことではないだろうか?仏教を南インドに布教する為に、彼らの女神を仏教の教理に合わせて解釈したのであろう。
「縁起」の理は、いかなる信仰でも、宗教でも、包括することができる、ということを示している。

* 華厳経
チベットの隣、ネパールにはヒンドゥー教と習合した大乗仏教がずっと残ってきた。ネパール仏教では「九法(nava-dharma)」という9つの大乗仏典がサンスクリット原典として伝えられている。
『八千頌般若経』、『入法界品』、『十地経』、『月灯三昧経』、『入楞伽経』、『法華経』、『如来秘密経』(『秘密集会タントラ』としばしば混同。実際は『大宝積経』の一部として知られる)、『方広大荘厳経』(「ラリタヴィスタラ」。釈迦の仏伝を大乗仏教の側から解釈した経典)、『金光明経』。
がそれで、この中で『華厳経』に含まれるものは、『入法界品』『十地経』の2経である。
『華厳経』は非常に長い複合語(Compound)を伴う詩文で書かれており、それにより仏陀の徳を讃嘆する内容となっている。
そのため内容が理解しにくい。複雑な神秘的な印象を読誦者に与える。
後世の密教経典に直接つながる内容でもある。
『般若経』が非常に論理的な内容なのに対して、『華厳経』は直接読誦者の感情に訴える内容になっている。
このため、論理的な表現が苦手な中国仏教では大いに研究され、やがて中国仏教の主流をなすことになる。
この傾向は『法華経』についても言えることである。
『華厳経』の影響を特に受けたのが禅宗である。中国華厳宗と禅は一部分で完全に見解を同じくする時期が存在した。
「言葉を超えた」「不可説」の内容が、延々と述べられるので、読んでいると言葉の迷宮に迷い込んだような、不思議な印象を受ける。
『般若経』が積極的に語らない「不可説」の部分を、美しい詩によって詠いあげる。
その根底にあるのは、大乗仏教によって強調される「相依性縁起」の無限の関係性の世界であり、仏の説かれた縁起の教えを押し広げ、大規模に発展させた教えでもある。
『華厳経』の特徴は、まだ正確にはつかみ切れていないが、象徴的表現によって、大乗仏教の目指すもの(仏陀の境地)を言葉を極めて表現してある。
そのため、弘法大師空海は「華厳経」の境地を「極無自性住心」(『十住心論』)と述べ、密教の次に位置する経典である、としている。
「極無自性」という表現は、縁起の世界を展開すれば無限の無自性の世界であり、それは現実の世界の真理である、ということを示している。
それは人間の「コミュニケーション」の世界で展開する。その道を究めるために、「入法界品」の善財童子は53人の師を訪ねる旅に出たのである。

ところで、チベット語では『入法界品』の原題であるサンスクリットの「Gaṇḍa-vyūha sūtra」は、sDong po bkod pa'i mdoと翻訳されている。sdong poは「茎」とか「花」の事であり、bkad paは「装飾」の意味であり、漢訳の「華厳」が正確な訳である、ということが分かる。サンスクリットで素直に読めば「茎の荘厳」にしかならず、これでは意味が通らない。
あくまでも、サンスクリット原語に拘る読み方もありだとは思うが(これが近代的文献学の立場である)、私が大切にしているのは、仏教が生きている環境で、それが当時どのように理解されていたか、であり、どのように翻訳されていたか、である。サンスクリットの文法規則に必ずしも適合しない解釈であっても(そもそも、Gaṇḍaという言葉は、ドラヴィダ語という、サンスクリット語とは違う言語に起源をもつという)、「そのように理解されていた」という事が分かればよいのである。翻訳というのは、そういう一面も当然含むのである。そうでないと、「バラモン教学の中に含まれるサンスクリット文法学によって解釈された」、つまり、仏教以外から見た仏教経典の解釈を永遠に超えることはできない、と思うのである。私がチベット語訳や漢訳を重視するのは、「仏教としての理解」を知りたいからでもある。

* 自分のあたまで考えること

科学の発展は急速で、今まで不可能であったことや、出来なかったことが実現されるようになってきている。
20年ほど前など、人工知能の基礎的な仕組みはあったものの、現在のように「人間の思考の代わりをする」レベルにはなかった。
なぜそれが可能になったか、と言えば、機械が高速化し、以前とは比べ物にならないほど巨大な容量をもつ記憶装置が登場するようになったからだ。
それらが巨大なネットワークでつながり、さらに複雑なことをできるようになった。もはやそれらは人間の知能をはるかに超えるレベルの知能を持っている。
こうなると、それらAIに任せて、人間は思考することをだんだんしなくなっていくかもしれない。
しかし、それも問題がある。
たしかに考えないことは楽であるが、そもそも、人類の経験というのは「思考の繰り返し」によって生まれてきたものなのである。
AIはその、人間が苦労して得た知識を、機械的に学習しているにすぎない。
つまり、「それを生み出す」存在ではもともとないし「何かを新たに作る」存在でもない。
機械というものは、データを記憶し、計算して、出力するだけの存在。
考える「主体」は、血の通った人間以外には考えられない!

悩み、苦しみ、実際に経験することなしには、人間が人間としての経験を得られないのだ。それは「機械」が生成した何かとは、決定的に異なるのだ、ということは確かだと思うのである。
AIを「過去の知識の集大成」として、部分的に利用することはもちろん良い事であるが、その知識を絶対視することは、とても愚かなことだ。
なぜなら、「人間にしかできない事」の視点がそれにはかけているからである。

* 「空」を説くこと

一般にまだ「空」を「無」の意味で理解している人が多い。
これは漢語訳の経典が、インド語の「空(śūnya)」という言葉を「無」と訳したからだ。
無とは「ない」という意味である。
しかし、「空」は「自性(svabhāva)」が無いことである。
だから目の前の現象(dharma)がないことでは、決してない。
むしろ「空」だからこそ、目の前の現象が「存在している」。
また、「空」を別の言葉で置き換えるならば「縁起(pratītya-samutpāda)」という言葉になる。
これは原因と条件が和合(hetu-pratyaya-sāmagrāṃ)して起こっている事を意味する。
これは決して停止しないため、またそのように和合している存在は全体的な「1」として存在できないため、厳密には「これだ」と言えない。
だから「仮に」ラベルを付けて、あたかもずっと「存在」し続けるように、思い込んで理解しているだけなのである。
実際に目の前の現象が、「思い込んでいる」ように存在し続けているわけではなく、不断に変化し続けているのである。
もちろん、このようなことを文字で「書く」事も「空」である。
文字も縁起している存在にすぎない。「空」はすべてに当てはまるからである。現象、概念、想像上のもの、夢、心、理論、科学、宗教・・・。
それらすべてが「空」である。
このように説くことも「空」であるが、「物事が空でない」と執着している人の執着を取り除くのに有効だから、またこれ以外の手段がないから、それを説くのである。
あたかも、魔術師の作った幻の人が、別の魔術師によって作られた幻の人が「空でない」と思い込んでいる誤解を、「空」を説くことによって取り除くようなものである。
究極的には「空」も「空でない」ものも、何もないのである。

* 変わる時代

ここ数年の間に、情報技術は大きく進歩した。
特にデータベースの巨大化、そしてAI技術の進歩は目覚ましいものがある。
先日、新しい国立国会図書館のデータベースが公開されたが、検索できる情報量が以前の50倍になり、ほぼすべての学術雑誌や博士論文等が、本登録すればパソコンで見られるようになっている。海外に遅れまいとして、国が労力をかけた成果であろう。
あと、AI技術で目覚ましいのはマイクロソフト社が買収した「ChatGPT」であろうか?
英語はもちろん日本語も理解し、質問すると答えを返してくれる(まだAIの学習量(トレーニング)がたりないのか、でたらめな答えを返すことが多いように思う)
将来、巨大なDBとAIが組み合わさると、質問に対して、より適切な答えを返してくれることになるだろう。
これは今までのように「専門家」に聞かなければ分からないようなことが、だんだん無くなってくるということを意味する。
少なくとも「概念」「知識」の領域では、人間の専門家に聞くよりも、AIに聞いた方が正しい答えを返してくれる、という方向に進みつつある。
専門家は不要になり、人間は苦労して勉強しなくても良くなるのだ。時代は大きく変わるだろう。今までだれも見たことがないような未来が、すぐそこまで来ているような気がする。


* 解釈の多様性

何でもそうなのであるが、何かを解釈し、理解するやりかたは、それぞれ異なる。
つまり、その解釈に「絶対」ということはありえない。
これは「翻訳」という難しい作業においてもそうである。
「絶対」この意味にしか解釈できない、というルールが決められている場合でも、それに対して、「訳語」をどうするかは、ひとそれぞれである。 古典チベット語のような「欽定訳語」表があったとしても、まったく一対一に原文と訳文が対応するわけではなく、多少のバリアントは存在する。 (ちなみに、「欽定」とは当時のチベットの王が、或る言語を、その訳語で訳す事を勅令で決めた事を意味する)
たとえば『ブッダのことば』にしても、原文であるパーリ語を、どのように訳すか、は人によって異なる。
「訳す人」の考え方によって、伝えられる意味が相違する。Nという人の訳した文と、Mという人の訳した文は異なるのである。
「翻訳」というものは一つの解釈であり、たとえばNという人が「西洋論理学」の知識が豊富で、その考え方に従って訳したとすれば、ほんらいの原文の意図とは全く違った訳文になる可能性すらある。一方のMという人はそれとは異なり、伝統的な読み方に従うとするならば、当然Nとは異なった読みになるのである。
「翻訳は、解釈である」というのはそういう意味だ。
その背後には、まったく異なったコード体系があるのだから。

翻訳する人が「伝統的」な読みに従うのか、それとも「論理的」な読みに従うのか、で全く違う解釈が生まれる。
また、「どちらが正しいのか」という議論も、意味をなさないことが分かる。それぞれの立場で、選ばれる訳語は異なっており、適用される文法も異なっている。その価値に優劣は存在しないし、普遍性もない。
「伝統的な読み」と「論理的な読み」の間には、大きな違いが生じる可能性がある。その場合、どちらの解釈をとってもよく、それは個人の選択の自由に任される、という事である。
上記の事をまとめると、
ある文を翻訳する場合、解釈は人によって異なる。
そして、その訳文がどのようになるかは、当人の属する伝統・文化、あるいは知識・思想に依存する、ということだ。
同じ語彙・文法体系を参照しながらも、その翻訳根拠はそれぞれ異なる。
したがって、訳文は「翻訳者」の思想の表明の一つでもある。


* 翻訳は日本語として意味が理解できなければ意味がない

私は別に研究者ではない。 学問の世界に籍を置いたこともかつてはあったが、それによっては生活できないことがはっきりとわかったので、それ以上続けるのをやめたのである。
また、いろいろな学説、意見、信念が錯綜する中で、それそれの学者が論争しており、結局「何が一番理にかなっているか」ということが、はっきりと確定できない、ということも経験した。
また、それぞれ自分の見解が「正しい」という証明に終始しなければならない「つらい職業」であることも認識した。
「正しい」という証明は「悪魔の証明」にならざるをえない。また、「正しいのだ」という固定観念をもって研究しなければならないため、結果的にそれを信奉する「信者」のような研究者たちを作ってしまうのを見てきた。
それは自分が仏教を研究するという目的とは違うし、むしろそれを妨げるものである、と思った。
このようなことが明確にわかったからこそ、学問の世界と距離を置くことが出来たのであると思う。

私は「読めれば良い」のである。昔の人が書いた文献を「現代の日本語として」自然に理解できればそれで目的が達成される。それ以上のことは、まったく求めていない。それが私が今でも何かを読んでいる理由である。
それ以外の学会の政治やら、権威主義やらはそれと関係のないことである。
だから、昔の文献を翻訳する時には「自分にとって、自然に日本語として理解できること」を基準にしている。
まあ、「自由訳」「意訳」と言ったほうが正確だろうか?
もしそれが間違っていたとしても、「読めない」よりはましだ。
だから先人の翻訳がある場合、意味の明快な方の翻訳を参考にして理解する。訳者の権威とか地位とかは参考にしない。
文章として自然に「原文」を解釈しているかどうか?が大切なのである。
もちろん翻訳は、一人のものではなく、できるだけ多くの翻訳を参考にする。そして訳者が基づいている「文法」についても、つねに意識している。
もともと、昔の外国人であるインド人やチベット人の文献を、現代日本語に翻訳するなど、非常に困難な課題であるのだ。
ましてやそれが正しいか、正しくないかなど、分かるはずもなかろう。それが「正しいのだ」と言って、限りなく妄想を膨らませることに、一体どんな意味があるというのか?
「いいかげんだ」と言って私を批判する人もいるであろうが、所詮文字や言葉など、安定しない無常なものなのだ。
自分の理解しうる範囲でとどめておくのが一番良い、と思っている。それらに執着して自らを苦しめることはないのだ。

* 肉身の仏陀に執着することの愚かさ

大乗仏教では、仏陀を法身、受用身、変化身の「三身」として見る。
歴史的な仏陀と考えられるのは、そのうちの「変化身(nirmāṇa-kāya)」である。
それは、「衆生おのおのの望む対象は、適当な時に成就するから、そのとき、変化身の流れはいつでも現れるであろう」(ジュニャーナガルバ『二諦分別論』より)という仏身のありかたであり、衆生の望みに従って現れる仏である。
シャカムニも変化身であり、上座部仏教が伝えるような教えを説いた存在である。
大乗仏教では「三世一切の諸仏」という考え方をする。過去にも現在にも未来にも、真理そのものである「仏陀」は理法の身体(法身)として存在し続けている、と考える。
だから、歴史上の仏陀に執着したり、ましてやその言葉をめぐって論争したりするなどということはない(論争が起こるのは仏陀の言葉そのものに対してではなく、むしろ論者の仏法理解の仕方についてである。直接仏陀の教えに反している、という視点での論争はあまり見かけたことはない)。
上座部仏教は、詳しくその主張を検討したことがないので、はっきりしたことは言えないが、そのような変化身である歴史上の仏陀を絶対視し、そのお言葉である「経蔵」を唯一のよりどころとしているらしい(この態度が、一神教であるキリスト教と共通するところがあったので、西洋に受け入れられたし、また上座部仏教にも逆に影響を与えてしまった可能性もあるような気がする)。
そしてそれに反する教えはすべて「異端」として批判したり攻撃したりする(仏教では、たとえいわゆる「異端」であっても、ただ分派するだけでキリスト教のように迫害して殲滅するようなことはしなかった。)。
まさに「原理主義」そのものではないか?実際に、ミャンマーでは「仏教原理主義者」が存在し、ロヒンギャ族の人たちを迫害したりしていた(ロヒンギャ族の人たちはイスラム教徒であったから。異教徒を排斥する、という姿勢がいかにも多様性を受け入れられない原理主義者らしい)。
いかに歴史上の仏陀であろうと、後世の者たちがそのようなことをするだろうとは、思わなかったかもしれない。
上座部仏教の人たちは、自分たちが伝えてきた「経蔵」を仏陀の肉声として信仰している。それについてとやかく言うつもりはないが、もし彼らが他の立場を一切認めず、自分たちの殻の中でひたすら「文字」に執着しているとするならば、悲しいことだと思う。
私はそのような立場で仏教というものを信じていないのである。
仏教とは困っている人を慰め、助ける教えではないのか?少なくとも人をいじめたり痛めつけたり、立場を異にする人々を排除したりする教えではない、と私は思っている。
しかし現実には、仏教にはかつてのそのような行いの痕跡がしみついている一面もあるのではあるが。

* 「さる先生」の話

一昨年前の今日、仏教関係の出版社である大蔵出版のホームページにこのような「声明」が掲載された。
「さる先生」によって、上座部仏教研究者である清水俊史氏の出版が妨害された、というのだ。声明の中の「焚書」という強い言葉遣いには、出版社が感じた強い憤りが込められているように感じる。
昔から仏教学界には師弟関係と権威主義が強く存在している。もともと、それは優れた研究を生み出すための地盤であったし、もしかしたら、昔の中国における「学堂」「講堂」の時代からの伝統なのかもしれない。
その中で、私のように優秀でない者(語学力がなかったり、頭が悪かったりする)や、師の業績を否定する者は選別されるようにできている。
もちろんチベット仏教の伝統における「僧院」も、このような伝統の中で存在してきた。
しかし、今回の問題に関しては、それが近代教育の場である「大学」にまで、安易に持ち込まれたきらいがないでもない。
「さる先生」による「就職先がなくなるぞ」という脅しは、権威主義の隠然たる伝統が、まだ仏教学会の中で続いていることを示している。

清水先生の研究されている「上座部仏教」は、大乗仏教から見て「劣乗」とか「小乗」とか「声聞、縁覚」と呼ばれ、あまり評価されなかった。
大乗仏教はまさにその「小乗」の批判から生まれたものである。批判するからには批判対象である「小乗」を熟知していなければならないのはいうまでもないであろう。ゆえに大乗仏教は小乗仏教の後継であるとも言えるのだ。
私の想像でしかないのだが、大乗仏教は正統派であった保守的な「小乗」を批判した人たちが集まって作ったか、あるいは、「小乗」とは異なるグループの僧団によって形成されたのではないだろうか?だから、その僧団には「律」も存在する。
少なくとも、「在家仏教」ではなかったように思う。大乗経典を読むと、「小乗」仏教を熟知した人でないと、書けないような内容である。
大乗仏教が「小乗」を批判するのは、それがまさに狭小な権威主義に終始し、釈迦の直説であるという「経蔵」に固執し、大衆の救済を忘れて専門的な議論に終始する、という点であった。これは多くの大乗経典の中に見られる記述によって明らかである。
大乗仏教は文字に執着しない。いや、執着しないというよりはむしろ、それを仮のものとし、絶対的なものではないとする。
それは教えを伝えるための「手段」に過ぎない。目的が終われば捨て去られるものである。
大乗仏教の中観派に至っては、「主張」すらしない。なぜなら言葉そのものは、真理そのものではないからだ。そのように不完全な「言葉」を使って、絶対的な真理であると「主張」してもどうなるというのか?
あくまでも真理は各人が経験する目の前の現象の方にあるのであり、決して文字そのものが真理ではない。

仏教学を研究する人たちが、醜い争いをするのは悲しい事である。
一体、仏教の教えのどこに、執着に値する真理などあるだろうか?
文字によって組み立てる理論をナーガールジュナは「戯論(構想されたもの)」と呼ぶ。それこそがあらゆる苦しみの根源だとも言っている。
昔は仏教学者を志したこともあるが、このような争いを目の前にすると、ならなくてよかったなあ、としみじみと思うのである。

* 難しい漢語

日本の仏教の経典や論書は伝統的に「漢語」を使って表記される。
これは日本の仏教が中国から輸入された「漢語訳」の経典によって成り立って来たからである。
この伝統は現在でも踏襲され、なかなか変化しない。 仏教の教えが「難解」「分かりにくい」と言われるのは、これが原因だと思う。
昔の仏教は、ごく少数のエリートたちによって、奈良の仏教寺院や高野山、比叡山で学ばれてきた。それが鎌倉時代になって、ようやく一般の民衆に対しても開かれるようになったのである。
その後、一般の民衆に対して分かりやすい「仮名法語」などが作られるようになった。
時代が下ってくると、驚異的に識字率が上がった。これは鎌倉新仏教を担った僧侶たちの奮闘による所が大きいのだと私は思っている。
日本人に字を読めない人が少ないのは、先人の努力があったからだ。
このようなことを考えると、難しい漢語を使って仏教を説明するのは、あまり良いこととは思えない。もちろん、師子相承の伝統は伝統仏教の要であり、曲げてはいけないことではあると思う。しかしこれを未来永劫に渡って続けていくのだろうか?
「誰にも理解できないもの」をいつまでも墨守するのは、オープンな姿勢ではない。どこか閉鎖的で、閉ざされた態度だと思う。
チベット仏教は自国語に訳された大蔵経を持っている。 一方の日本仏教が伝統的に使ってきた大蔵経は「漢語訳」である。明治時代にパーリ語から日本語に翻訳された『南伝大蔵経』があるが、訳文は漢語訳の強い影響が見られるため、漢語の書き下し文のようである。しかしながら、日本語訳の大蔵経がかつて作られたということは、すばらしい事だと思う。近年、仏教の経典や論書も、現代日本語に訳されるようになったことはとても良いことだと思うが、まだまだチベット仏教の持つ大蔵経の規模には遠く及ばない。
チベット仏教は日本より欧米で人気があり、多くの経典や論書が英語に翻訳されている。それらを読むと、古典漢語では分からなかった言葉の意味が現代日本語として、頭の中で理解できる事がある。漢語は意味が確定しづらく、どういう意味なのか、まったく分からなくなることが多々あるのだ。
「意味など分からなくても良い。もともと仏教は文字で知るものではない」という伝統的な意見があるのは知っている。しかしそれで本当によいのだろうか?それではいつまでたっても、日本人は仏教を受け入れることはできないだろう。文字や言語はものごとの考え方を伝える唯一の方法ではないのか?たとえそれが「テクニカル・ターム」であったとしても。それらの専門用語には、解釈があってしかるべきだと思うのに、日本の仏教にはそれらが欠けているような気がする。一方のチベット仏教には、それらがあるのだ。指標のある、なしによって、対象の理解に関して非常に大きな違いが生まれるのは必然ではないだろうか?
漢語は難しすぎる。そろそろ「漢語」に依存することをやめてみたらどうだろうか、とも思ってしまう。
極論であるのは十分承知の上で、あえて問題提起してみた。

* 生物に対する慈悲

大乗仏教の特徴として「慈悲(karunā,snying rje)」を説くことがある。
「空=縁起」を深く知った結果、「現在成立している自分が、さまざまな条件の中で仮に成立しているもの」であることを認識して、その条件(縁)が何であるか、ということを考えられるようになる。
私たちは、食事をしてさまざまな命を頂くことなしには、現に成立していない存在である。
毎日、米を食べ、野菜を食べ、肉を食べなければ、成立できない。われわれの社会は、それを生産したり、集めたり、殺したりなどの行いを、だれか他の人がやってくれ、それが経済の仕組みの中で店に並び、それをお金で買って食べることで動いている。
だから、食べるものが殺される所を、見ている人は少ない。野菜や米だって生きているのだ。その命を奪わないと生きて来られなかった存在なのである。これはずっと昔からそうだった。このように考えると、一番悪いのは、それらを食べる人間である。
その現実を見て、感じるものが「慈悲」である。悲しいと思うだろう。であればそれらに対して、どのような心を持ったらよいのであろうか?
人間とは実に罪深い行為の蓄積を抱え込んでいる。それは、どのように否定しようとも、否定できない。どのような聖人であれ、ものの命をうばわなければ、成立できない存在なのだ。それをやめれば、どんな偉い人でも生存することはできない。
それをあたりまえだと思わず、常に思い続けること。そうすることで、それらの存在ばかりでなく、どんな生物に対しても、慈しみの心が湧いて来ざるを得ない。自分など、理不尽に死んだり傷つけられたりしても仕方のないほどの存在なのだ。
他を恨み、「私はどうしてこんなに不幸なのか」という言葉を、あなたために死んでいった無数の存在に対して、言えるだろうか?
よくよく考えてみなければならない。この「命の連環」をはっきり認識することが「空=縁起」を実感することである。そうすればどこにも自分に関係のない存在はないし、未来永劫に渡って無関係になる存在もないことがわかる。たとえ死んでも、この宇宙の法則の外側に行ける存在など無い!そのような存在がある、と考えることはできるが、それは実際には存在しないものだろう。
われわれは死んでからどこにも行かない。依然として、この「法」の世界の中に存在し続ける。そしてある時は食べられ、ある時は食べるであろう。
簡単に「解脱」などと言うが、それがいかに難しいことなのか、知るべきだ。はたしてこのように何億年も前から細胞の奥深くまで欲深さがしみついている人間が、「解脱」など簡単に出来るものだろうか?

* 生物の定義
『中観荘厳論』の中で、生物の定義とも言える記述があるのは第16詩句である。
「意識は無生物の自性とは全く逆のものとして生起する。(rnam shes bem po'i rang bshin las/ bzlog pa rab tu skye ba ste/)
無生物でない自性であるものが、これ自身を知るものである。(bem min rang bshin gang yin pa/ de 'di bdag nyid shes pa yin/)
生物はすべて「自己認識(rang rig)」する意識をもっている。この詩句は、明瞭に対象(心的形象)を知るには、この自己認識の働きがなければならないとする。
これは、例えば車を認識する場合に、車以外の概念を排除することで車の概念を理解するように、まとまりのないものから認識そのものを生み出すのである。外界の対象が実在するとかしないとかの問題ではなく、あくまでも意識の中に現れる形象を扱っている。
外界の対象を認識するというのが、外界実在論者である経量部の考え方であり、いっぽうの唯識派は夢の中でも対象が認識されるように、外界の対象は実在しないという。たしかに「実在」という概念自体が、われわれの脳の解釈から生じているに過ぎないものである。
われわれが外界の対象であると考えているものは、実は自分の脳が作った形象にすぎない。それを突き詰めて考えれば、心以外に「物体」を想定する必要は必ずしもない。
同じものを見ても、それが他人の心にどのように映っているのか、存在するものとして映っているのか、それともそうでないのかを、われわれは知ることができない。
仏教が意識、心について深く思索し、観察した結果、このような議論を生み出すことになった。
「自己認識する意識を持っていること」が、生物の定義である。これは対象を明晰に見たり感じたりできる。当然、これは無生物とされる感覚器官の有無に依存するものではない。
感覚器官そのものに意識はない。それを解釈し映像にするものこそが「意識」なのである。
複雑な議論が展開されているが、要点は以上のようなことではないか、と私は思っている。

* 『廻諍論』の翻訳公開

ナーガールジュナの作とされる『廻諍論』の翻訳を作ってみた。
このサンスクリット原典に関する問題点は以前に指摘したことがあるが、デーヴァナーガリー文字で原文が記されていない、音写であることなどから、完全な写本ではない。チベット仏教で最も重視される師であるチャンドラキールティによる引用(『プラサンナパダー』に引用がある)が、この文献に関して残っているにもかかわらず、原文が不完全にしか残っていないことは残念である。
しかしながら、現在の文献学者が、バラモン教の言語学者の作ったサンスクリット文法によって解釈したものと、古代のチベット人が「当時の」仏教学者の理解によって翻訳したものとの間には、おのずから違いがあるのではないだろうか?
そう思ったので、私はチベット語に訳された『廻諍論』から日本語に訳してみることにした。
翻訳というのは、実に繊細な作業である。言葉のニュアンス、文脈から読み取れる意味は、翻訳者によって大きく異なってくる。
よく「翻訳は、解釈である」と言われるのも、そのあたりに起因するのであろう。
『廻諍論』は中観派、特にチャンドラキールティの思想的立場である「帰謬論証派」にとって重要な文献である。その中で多用される「帰謬」(命題の逆が論証されることで、命題が論駁されること)は、チャンドラキールティがもっぱら用いる論法であり、世俗的な文脈においても、それのみが使われるのである。ダルマキールティのように、「インド論理学」が使われることはない。
チャンドラキールティはこの「帰謬論証」だけでよい、と考えていた。
後期のチベット仏教に大きな影響を与えた「帰謬論証派」の空性理解は、ツォンカパによって決定的なものとなり、現在のチベット仏教の主流となっているのである。
改めてチベット語訳『廻諍論』を読んでみると、サンスクリットから訳された従来の解釈とは異なる部分があることが分かる。それは「原典が違っていたから」だけではないようにも思う。古く漢文に訳されたものも残るが、今までこれは「不十分な翻訳」とされ、等閑視されてきた。『廻諍論』が論理的な事項を扱っているために、漢文を見るだけではどうしても意味が確定できないことが原因だと思われるが、本当に「不十分な翻訳」であったのかは、大いに疑問の残るところである。
翻訳は時代が変われば変化する。「言語(langue)」は保守的な体系ではあるが、ゆっくりと変化している。昔の解釈と、現在の解釈が異なることは、当然のことであるし、ましてやその文献が作られてから2000年以上も経過しているであろう文献の解釈に関しては、なおさらである。
この「正確な理解ができない」ということが、翻訳の難点である。結局は「現在のものさし」を無理やりあてはめて、解釈しているだけなのかもしれない。

* シャンカラ先生

シャンカラの言葉の集成とみられる『ウパデーシャ・サーハスリー(千の教説)』は、たまに読む本である。岩波文庫にある。
シャンカラはインド六派哲学のヴェーダーンタ学派の学者で、しばしばインド最大の哲学者と言われる。残念ながら30代で亡くなったらしいが、圧倒的な知識と頭脳を持った天才だったようで、おびただしい数の文献がシャンカラに帰せられ、現在もヒンドゥー教では崇められている。
実質的にバラモン哲学からヒンドゥー教の流れを創始した偉大な哲学者、実践者である。
彼の言葉の中で、しばしば仏教の見解が批判されるのが見える。例えば、仏教の説く無我は「アートマンの無を説く虚無論」であると言う。ただしこれは、当時のバラモン哲学においては共通見解だったようで、シャンカラと弟子の問答でも前提になっている。
シャンカラの説では、世界はブラフマン(梵)が作った幻であり、我々が無知であるから、様々に現象が展開するのだ、という。そして、ブラフマンの一部である「アートマン」(我)は、決して変化せず、常住な存在であり、現象とは無関係な、言葉で表現できない存在として、我々の内にある、という。
一見して仏教の唯識説に似ているが、「決して変化しない、永遠の存在だ」という部分が仏教の唯識説とは違う。
仏教の真実は、そのような存在が「無い」からこそ、現象が展開するのだ、というのである。ただしそれらの展開は無明があるから起こるという部分はシャンカラの説とよく似ている。唯識説の場合、無明が無くなると無二知(主観・客観の区別のない知)を得て成仏する。
シャンカラの説では、決して変化しないものが、変化するものの原因となるので、矛盾が生じる。この難点については『ウパデーシャ・サーハスリー』の散文編第2章での問答で、弟子の質問に対してシャンカラが答えている。
それによれば、われわれは無明の為に、常住不変のアートマンを認識できない。アートマンを認識すれば、変化するこの世界は幻であり、存在しない。
つまり、「無常だ」と思っていることが誤りであり、真実の世界の誤認である、と言うのだ。仏教の説とは全く対立する考えかたであるが、そのアートマンの認識は、人間の思考の向こう側にある。したがって、通常の「知る」という方法で認識できない。
その究極の段階に至れば、仏教の究極の段階と本質は同じである。それを「ある」というか、あるいは「ない」というかの違いである。

* インド哲学一般と仏教の間の論争

インドの哲学はだいたい、同じようなテーマを扱っている。認識論、存在論、論証学が主要な分野だ。グプタ朝ぐらいにサンスクリット化された大乗仏教も、他のインド教哲学にあわせて、これらのテーマに対して、独自の見解を示すことになった。
これによって、インドの哲学の間で論争が行われるようになったが、共通語がサンスクリットになったからこそ、それらが可能になったのであった。
これらの論争は仏教がインド本国から姿を消す12世紀ごろまで続いたのである。
その間に、アサンガ(無着)、ヴァスヴァンドゥ(世親)をはじめとする多くの論師が輩出した。
これらの成果は、仏教の枠を超えてバラモン哲学にも影響を与えていたと思われる。
逆にバラモン哲学の内容が仏教にも影響を与えた。
それぞれが「サンスクリット」という共通言語の元、活発に研究、論争を行い、お互いに刺激しあいながら活動していたのである。
論争の中にはお互いの意見を否定しあう部分も確かにあるが、基本的に相手の全面否定はしない。
ただ、仏教は他のインド哲学一般承認する「ブラフマン」の実在を唯一否定していたため、相手から激しい論争を仕掛けられる事になった。
インドに仏教が残りづらかったのは、この一点が理由である。

* 素質に手を加えない

われわれ人間には、生まれ持った素質がある。これはその人が自然に与えられた性格であり、能力でもある。
よく「才能を延ばす」とか「潜在能力を引き出す」とかいうことを謳っているセミナーがあったりするわけだが、私はそういうものは必要ない、と思っている。必要ないどころか、そういうものは下手をすると、その人間に再起不能になるほどのダメージを負わせることもある。
無理をすれば人間の「底力」を引き出すことができる。生命の危機を与えてやれば「思わぬ力」が出る、というのがそれらのセミナーの根本にある思想だ。
しかしそういう「火事場の底力」的な能力を、無理に引き出せば、人間にとっては大きな負荷になることは確実だ。それは生命を守るための「非常ブレーキ」のようなもので、決して普段使うようなものではない。
普段どおり生活していればよいのである。安定して回っているコマを、無理やり回そうとすれば、バランスを崩して止まってしまうのがオチである。
普段どおりの生活をし、あたりまえに認識し、あたりまえに無理のないことをしていれば、それほど問題が起こることは無い。
「日常」はつまらないかもしれないが、「日常」ほど貴重なものはない。「つまらない」とか「不満だ」とか思わないほうが良い。「日常」でない人生を、人は「不幸だ」と言う。

* チベット仏教への警告


上記ダライラマ法王の説法をお聞きになるとわかるように、最近、チベット仏教の中にもいろいろな解釈をしたり、ひどい場合は「破戒行為」などを行う集団があるようだ。
このような集団は自らを「チベット仏教」であると称しているが、法王によれば「学問なきチベット仏教」は、さまざまな誤りを犯すことになるという。したがって昔から仏教に伝わっている多くの経典に従って良く学ぶことが必要だと訴えている。これらは仏教の根本の教えだからだ。それらを学ぶことなく、どうして仏教だといえるのだろうか?
学問とはここでは基本的な仏教哲学、認識論、論理学のことを指している。これは「人間の認識の当たり前で自然なありかた」を学習する、ということで、現代科学の出発点にも通じる態度である。最初から高度な瞑想を行うことは、例えば数学を知らないで、理論物理学を学ぶようなことになってしまうだろう。仏教では基本的な仏教の知識、認識論、論理学の伝統をどの宗派でも多少なりとも伝えている。これらを学ぶことなく、瞑想をしたって、なんの役にもたたないばかりか、害になる、ということを、法王は言われている。
学問もせず、ただ瞑想するだけでは「ハトのほうがよっぽどうまくやっている」ということになる。ただ瞑想しているだけでは、何の役にもたたないのだ。
仏教哲学や認識論を学び、瞑想することによって、自分の心を観察して「貪り」「怒り」「愚かさ」の三つの毒を取り除いて行くことが出来なければ、何の意味もない。これらは他人を傷つけ、自分を不幸にする原因だからである。そのためには心の構造と仕組みを学んでいなければ、何を取り除いたらいいのかすらわからない。
瞑想の経験は先人が苦労して経験した「あたりまえの心の世界」を正しく認識するためにやるのであり、その追体験でもある。もしもそれ以外に瞑想体験自体に特別なものを求めるとするならば、それは脳内物質の異常分泌を経験するだけになって、何の意味もない。少なくとも現実の社会に生きようとするならば、かえって邪魔になるだけだ。
したがって瞑想は「自分のこころを静かに観察し、ありのままにそのサル的な本能を認識する」ためにするのである。瞑想それ自体には、それらを浄化する働きはないのだ。
治すには、瞑想で確認された、誤った自分の心の行いを改める必要がある

仏教は「幸せに現実社会を生きられる」ようになるための教えであり、そのためには常に「あたりまえの世界」の一員である必要がある。それを忘れたら、あたりまえの世界とは別の世界に入ってしまうことになるだろう。

* 純粋に仏教を学びたかった

私が仏教学を志したのは「純粋に仏教とは何か」を知りたかったからであった。
しかし実際に仏教学を学びだすと、宗教系の大学であれば、その大学の母体となっている宗派の教義が一番正しいのだということを証明せよ、という雰囲気で満ちていた。
私はそれはおかしいだろ、と思ったので客観的に学べるであろう国立大学へ行った。
しかしそこも、雰囲気はだいたい同じだったように思う。
そして、対象となっている仏教も、様々な派閥に別れ、政治とも関係しながら、大きく変容してきた歴史があることを知った。
結局、「仏教とは何か?」ということは分からなかった。
そして今ではそれで良い、と思っている。
わかったことは「文字の勉強では限界があり、集団で実践しても社会生活から遊離する」ということであったと思う。

* 宗教体験は自分のこころが作ったもの
こころの中身を「言語」によって外に表示したのが「思想」であり、それを「信仰」している人がいる状態を「宗教」というのだと思う。
「宗教」は神などの第3者からの「啓示」を受けた、という意味合いが強いように思う(特にキリスト教で)。
以前にも書いたことがあるが、1990年代に大きな事件を起こし、死刑になった優秀な科学者はそのような「啓示」の性質について、「脳内物質の異常分泌」による現象であるという結論に達したようだ(だからといって、そのような宗教体験の存在そのものを否定していたわけではなく、「科学では解明できない現象が存在するのかもしれない」とも言っている)。
それらの宗教体験は強烈で、その人間の人格まで変えてしまうことがある。 それこそが「思想」と違う部分で、そのような体験をするとまるで「第3者」が乗り移った(そんなことはありえず、それらのイメージは自分自身の脳が生み出しているものである)ように感じ、「啓示」を受けたと錯覚するのである。
それらの「体験」を否定するものではないが、それを悪用すると、とんでもないことになる。
ゆえに現代社会においては、それらの体験は精神医学の分野で解釈すべきである。
伝統的なチベット仏教、禅などでは異常な体験をしても、それらが「自分自身の心が作ったものである」ということを理解するように、何度も注意している。

* 全知全能の人間は存在しない
釈迦やキリストは「全知全能の人間」を説いていない。
「全知全能」であるのは、釈迦の説では「縁起している現象そのもの」であり、キリストの説では「天におられる神」である。
「全知全能」である者は、決して「人間」ではない。人間はそれを知ることすらできない。ましてやそれになることなどできない。
それを深く理解して、それを「人間」に知らしめようと試みたのが釈迦やキリストであった、と私は理解している。
だが、最近「我こそは現人神」だと主張し、とんでもない惨禍を世間にまき散らしている人間が存在している。
けっして「それ」になれないものに「なった」と主張しているわけである。
そしてそれを信じている人がいる。信じるという行いは信仰対象の中に「自分の似姿」を投影しているものである。
信教の自由であるから、信じたい人は信じることは禁止されていない。
しかし、私はそのような幻影を信じることはない。

* チベット語は難解か

チベット語は、なんとなく日本語に似ているように見える。
しかし、発音体系は中国語に近い。
そのため、まずつまずくのが、発音の難しさである。たとえば「gra」を「タ」と発音したり、「nyid」を「二―」と発音したりするように、表記から発音を推測するのが難しいため、発音表を覚える必要がある。わたしはめんどうくさがりなので、頭の中では文字通りに理解していたが、最近は覚えるようになってきた。
発音から文字を想像しにくいのは、まさに中国語と同じである。
そして、経典や論書などの古典を読むときには、当然それがサンスクリットの翻訳やその影響を受けているので、サンスクリットの理解が必要になる。
そのまま、チベット語として読むと、複雑な、入り組んだ文になっている。しかしこれでも読めないことはない。
最近は良い文法書やツールがあるので、昔と比べたら格段に環境が整っている。ただし、日本語のリソースはとても少ない。
インターネットでも文法書がダウンロードできるが、これはインターネットで入手できる、ほぼ唯一の日本語による文法書ではないだろうか?
これにしても、格を9つとする新しい文法解釈によっているので、とっつきは悪いかもしれない。
しかしこれを参考にすれば「チベット語をチベット語として」読むことができ、今までとは違った訳文が出来る。
これまでは「第二のサンスクリット」として読まれたため、本来のニュアンスが読み取りにくかったが、これによれば、新たな視点でチベット語を読むことができるので、常に参照しているのである。
「本来チベット語に関係代名詞はない」というだけで、サンスクリットとは全くちがう言語であることが分かるであろう。
翻訳の為に、特殊な形式がよく出てくるが、それらはなかなか難解である。

* チベット仏教の顕教

チベット仏教はインドの後期密教をよく伝えているが、顕教(仏教の基本的な教え)についての翻訳を膨大な数で持っている。
これについては先学の論文が膨大な数にのぼる。インド大乗仏教の原典がほとんど失われてしまっている現状で、チベット語に正確に翻訳され「原典を復元できる」レベルで残っていることは、幸いだという他はない。
このように、貴重な文献がたくさん残っているにもかかわらず、エスニックで神秘的な「後期密教」ばかりが注目され、基本の教えはないがしろにされているのではないだろうか?
「密教」は「実習的な」教えであり、正しい教えを伝承している師の指導なしに実践してはならない、とされている。そうでなければ、誤解して、たいへんな害になる。近年日本でもその「誤解」によって、とんでもない事件が起こってしまったのは周知の事実である。これを「誤解」することが及ぼす害は甚だしい。
チベットでは「密教」を学ぶ前に仏教の基本的な教えを学ぶカリキュラムが徹底されており、そのカリキュラムを学んでいなければ、「密教」を実践できない。
かつて仏教の受容期に、インド後期密教をそのまま導入して、国内が大いに乱れたことに対する深い後悔と反省が、その理由である。
もう少し、チベット語大蔵経が伝える「顕教」の部分が学ばれてもよいはずだ。いやむしろ、その方が今求められていることではないだろうか?

* ナーガールジュナの本意

大乗仏教中観の流れの最初の祖師ナーガールジュナは、多くの著作(語ったものかもしれない)を残している。
しかしながら真作と考えていいものは限定される。私は『中頌(Mūlamadhyamakakārikā)』以外のものは、疑わしいという立場だ。しかもその『中頌』にしても、写本、エディション、翻訳間でさまざまな相違がある。ただ、その比較から、ナーガールジュナが本当に述べたかった事は、だいたいつかめるのである。
ナーガールジュナは論理学の知識はあったと思われるが、それによって積極的に論争をしかけることはなかった。むしろ論争そのものがむなしいものである、と考え、静かに仏教の核心の教えである縁起と空を説いただけである。この側面は、後世「帰謬論証派」によって発展させられるのであるが、これは「定式化」を伴っているので、ナーガールジュナの真意とは異なっているだろう。一切の論証をしない、というのがナーガールジュナの基本的立場であったから。
仏陀の説く縁起は、この世の中にはそれだけによって成り立っている「我」は無く、複雑に関係しあう原因と条件の中で、「我」と誤認される現象が起こっている。それらの因縁は「空」であるから、存在するとは言えない。究極的に考えればすべての存在は「生じてさえいない」。「私」という存在は、じつは誤認でしかない。従って「論争する者」「対論する者」の両者も、言葉も、文字も、現象も「見られない」。だとすれば、お互いにいがみ合って戦うことに、どんな意味が存在するだろうか?勝者も敗者も、ありえないのであるから。
この世界は「無自性」というあり方で現象している、としか言葉では表せない。ナーガールジュナの本意は、その世界に人々を導き、人生の苦を離れさせようという慈悲に基づいている。闘争は「言葉」「概念」に基いて起こる。そこから苦しみが起こる。それらが無ければ、どうして闘争があるだろうか?

* 『廻諍論(Vigrahavyāvartanī)』について

この論は、龍樹作と伝えられる著作の中で『中頌』とともに、サンスクリット原文が残る貴重な論書である。
(追記:
米澤嘉康「「廻諍論」のテクストについて」、印度學佛教學研究第40巻第1號、平成3年12月によれば、「VVの写本は, 1936年7月, Rāhula Sankrityāyanaの調査によって, チベットのṢha-lu寺において発見された。現存する写本は, これが唯一のものである。Rāhulaの報告によると, この写本は, 全7葉, 各葉8行からなり, チベット文字(dbu med)で音写されており, 年代は12世紀初頭と推定されている。」とある。元の写本はチベット無頭字体で記された「音写」であり、インドの文字で記されていないものである。写本の年代も12世紀(アティシャ入蔵後)で新しい。しかし漢訳は後魏の毘目智仙が541年に訳出したと記録され、『廻諍論』自体はかなり古い時代から存在していたことは確かなようである。
後出の文で検討したサンスクリット文に該当する部分の漢訳は以下の様になっている

我語言若離 因縁和合法 (わたしの語る言葉が、もし因縁の和合した法を離れているならば)
是則空義成 諸法無自體(これが空の意味であり、諸法が無自体であることが成立する。)
若因縁法空 我今説此義(もし因縁法が空であれば、私は今この意味を説くことができるのである。)
何人有因縁 彼因縁無體(何かが因縁を有しているならば、その因縁は無体である)
となる。「何人…彼」を「およそ~であるもの、それは~である」という関係代名詞として読めば、サンスクリット文とだいたい一致するが、漢文では普通反語表現としての「誰が」と読みうる表現であり、紛らわしい。

このように、漢訳は意味を決定しがたい。しかし、校訂されたサンスクリット文も原本が漢訳の原本とは違っているように思われる。
まだ、チベット訳を見ていないので、正確なことはわからない。

これはおそらく仏教のアビダルマ論者(説一切有部)からの論難に答えたものである。アビダルマ論者は、実在論に基づき、全てのものに「自性」(本体=アートマン)があるから、世界は成立しているのである、という思想を持っていた。これは我々が見ている普通の現象世界の説明に近く、普通の人であれば、アビダルマ論者の主張の方が理解できる、と思うはずである。
主な論点は次のやり取りにまとめることが出来るだろう。そもそもこの『廻諍論』は、これ以上のことを語っていない。
まず、アビダルマ論者は、次のように仏教の中観派の教えを論難する。

sarveṣāṃ bhāvānāṃ sarvatra na vidyate svabhāvaś cet |
もし、どこの、どんな存在にも自性(固定不変の実体)が見られないならば、
tvadvacanam asvabhāvaṃ na nivartayituṃ svabhāvam alam iti
君の言葉も無自性であり、十分に自性を否定する事はできない。

要するに、「空だから君の言っている言葉も空だ」ということは、自己矛盾している、というのである。これはアビダルマ論者が「自性の無いものは存在しない」という思想に基いていることを示している。

これに対して、龍樹の反論は

hetu-pratyaya-sāmagrāṃ pṛthagbhāve 'pi madvaco na yadi /
もし私の言葉が原因と条件の和合したものにも、それと異なる存在にも無いならば、
nanu śūnyatvaṃ siddhaṃ bhāvānām asvabhāvatvāt
諸存在は無自性であるから、実に空性は成立する。

「nanu」は「実に」として読むのが良いようだ。
この場合、私の言葉が空であるのと同様に、全ての物事も空である。空でないものは存在しない、と言っているのである。この場合、かえって空でない「自性」を説くアビダルマ論者の方の理が通らない。この世に言葉も含めて「自性」がある存在など無いのだから。
yaś ca pratītya bhāvānāṃ śūnyateti taṃ brūmaḥ /
そして、およそ諸存在の条件によっていること、それを空である、と我々は言うのである。
yas tu pratītyabhāvo bhavati hi tasyāsvabhāvatvaṃ
あるいは、およそ条件によって存在するものは、実に、その無自性自体である。

龍樹は要するに「言葉というものは、縁起しているから無自性であり、それゆえに無自性であると言うことは出来るが、無自性によって無自性を否定することはできない」と言っている。アビダルマ論者は「自性」がある、と想定した言葉によって無自性を否定しようとしているが、それはそもそも存在するはずがないので否定するのは無理だ、と言うのである。大乗仏教の立場から言えば、この世にある存在で自性のある存在は微塵ほども存在しないのであるから。存在しないものが、どうやって諸法無自性の理を否定できようか?否定してみたところで、諸法は無自性というあり方で、現象しているだろう。
このような議論は、一般的な感覚(世俗の感覚)からすれば、「詭弁」にしか聞こえないであろう。
事実、バラモン哲学の一派であるニャーヤ学派は中観派のこのような議論を「詭弁」だとしたのである。一般的な感覚は「自性がある」という認識に基いて構想されているために、そのように思えるのである。
従って、仏教の教理である「縁起」を認められない者には、この論理は通じない。この議論はこの後もこの調子で進むため、お互いの主張が平行線で終わってしまう。
仏教の究極的な真理の立場で、言葉自体を無自性だとすれば、自性を認める立場の論理体系自体を否定することになる。ここでの龍樹の意図は、その立場に基づき「自性(=固定不変の実体)」を鋭く否定することにある。これによって、相手の構築する論理が根拠をもたないことを指摘し、これに類するむなしい議論(戯論)を鎮めることが出来る。龍樹は相手が自性を成立させる議論に執着するアビダルマ論者であったからこそ、このような議論を為したに過ぎない。しかもそれは実際「言葉」である。その言葉自体は縁起しており、無自性なのである。無自性だからこそ、言葉は成立できるのである。
さらに、言葉以外のさまざまな現象も、縁起というありかたで現れている。それらは自性によって成立しているのではないのである。

※チベット訳は以下の通り

gal te nga'i tshig rgyu rkyen dang / tshogs dang tha dad pa yang med /
もし私の言葉が因縁と和合したものにも、それと異なるものにも無いならば
'o na dngos rnams stong grub ste / rang bshin med pa nyid phyir ro/
その時、諸存在の空が成立する。無自性だからである。
dngos rnams rten nas byung pa gang / de ni stong nyid ces bya dang /
諸存在が条件から生じることが空性であると言われ、そして
gang zhig rten nas 'byung ba te / rang bshin nyid med yin par smra/
およそ条件から生じるものは、無自性であると言われる。

* 宗教と現代

仏教に限らず、宗教は政治問題と昔から関わっている。これはキリスト教やイスラム教の例を見れば明らかである。宗教が「社会的倫理」を説く以上、避けられない事である。
為政者は国民をまとめ、そして社会の安定を図るために、宗教の力を頼りにしてきた。それが現在では「サイエンス」に位置を譲ろうとしているのだが。
しかしながら「サイエンス」だけではまだ人間の根本的な不安解消や、人生の意義を示すには十分でない。本当に心の満足を得るには、宗教の見解が必要だ。
なぜ、わたしたちは生きているのか、その目的は何か、どうしたら幸せに生きられるのか、といった問いに、サイエンスは十分に答えてくれない。サイエンスが答えることが出来るのは、そのはるか前の段階までである。
世界の伝統的な宗教は、数千年にもわたって、その問題を考え続けてきた。そしてその過程で残したものは膨大な遺産として残っている。実はサイエンスもその伝統の中から生まれてきたものである。
数値と論理によって、多くの人間にとって「普遍的」な真実を発見し、応用することによって、サイエンスは急速な発展を遂げた。しかしそれは数値と論理に、あまりにも偏りすぎているきらいがある。奇しくも、新型コロナウイルスの流行によって、「まだ世界には科学で制御できないもの」があることが明らかになった。
また、科学は極端な貧富の差、環境破壊を推し進め、それが本当に人類に平和と安定と幸福をもたらすものなのかが、疑わしくなりつつある。
一方の宗教は、様々な時代的困難、人類の危機をかつて何度も経験し、そのたびに教訓を記憶してきた。伝統的宗教ほど、それらの危機に対処してきている存在はない、と言えるかもしれない。
今に伝わる伝統的な宗教は、かつて何度も、そのような危機にさらされて再編され、姿を変えてきている。しかしその中に「真実」があるからこそ、現在までその命脈を保ち、衰退したり栄えたりしながら、数千年もの伝統を維持している。
これから先、宗教がどのようになっていくのかは定かでないが、「時代に適応できない」宗教は、消滅していくだろう、と思われる。なぜなら過去にもそうであったからである。

* ありのままの世界

仏陀が見た世界は「ありのまま」の世界であった。
後世に作られた仏陀のイメージは、ヒンドゥー教世界にあわせて神格化された仏陀像である。
大乗仏教と上座部仏教に共通して伝えられている教えを検討すれば、仏陀がもともと何を説いていたのかがわかる。それは決して神秘的直観で得られる見解でなく、むしろ、神秘的直観や知性など、人間の妄想を超えた世界である。
では、なぜ普通の人でも仏陀の見識に至ることが出来ないのだろうか?それほど当たり前の事であれば、学問や修行をしなくても、分かるはずだ。
しかし、世俗一般の人々は「欲望」や「競争」の原理で生活している。他人より良い生活を求めたり、お金を得たいと思ったりしている。
仏教の「ありのまま」の視点からすれば、それらはもともと「生じて」すらいない。仏教の究極の見解からすれば、そういうことになる。
しかしそれらは「無い」わけではなく、様々な原因と条件とが複雑に、一瞬の停止する瞬間も無く、現れているように見えるのだ。「見える」ということがすでに「ありのまま」を見ていないのであるが。
人間は肉体があるがゆえに、それらを見せられるように出来ている。いやがおうにでもなんらかの「認識」が生じるように出来ているのだ。それが実は「苦」の根本的な原因である。
だったら、それらの「認識」が無くなる状態、すなわち「死」ねば、「ありのまま」の世界を認識できるのだろうか?
「死」によって、「苦」が停止する、と普通の人は思うであろうが、そうではない。その原因と条件の力は、「死」によっても失われることは決してない。
だから、人間存在というものは、世界に対して責任を持っている。
死ねばこの現象世界から、どこか安楽な場所に行ける、ということは保証されていない。この現象は唯一であり、個人は世界の複雑なシステムが生み出しているものだ。将来どのような世界になるか、は個人の将来に直結している。
仏教はこのような「我」を超えた、はるかに大きな視点から世界を見ている。
「関係のないものは何もなく、どんな存在も、その法から逃れることはできない」と説いているのだ、と私は思った。

* 仏教は文字を否定しているのではない

大乗仏教で言われる真理の世界は、そのものを言葉で表現できない。
このことは、インドでもチベットでも中国でも変らない。
しかし、真理を理解するために「論理」を必要とするか、どうかで、インド・チベット仏教と中国仏教の間にはおおきな違いがある。
インド仏教では、真理の理解の為には「論理」が必要である。
正しい言葉の認識、そしてそれに基づく推論によって、真理の認識に至る。もちろん「禅定」も行うが、それはありのままに世界を見るために行う。
一方の中国仏教では「論理」やことばの知識は、真理を見るためにはむしろ邪魔者であり、初めから直接真理を「直観」することに重きが置かれる。
「禅定」もその手段である。
個人的には、よほどの才能が無い限り、真理を「直観」することは難しい、と思う。しかしこれが中国や日本の仏教の基本姿勢である。
いきなり仏教の実習に入るのは、とても大変だと思う。何も分からないままに、修行を行っても、まったく何も分からないか、下手をすると間違った方向へ行ってしまうおそれがある。
ゆえに、仏教の道に入る前に、よく勉強してから入る、という方向は正しいと思う。文字の勉強はそのために必要だ。
よく勉強して、納得がいかなければそれでも良い。
いつ勉強しても良いし、中断しても良い。
仏教には沢山の法門があり、いろいろな種類の教えがある。
少しずつでも学んでいけばいいのだ。焦ることは必要でない。
そのうちいつか「四句偈の一分」でも、真に理解できればいいのだ。

* アーラヤ識は心理学の「無意識」とはちがう

『摂大乗論』を読み直す機会があり、改めてその中に説かれる「アーラヤ識」が、フロイト流分析心理学で言うところの「無意識」とは内容を異にしていることに気づかされる。
ユング心理学の言う「無意識」はその内容として四つの「元型」を含む。
一方の『摂大乗論』の言う「アーラヤ識」は、そのような「動力源」を含まない。もちろん、アドラーの言うような「権力への意志」も、フロイトの言う「リビドー」も含まない。
そのような「意識のインフレーション」をもたらすようなものは、何一つ含んでいない。それらは、仏教で言えば「対治」されるべき妄念だ。そもそも「アーラヤ識」は、肉体を維持しているような力であって、常に「川の流れの様に」変化しつつ生成する識である。
これは不変化の「実体」と誤認される「神」のような要素を含まない。
それの本体は「縁起」しており、無自性なのだから。
それは意識の本体であり、これが「幻のように」起こっていることを見抜くことによって、我々の見ている世界の本質を悟る。これが「転依」である。
そしてさらにその「本質を見ているもの」は「中観」の見解によって検証された結果、存在しないことが明らかになる。
「中観」は「見ているもの、見られるもの」というもののない「無二智」をさらに超え「真に見ているもの、見られているもの」の段階に導く。
ユング心理学の言う「元型」は明らかに意識を支配し、影響を与える存在であるが、そのような「妄想」を「唯識」は説かないのである。

* 智慧

智慧はよく切れる剣に譬えられる。
代表的な般若経である『金剛般若経』は又の名を『能断般若経』と言い、「ダイヤモンドのように、知的葛藤を切る般若経」という意味合いだ。
全ての苦しみは知的葛藤(=戯論)から生まれるため、それらを切り捨てる意味がある。
しかし、これは鋭い剣であるから、間違うと自他共に切り捨ててしまうほどの力を持った経典だ。
それゆえ、これをむやみに振り回すことは慎まなければならない。
般若の智慧はたしかに鋭い。しかし、これは慈悲に基づいて用いられなければならない。十分に「対機(=相手)」の状態を見てから使うべきだ。
般若の智慧は、物事の本質が空であることを、ずばりと説き示す。
しかし、それはすべての人がその本来の意味を理解することを意味しない。ここが肝要な所だ。
誤解されてはならない。
そのために、仏教ではさまざまな経典があるのだ。釈迦の説法は相手によって、あいてに合わせて変わるのである。

* 慈悲

仏教における「修行」とは何だろうか。
それは「献身」の要素、「真理の体得」の要素など、多々あって、一様ではない。
大乗仏教では、六波羅蜜(6つの完成行=布施、持戒、忍辱、精進、禅定、般若の完成行)を修行項目にあげている。
この完成行は、仏に近づくための行であり、永遠に長い時間、続けなければならない。
これらは真理を体得するための「方便」とされる。
『大日経』では、
「菩提心を因となし、慈悲を根本となし、方便を究竟となす」
と言われる。
したがってこれらの修行の根本には「慈悲」がなければならない。
「慈悲」は他者に対する、慈しみの心である。
これがあってこそ、「方便」も成り立つのである。
他者の苦しみを取り除きたい、という自発的な思いが「慈悲」である。
いろいろな形が考えられるであろう。苦しみの根をを取り除くためには、つらい外科手術が必要な場合もあるかもしれない。
それは他者の為を思って、なされることである。
しかし、いかなることがあろうとも、相手に後遺症を残すようなことがあってはならない。
本末転倒になることもあるので、「慈悲」の解釈には十分な検討が必要だ。
医師が外科手術を為す時、十分に症状を観察し、適切な処置を施さないと、かえって患者を死に追いやることと同じである。
あくまでも、「相手の苦しみを取り除く」ことに主眼がある。まちがってはならないのは当然のことだ。

* 戯論(prapañca,spros pa)

縁起(=空。現実の世界そのもの)は、深く観察すれば「戯論」の静まった状態だという。
「戯論」の意味は、チベット語辞書によれば
”精巧な、凝った、広がる、出て行く、進む、無駄な議論、概念の増殖、障害物、名前のあるもの、議論、多重性、遅延させるもの”とか”命題、判断、記述された事実、言葉と思考、概念や発話による定式化、表現、展示、幻想、ビジネス、雇用、活動、製作、推敲、概念化、構成、精神構成、製作、多種類の活動、概念の限界、精巧な作り込み 複雑さ、 (概念的)精緻化、 装飾、構築物、精巧化、捏造、複雑さ、精神的構築物、概念的精巧化、言説的思考の拡散、命題、複雑さ。判断、評価、発言、概念化、事業、雇用、活動、雇用された、占有された、多方面の活動。装飾、拡大すること。複雑さ、あらゆる心的定式化。”
などを意味している。
要するに、「複雑な概念を作り上げ、細かく議論すること」あるいはそれを「捏造して、心的定式化を図ること」のような意味だ。これが「あるがままの世界」を素直に見られなくしている原因だという。
『アビダルマ哲学』『バラモン哲学』そして現代哲学やその他の複雑な体系は、「戯論」そのものだ、といえるかも知れない。
これらの「戯論」を離れる、ということは「頭の中の全てのフィルターを取り払って、現実に直接向かう」ということだ。そうしてこそ、頭の本来の機能(=現実に対して適切に対処できる力)が発揮できるのだと思う。
以下に長々と書いてある文も、結局のところ、「戯論」の対象が何もない、ことを言おうとしている。「構築」を指向していないけれども、それ自体が複雑な文章である以上、「戯論」であることを免れない。
したがって「戯論」を離れてしまっている人にとっては、全く意味のない文章だ。

* 三昧至上主義がまずい理由

仏教では「正しい定」とか「三昧」が修行の項目として入っている。菩薩の修行項目にも「禅定の完成行」などと言われ、禅定の実習(座禅のこと)が入っている。
この修行の内容はあくまでも「ありのままに現象世界を見る」ことに(すくなくとも初期の頃は)重点が置かれていた。
大乗仏教にもこの点が受け継がれ、より深い観察行が行われるようになった。
この世界が「唯だ心だけがつくりだしている」とか「実体がないままに現れている」とかいうのは、この観察の結果である。
しかし、それは僧院に籠って集中的に禅定の行をしている「僧侶」の観点であり、一般の生活者には、そのことは分からない。
これがわかるのは「僧侶」だけだ、ということになる。
世俗一般の人々は、ものごとの姿形、性質や名前などに従って生活を営んでいる。
それを根底から否定してしまったら、生活自体が成り立たない、ということになってしまう。だとすれば、最初から禅定の実習などしないほうが、ましだったということになるだろう。ましてや、その禅定を至上のものとして「君たちには分からないだろう。分からないんだったら、私のいうことを聞きなさい」などどいう事は、余りにも傲慢ではないだろうか?
禅定はあくまで僧侶のものであり、それを至上のものとして、それを理解できない人間は仏教も理解できない、ということになれば、結果的に「僧侶」だけが社会から孤立してしまうことになるだろう。それではいけないからこそ、一般の人の嗜好に妥協して、いろいろな考え方も出てきたのではないだろうか?それが大乗仏教で重視される「方便」だと、私は思っているのだが(正しいかどうかは分からない)。

『中論』では言葉に依らなければ、真理は理解できない、真理に到達しなければ、涅槃は得られない、と言われている。
「禅定」は確かに真理を見るために必要であろう。しかし、それを至上のものとして、その中に引きこもり、なにも語らないのでは、大乗仏教の精神にもとるのではないか?
だが、これにも問題があり、禅定の中で見たものが、「ほんとうに世界の真実の姿であったのか」が問われることになる。それが仏教の本筋に悖らないかが、厳密に検証される必要がある。
もしもそうでなかった場合、かえって一般社会でまじめに生活していた人たちを迷わせ、とんでもない世界に連れて行ってしまうことになりかねない。
禅定の実習は、常にこのような危険をはらんでいるため、正しい見解をもった師匠について行う必要があるのである。しかし、誰が正しい見解を持っているか、ということは、結局は個人の主観によることになる。正しい師を求めることも、危険を伴うのである。
私は世界の真実の姿、というのは決して現実を離れた世界ではない、と思っている。
目の前の当たり前の世界を認識出来なくなったら、それはありのままの世界とは違う。もし「禅定」の中で仏陀が目の前に現れても、それは幻覚だと思う。

* 仏教の伝わった地域によって解釈が違うのは当たり前である

仏教は伝わった地域の歴史的、社会的事情によって、解釈が様々になった。
それは「仏教」が自我を主張せず、その土地土地の状況に合わせて、変化していったことを意味する。
ヒンドゥー教もそのような一面を持ち合わせるのであるが、仏教ほどの順応力は持ち合わせない。
なぜなら、ヒンドゥー教には絶対的な存在(=神)である、ブラフマンが「確固として存在する」という強い意識があるからだ。
まったく逆に、仏教はそのような存在を論理によって分析し、「ない」という。
そして「現実そのもの」という視点でものごとを考える。つまり、現実の状況が異なれば、それに合わせて変化する「寛容さ」を常に持ち合わせていた。
それこそが仏教の仏教らしい所である。
仏教の解釈は、上座部仏教(南アジア)、ネワール(インド北部)、中国や日本(東アジア)、チベットやモンゴル(中央アジア)それぞれで異なる。さらにその中でもさまざまに解釈されてきた。このように広く受け入れられてきたのは、ひとえに仏教が唯一神のような存在を主張せず、その場所にある信仰と「習合」してきたことによる。
他者やマイノリティーを決して排除せず、抱擁していくようなおおらかさが、仏教の根底にはあるように思う。
これについては、すでにいろいろと議論されているけれども、それだけでは説明できないような、深いものを感じる。
欧米でも仏教は人気があるようである(日本以上に)。仏教はさまざまな文化に入って行けるだけの柔軟性を、未だに保ち続けているように感じる。

* チベット仏教の問題点

チベット仏教は、後期インド仏教をそのままチベットに移したものだ、と言われるが、実際にはそうでない。そもそもチベット仏教を再興したツォンカパの見解は、インドではマイナーであったチャンドラキールティの解釈に基いている。後期インド仏教では、明らかに論理学と中観と、そして唯識と密教の見解が優勢であり、純粋に「中観」の見解だけを奉ずるチャンドラキールティの流れは、少数派であったと思われる。
ではなぜ、チャンドラキールティの見解がチベットで支持されたのか。
それは、前時代にインドそのままの仏教を取り入れたものの、それが後期の密教と深く関わっていたために、仏教が大きく乱れ、社会を混乱させたからである。そのため、仏教導入以降のチベット仏教は、タントラ仏教(=密教)に対して、警戒していたことは間違いないだろう。
(日本でも最近、よく似た事例が起きてしまったことは、記憶に新しい)
ツォンカパはこのようなタントラ仏教を否定することこそできなかったが(チベットでは経典と名の付くものは、すべて仏説であったから)、それをチャンドラキールティの見解に基づいて、戒律に抵触しないように、うまく整理したのである。
インド後期密教は、いろいろな評価があるだろうが、どうしてこのような見解が出てきたのか、多くの研究があるにも関わらず、私にはよく理解できない。
後期インド仏教は、外護者がヒンドゥー教の信奉者であったため、ヒンドゥー教と習合したとされるが、そもそも、ヒンドゥー教は、インド土着の信仰を、バラモンが取り入れたものである。
したがって「仏教とヒンドゥー教」という対立軸でとらえるのではなく、その双方がインドの土着信仰と習合した、とするほうが、しっくりくると思う。
後期インド仏教において、密教の占める位置は、大変大きいと言わざるを得ない。したがって、密教と哲学部門である「中観」や「唯識」も、切り離して考えるべきではない。
シャンカラがそれまでのバラモン哲学を整理して、それがヒンドゥー教の基礎理論になったように、密教と、「中観」「唯識」そして「仏教論理学」も、一連のものとして考えるべきであろう。
その歴史的評価は、現代のわれわれがすることであるから、単に当時のことを現代の価値観によって評価すべきではないし、当然、真似るべきでもない。
あくまでも、思想史的に考えられるべきだろうと思う。

* 日本でチベット仏教の印象が良くないのはしかたない

日本で「チベット仏教」の印象が良くないのは、オウム真理教事件の影響だ。それは事実であり、どう反論しようとも、出来ないことだ。
彼らがチベット仏教を利用して、テロ集団を形成し、ついには東京の地下鉄に、戦争ですらあまり使われたことのないサリンを撒き、国家転覆を図ったことは、記憶に新しい。
オウム信者の中で、誤った解釈をされたチベット仏教が学ばれ、その結果、とんでもない犯罪を犯させる原因になったことは、否定できまい。

その結果、「宗教とはこんなことまで考えさせるのか」と、多くの人は恐れ、敬遠した。
あの事件を知っている人であれば、誰でもそう思うだろう。一連の事件が最終段階に達していた1か月間、テレビは他のことをあまり放送しないほどだった。
今では首謀者も死刑になり、間違った教えによって犯罪を犯した人々も、同じ刑を執行された。
今でも「イスラム原理主義」やその他の原理主義のような極端な宗教は、人々を興奮させ、犯罪へと導く場合もある。
そのため「宗教は恐ろしい」というイメージが、(特に日本では)いまだに強烈である。

なぜこうなったのであろうか?
一つには、「一般人の知らない、特殊な同じ考えを持っている集団(=カルト)」は、優越感を抱きやすい、ということが挙げられるだろう。そしてそれによって、外部を敵とみなしてしまう。「自分たちと違う人間は、真理を知らないのだから、憐れむべき存在だ。だから自分たちの側に引き入れるか、排除すべきだ」、という身勝手な考え方に陥ってしまう。その結果、ますます、一般の人々から敬遠されることになる。

仏教の本来の姿は、決してそうではない。
仏陀は誰にでもわかりやすく、現実の世界のありのままの法を、淡々と述べるだけであった。
そこには「悟り」などという、特殊な体験は必要でなかった。
もしも、「悟り」などというものがあるとすれば、それは一時的な精神の混乱を示しているにすぎない。仏陀は特殊な経験をせよ、といったわけではなく、世界のありのままの姿を見よ、と言っただけである。
それはチベット密教の聖人の伝記にすら、書かれている事である。
仏教の精神は、当たり前の日常を離れてはありえない。
もし「特別な体験」を強調する宗教があったとしたら、そういう宗教は「恐ろしい」と思う。

* 仏教哲学

仏教でこれほど複雑な議論が構築されてきたのは、2500年にも及ぶ長い伝統の中で、仏陀の説いた「法」を研究してきたからに他ならない。
最初、仏陀の説かれた法は、弟子たちによってまとめられ、それが研究された。それが『アビダルマ』(対法)である。これによって、様々な解釈が生まれ、分派していった。
それに対し、大乗仏教はそれら『アビダルマ』体系をさらに深く研究し、それらの体系を再編した。
『アビダルマ』の体系がなければ、大乗仏教は起こってこなかったであろう。
したがって、『アビダルマ』を単純に批判した、という見方は浅薄であり、一連のものとして捉える必要がある。
『アビダルマ』が大乗仏教の中で『唯識』や『中観』として思想的に発展した、と捉えるのが良いと思う。
現在のチベット仏教では『アビダルマ』も、もちろん学ばれる。それらは仏教の先人たちの深い思索の結果に他ならないからである。
ただ、それらは余りにも複雑で膨大になりすぎてしまった感がある。
それらは仏教の長い思索の歴史を刻んでいるものであり、文化遺産である。
仏陀の教えが最初から「現実」を見ていたことは、他のインド宗教とは異なる特徴である。他のバラモン哲学では、唯一神ブラフマンをめぐる複雑で膨大な体系が構築されていた。そのため、最初は単純であった仏陀の教えも、それらに合わせて複雑化せざるを得なかったのであろう。それが仏教哲学をさらに推し進める要因にもなったのである。
このような複雑な体系が、現代社会においていかなる意味を持っているのかは分からないが、欧米ではこのような仏教哲学に対する関心が高い。
一方の日本では、これらはあたかも「乗り越えられてしまった」過去の遺産のような扱われ方をして、現実的な学問ではないがゆえに、忘れ去られてしまっているように思う。
ほんとうにそれで良いのであろうか?かつての日本では、漢訳仏典に基づく仏教の研究が盛んだった時代もあるのだ。
仏教の研究は、よかれあしかれ、仏の真意に近づく道であると思う。それそのものは「仮に文字で説かれたもの」ではあっても、それがなければ、仏教とは何かということが、わからないではないか。

* 空とはこの世界の法則の事である

「空」は物事に名前を付けられるような実体がないことである。
しかしこの「空」を誤解して「実体が無いならば、何をやっても報いを受けないんじゃないか」と誤解する人がいる。
これはとんでもない誤解であり、この考え方に従って行動すると、この世界の法則である「因果律」によって、報いを受ける。
つまり悪い行いをすれば、苦しみを受ける
「空」とは、この「因果律」に基づいて、原因が、或る条件に遇った時に結果として起こるあり方であり、これは曲げることが出来ない。
このことを仏教では「空」だ、と言っているのである。一般的に誤解されているように「自由」だ、という語感からはだいぶ離れている。あえていえば「厳しい現実をありのままに見る」という方が近いと思う。だから「空」を知る人は好き放題にはならない、と言われている。
「空」そのものの在り方は、複雑過ぎて知ることができない。さまざまな原因と条件が働いている。お釈迦様は、その本質をまとめて「十二部分の縁起」として説明した。この世には「変化せず、止まっている」瞬間は無い。一瞬でも止まっている事があれば、それらを見ることすらできない。しかし人間は「止まっている」と思っている。これは現実とは違うから、「苦」だと感じられる。「空」は「止まっているものがない」ことを示す言葉である。好き放題やりたくなるのは、心の中に「止まっているものがある」と思って、何をしても同じだと思い込んでいるからである。
以上のようなことから分かるように、「空」とは、言い換えればこの世の曲げられない「法則」そのもののことであり、それは「無」では決してない。
これを誤解して好き放題なことをやると、必ず報いを受けることになる。
だからこそ、お釈迦様は誤解を恐れて、「空」の教えを一般の人に説くことをためらったのである。

* 正確な知識
人によって見解が異なるのは、人によって言葉の解釈や受け止め方が違っているからである。しかし「一般的な言葉の取り決め」と言ったものは、確かに存在する。そうでないと、人間には他人とコミュニケーションすることが出来なくなってしまう。
言葉というのは、相手に何かが伝わらなければ意味を持たない。そのためには、現実を理解していなければならない。現実以外のことは、相手に伝わらないどころか、相手を混乱させる。言葉を正しく使うことは、とても重要である。しかし、それはなかなか、難しい事である。
「ものごとをなるべくわかりやすく伝える」ための技術が必要である。

* 仏法は現実の観察から出発している
仏法(=仏の教え)が、現実の深い観察から出発している事実は重要だ。
ブッダはこの世の現象を観察し、それが「縁起」している、と悟った。
仏教はそこからスタートしている。決して「現実離れした概念」から出発しているのではない。現実の「法則」「理法」を発見されたのが、ブッダである。
「縁起」とは、簡単に言えば、原因に条件が働いて、何らかの結果が起こる、ということだ。
人間存在は「無知」によって感覚器官が発生し、それに基づいて心が発生し、生と死が発生している存在だ。
ブッダは人生を「苦」だと言う。それは人間に「無知」があるからである。現象に対して「無知」がなければ、「苦」は無くなるはずである。
「無知」は認識されている外界が「変わらずにずっとそのまま存在している」と誤認していることから起こる。
それらが「常に変わっており、そもそも執着できないこと」を本当の意味で知れば、「苦」が無くなるはずである。
しかし我々は簡単にそこから抜け出すことが出来ない。なぜなら「生きていること」そのものが、一種の執着であるから。
では、死ねば良いのだろうか?
実際には「死のうにも死にきれない」のが、われわれである。そのこと自体に、深い意味がある。
「死ねない」から、生きていくしかない。生きている限りは、生きているから出来ることを、素直に行えばよい。
「生きていること」は、様々な条件があって成立している。そのことを感謝しよう。

* チベット語
チベット語は日本語に語順が似ており、親しみやすい。
例えば、以下は『中観荘厳論複注』の一節である。これを訳してみると、

'khrul ba'i(誤った) blos(認識によって) dngos po'i(物事の) de kho na nyid(真実が) bsgribs pas(覆われているので) blo 'khrul ba thams cad ni(全ての誤った認識は) kun rdzob yin no(世俗である)//
となり、
これを清書すれば

「誤った認識によって、物事の真実が覆われているから、全ての誤った認識は、世俗なのである」

となり、形容詞が後ろに来る以外、日本語とほぼ同じ語順になる。
これは、サンスクリットの「saMvRti」(世俗)という言葉が「vRti」(覆われた)という語源から派生した言葉であることを説明している一文である。
サンスクリットからチベット語に訳されたものの場合、サンスクリットの八つの格を頭においておけば、意味が掴みやすくなるかもしれない。
ただ、チベット語そのものとしては、複雑な表現方法が存在し、一概に日本語と似ている、というわけにはいかないらしい。

* 誤解を訂正

『中観荘厳論』第64偈に対するカマラシーラの複註の中に出てくる表現を、長い間誤解していた(他にも読めていない箇所が多々あると思われる。少しずつ、訂正しながら理解しようと思って、何十年たったことやら)。
『中論』24章のいわゆる「三諦偈」に対する重要な部分であり、誤読してはならない部分なのであるが、見事に誤読していた。
ここは縁起と空が矛盾なく現れる、というツォンカパも主張する主題と重なる部分である。
私は最初「縁起と空は切り離されているから、空であると定義できる」という間違った訳文を載せていた。
実は、この主張はその直後に「そういうことではない」とあっさり否定されているのである。
縁起と空が切り離されている、という主張は、縁起する現象(=空)を「うさぎの角」というありえない存在と同じだとしているので、カマラシーラは「そうではない」と言っているのである。
縁起する現象は想像上だけで存在するものではない。漫画の主人公のように、実際には存在しない名前だけの存在では無い。
この部分はそのような「正しくない世俗」を否定している。縁起するものは、実際に経験され、それが空(=永遠に固定不変な実体を持っていない状態)だと言うのである。
空でないものは、縁起する現象世界ではない。
なぜなら、現象の中に一瞬でも停止しているものがあれば、実際の現象は全ての働きを失ってしまうからである。当然「認識させる」働きすら失われ、人はそれを認識できない、ということになってしまうのである。逆に言えば、縁起しているからこそ、物事は存在しているのである。(ただし、勝義の立場による考察で「不生」とされ、幻のように起こっていることが明らかになるのではあるが)
したがって、それは言葉そのものではない(言葉は固定的概念だから)。誰にでも承認されているあたりまえの現象における物と名称の関係でもない(それはさまざまな表現がされ、人によって異なるから)。それゆえに離一多論証で厳密に検討しない限り、それらの「概念」などはそのようなものとして承認されるにすぎないものである。仏法を説くためには、そのような「仮設」を使うしかない。そうでなければ、だれも仏法を認識しないのであるから。
ゆえに、それは縁起するものの表現として仮設されたものであり、中道である。
この部分は、いわば仏教の核心部分である「空=縁起」を説明している。
お詫びして訂正する(難しい部分なので、まだしっかりわかっていない、と思われる。また訂正するかもしれない)。

rten cing 'brel bar 'byung ba'i dngos po rnams kho na don dam pa'i rang bzhin dang bral ba'i
phyir stong pa zhes bya'i ri bong gi rwa dang 'dra ba'i bdag nyid kyi phyir ni ma yin no//
des na mthong ba la sogs pa dang mi 'gal lo //

「縁起によって生じる諸存在は、実に勝義の自性と切り離されているから「空」である」というウサギの角[の比喩=まったくの非存在を示すためのインド論証学上の実例]と同じ本質であるからである、ということではないのである。ゆえに[空は]経験などと矛盾しないのである。

* 中国語が科学的言語であるはずがない

チベット語は複雑なサンスクリットを訳すために整備された経緯のある言語である。
日本語や中国語よりは、はるかに「科学的概念」を表すのに適した言語であることはまちがいない。伝統的な中国漢語訳仏教論書を読んでみると、その事がよりはっきりするだろう。中国語訳によっては意味が取れない文章でも、チベット語であれば、主述関係がきわめてはっきりしているため、意味が取りやすい。世界共通の「科学言語」とされている英語ですら、ここまで意味をはっきり確定する事は難しいのではないか?
日本語は中国語の影響を深く受けた言語である。そのため「漢字」に依存した言語である。
中国語は論理的な文を表現しにくい。その影響を受けている日本語も、当然その傾向がある。
中国語は「孤立語」であり、格変化が無い。語順が重要である。このため、意味の幅があり、それを確定しづらい。中国が主張するように、中国語が「科学的概念」を表現するのにもっとも適した言語であるとは、とても思えない。奇妙なナショナリズムによって、事実を曲げようとしてもムダのような気がする。
一方のチベット語はサンスクリットのように格を持ち、時制も、人称もある。
科学が論理的な文脈の中で初めて成立する体系であることを考えると、むしろ中国語よりチベット語のほうが、科学的概念を表すのによほど適した言語ではないか、と思われる。
中国政府にとっては、不都合な事実かもしれないが。

* とんでもないものに取り掛かってしまったものだ

私が『中観荘厳論の研究』(一郷先生の)を京都の古本屋で見つけて購入してから約30年間が経とうとしている。
その間、ずっとこの書のほんとうの意味を考え続けてきた、といってもいいだろう。それでもまだ、正確な意味を理解するところまでは行っていない。
最近になって、ギャルツァプとミパンの註釈を原文と英語で読んで、概略だけがなんとなく掴めてきたかな、と思う程度である。とんでもないものにとりかかってしまったものだ、と思わざるをえない 。
これまでの欧米や日本の研究者の研究だけによっては、この書の真意が、ますますわからなくなるばかりであった。これはチベット仏教そのものに対しても言えることである。
これほどまでに内容の濃い本は、いままでに出会ったことのないものである。解読には「唯識」「中観」「論理学」の知識、さらには「インド哲学一般」に対する知識が少なくとも必要である。
インド仏教の最後に現れた思想の「集大成」であり、学生の時はこのような書に向かっているという自覚がないまま、とにかく言葉の意味を解読していくのがやっとであった。先に進めば進むほど、多くの誤解と混乱に巻かれて、真意からは離れていくのであった。
以下の「論文ともいえないもの」は、その知的葛藤の生み出した「残滓」であり、とても閲覧に耐えるものとは思えないが、これを「修正していく」ことが、混乱の解消に繋がれば、と願って、公開しているものである。
30年前とは違って、今は世界中から正確な情報を集め、参照できるようになっている。
当時と比べると、隔世の感がある。
チベット仏教の伝統に基いた優れた解釈は、文献学による「誤解」を払拭するほど、正確で意味深いものである。
それらの情報に接することができるようになったので、以前の「混乱」の霧が、少しずつ、晴れてきている。

* ジュニャーナ・ガルバとシャーンタラクシタの見解の相違

『中観荘厳論』の作者シャーンタラクシタはジュニャーナ・ガルバの弟子であったとされている。
ジュニャーナ・ガルバ(Jñānagarbha)は中観派の自立論証派の系統に連なる論師であり、『二諦分別論』などを著している。
この著作の冒頭にも示されるように、ジュニャーナ・ガルバはダルマキールティのインド論証学を絶対視する。ダルマキールティの論証学はディグナーガの仏教論証学の発展であり、インド論証学としてほぼ完成された形式を持っていた。
ダルマキールティの論証学は、非常に現実的であり、現実から離れた存在を一切受け付けない。
その立場は「内在的仮設実在論」とでもいうべきものであり、唯識学の伝統を受けたものである。
人間の心理現象を極限まで研究した結果が唯識の説く所と一致したのである。ただ、実際にはダルマキールティの見解は, 唯識学派のそれを超えていた。
ジュニャーナ・ガルバがその見解を最高のものとしたことは、彼の唯識派的側面を全面的に肯定したからではなく、それを超えた中観の側面についてであったと、私は思っている。
それは、ナーガールジュナの排中律的な厳密な論理を取り入れていた。従って、彼以降の中観自立論証派を考えるとき、そこに唯識という言葉が現れた場合、それは唯識学派の体系そのものを示すのではなく、仏教論証学のことを指しているのだ、と考えなければならない、と思う。
ゆえに「瑜伽行中観」という表現は、誤解を招く。実際『中観荘厳論』の中で従来の唯識学派の見解はことごとく論破されている。
この事実は『中観荘厳論』そのものを(原文で)読めばあきらかになる。
ダルマキールティが「瑜伽行唯識学派」の見解を奉じていたため、唯識派=論理学派と考えられていたのが、本当の所ではなかっただろうか。従って正確には「瑜伽行中観」は「論理学中観」とでも表現されるべきものなのである。

* 『中観荘厳論』と『大日経』

『大日経』 は初期の密教経典であり、第一章の「住心品」では中観哲学と唯識哲学、そして如来蔵哲学の考え方が凝縮された教説が展開されている。
この世界は自性空であり、それは如来の悟られた教えであり、そこから様々な現象が展開する。
しかし本当は「不生」なので、一切の現象は起こるはずがないのであるが。現象が展開している、と見えるのはわたしたちが迷っている証拠である。
この経典は「教相」(=空の理論)と「事相」(=実践。曼荼羅の建立、印の結び方、真言念誦)で構成されており、実習部門である「事相」は正しい師匠からの直接の伝授がなければ理解できないようになっている。
このような「タントラ」文献の常として、難解な言い回しで記述されており、注釈書無しで理解するのは無理がある。
『大日経』は『中観荘厳論』に難語釈を作ったカマラシーラによって引用されているので、『中観荘厳論』の作者であるシャーンタラクシタも、もちろん知っている、と思われる。
この世界は「空」であり、究極的には言葉で表現できないが、それを衆生済度の目的で大日如来が大慈悲によって言葉や行いに表現したのが『大日経』である。

これはチベット語での唯一の註釈である、ブッダグヒヤの註釈を読むまで、分からなかった。
『大日経』は空の世界の展開を説く経典であり、「幻や蜃気楼」のように現れている世界で、そこに存在して執着のために苦しみにあえぐ衆生を救済するための「方便(手段)」が書かれている。
真言や印、仏像のお姿は、深い意味を持ちながらも、迷える一般の人には意味がわからない。
しかし、それは如来の大悲によってこの世に現れたものであり、見たり聞いたり唱えたり考えたりすることで、空の真理に触れることが出来、正しく理解できれば迷いを晴らす事も出来る。
「意味は分からなくとも」祈る。誰でも祈っているが、なぜ祈るのか、ということを自覚して祈っている人はほとんどいないと思う。
感謝の祈り、願いの祈り、救済を求める祈りなど、様々な祈りがあるが、とにかく「祈る」というその行いの中で、理由は分からないが救われているのである。

* ことばで表せない世界を生きる者として、全ての存在は平等である

どうあがいてみても、人間の認識力には限界がある。どれだけ科学が発達しようが、人間は死を免れないし、先を知ることもできないし、思い通りに生きることもできない。
決して知ることのできない複雑な関係性の中で、存在しているように見えるだけである。一時的なその状態が永遠に続く、と思い込むことがそもそも間違っている。
一瞬たりとも同じ状態にとどまれないのに、とどまっていると思っていることが、まよいの本体である。本当は初めから生まれたことなどないのに。
老いないこともできない、死なないこともできない。なぜそうなのかすら知ることもできない。その法則を変えることもできない。
「人間はいつかは死ぬものである」と自覚しよう、とお釈迦様はおっしゃっているが、「だからこそ今をまじめに生きよう」ともおっしゃっている。
この世界にいつの間にか来て、いつの間にか去っていく。
その法則に素直に向き合い、生きていくことが一番幸せに生きられる道である。
苦しくなったら、般若心経の真言を唱えるのが良い。
これは全ての苦しみを取り除く、と伝えられている。真言は仏が生きとし生ける存在を憐れんで、仮に世俗の言葉で真理の世界を表した言葉を述べられたものだという。
世俗の人には意味は分からないが、それを唱えることで、仏が悟られた真実の世界に触れることができるのだ、という。

「ガテー ガテー パーラガテー パーラサンガテー ボーディ スヴァーハー」

世界中に新種のウイルスがまん延し、多くの死者が出ている。気候が変動し、この先人類がこのまま存続するのかどうか、わからない。
しかしそれは因果、縁起の世界を考えるならばしかるべくしてそうなるのだ。そのような世界にしたのが、人間の欲である。
欲が尽きることはなさそうだ。だとすれば人間と言う存在がこの世から消え去ってしまうことも、あり得る。
また別の存在が地球の中で一番繁栄するのだろうか?
しかしながら、繁栄する、と言っても、その存在が「数を増やす」だけであり、いずれまた居なくなるだろう。

そういうことに関係のない世界、その真実そのものの世界が、実は私たちそのものなのである。
それに気が付けば、全てを受け入れられるだろう。

* 全ては縁起している

仏教において、全ての存在は縁起している。
縁(pratyaya)は因(hetu)を成立させる補助的な条件となっている原因であり、例えば、種(因)が発芽するための条件として水や温度その他が必要になるが、それらの事である。
ものごとはけっして単独の因だけで成立しているのではなく、多くの縁によって現れている。
縁が無くなることによって、因があってもものごとは現れない。
その複雑な因と縁の世界、それがこの世の中の姿である。
したがって、変化しない物事は無い。実体が成立しないのである。これが「空」である。
「空」は目の前に現れている現象そのものであるから、いわゆる「存在」しないものではない。
この世界に縁によって起こらないものごとはない。
すべてのものごとが、なにかの縁として現れている。
なんの繋がりもなく存在しているものなど、ありえない。

* 般若心経を読むときに注意するべきこと

「空」というのは、決して「無い、存在しない、ゼロ、NULL」のことではありません。それは、目の前に見えるものごとの働きや、いろいろなこころの働きなどに対し、「概念、言葉、頭の中で作っている思い」のフィルターを取り除いて、「直に」向かい合うことに他なりません。それを『般若心経』というお経は、文字を使って仮に示しているのです。

(難しい話をすると、「空」というのは、現象は「自性(それ自身で存在している、固定的で不変化な存在、例えば唯一神とかの類)によって成立しているのではなく、原因と条件によって(例えば植物の種が"原因"となり、水、肥料、太陽などの"条件"があることによって、木が成長し、そして種があるように)成立している」という意味です。これを「縁起」というのですが、これは「空」の別名であり、全く同じ意味です。「空=縁起」です。何らかの「概念」が先にあり、それによって現象があるのではないのです。現象は「概念があろうが無かろうが」存在するでしょう。縁起しており、本来なら名前を付けられない現象を見ている人間が「概念」で印を付けて、現象を固定的に見てしまうところに問題があります。)

「無い」と言っているのは、「概念」が無い、と言っているのです。決して「現象」が無い、といっているのではありません!(ここを誤解している人がほとんどでしょう)。ですから、般若心経の中で「無い」と言われている、五蘊、十二処、十八界や四諦、十二支縁起などの「指し示している現象」は、「無い」のではありません。「無い」のは概念の自性です。
それらが「無い」からこそ、仏の教えは真実なのです。仏の教えは「固定的実体」などを示してはいないのです。

したがって、それは普通に「存在していない」こととは違います。「ある」という名前をつけない前の、「存在」です。もちろんそれは、目の前に生き生きと存在しています。

『般若心経』は、けっして「仏の教え」を否定しているわけでは無く、「仏の教え」を自分の頭が考え出した夢や幻のような「言葉」で解釈するな!と言っているのです。「仏の教え」を頭で解釈するなら、それは「仏の教え」を誤解することになります。

たしかに仏は「文字」「言葉」を使って、法を説かれます。だがそれは、「月を指差す指」であり「月そのもの」ではありえません。だからといって、言葉でそれを示さないと、煩悩に覆われた人間は、どこに月があるのかがわからない。「空」の真実を、本質的に幻のような言葉で教えられたのが「経典」です。これは『中論』では中道そのものと捉えられてもいます。非常に重要なものです。本当は文字で表現できないものを、幻のような言葉で「仮に」示すのが仏教である、と言っても間違いではありません。

しかしながら「仮」であるものを、概念的に理解するだけでは、仏の示されたこの世の現実を誤解してしまうのは、明らかでしょう。そこに教えを「実践する」世界が開けてきます。仏の言葉が、ほんとうはこのようなことを示していたのか、という体験は、体験者にしか体験できません。それは、概念でどれだけ丁寧に解説しても、体験そのものには至らないことから理解できるでしょう。体験そのものに至るための思考、分析、学習は必要ではありますが。しかし伝統によっては必要で無い、とする流れもあります。インドでは言葉や論理によって、この世が実体ないままに現れている、という結論を導き出す方法の比重が非常に重いですが、中国では直感的に体験に至る、という方法を取りました。私はそれらの違いは「地域的な差異」によって生じているものである、と思います。したがって、「どちらが正しいか」ということは断定しません。仏教が伝わった地域の、それぞれの考え方の違いにすぎないと思っています。

以上のようなことから明らかなように、「空」の教えは全てを否定する「ニヒリズム」や「虚無思想」とは全く違うものです。

全ての存在が「空」であるからこそ、この世界は素晴らしく、存在しているのです。

だから「社会のルール」はもちろんのこと、ものごとの筋道や道理が否定されるはずもありません。むしろそれこそが、「仏の教え」という「言葉」が指し示しているもの、そのものです。それがどうして存在しないでしょうか? 決して破壊されるものではありません。

以上のように理解してください。

* チベット仏教を政治問題に結び付けてはいけない

チベット仏教を語る時、どうしても1950年に起こった「中国によるチベット侵攻」の問題が語られることが多い。
この時、チベットの貴重な文化遺産が中国によって破壊され、後の文化大革命によって、徹底的とも言える破壊が起こった。
これらの政治的動乱が、チベットの人々に非常に深い悲しみを起こしたのは事実である。
仏教が戦争を望まず、平和的な理念を持っているのでなおさら、チベット侵攻は心をえぐるものがある。

だが一方で中国とチベットは昔から様々な点で影響を与えあってきたのである。
ダライ・ラマ法王も言われるように「中国の友人」は、チベットとともにあり続けてきたのである。

仏教は全てを抱擁する真理を説いているのであり、民族的対立を強調するような度量の小さな宗教ではない。
もしもそのようなものであれば、仏教は現在まで存続してこなかったであろう。
事実、チベット侵攻の後も、チベット仏教は世界各地に広まり、多くの共感者を持っている。

仏教の真理から言えば、この世俗の物事はみな縁起しているのであり、原因と結果によって「仮に存在しているように見える」ものである。
「仮」なる存在を実体だと思って、それに基づいて闘争するのが、いかに愚かなことであるか、仏教ほど感じている宗教は他に見つからない。
共産主義、自由主義などの理念は、実体が無い以前に、完全に人間の誤った認識が作り出した幻でしかない。
それらにどのような意味があるだろうか?
仏教は釈尊の時代から、このように考えてきた。
主張や概念的な固着を捨てて、それらの実体が生じたことのないもの=不生であると言ってきた。
不生である以上、それらに対して何を議論し、怒り、暴力をふるうのであろうか?
議論する対象が存在しない。それにたいして何を望むのだろうか?

仏教は政治(=世俗)とは本来関係のない領域にあるのだ。

* 中国仏教で「本覚思想」が生み出されたわけ

「禅」は中国仏教独自の流れである。初期禅の登場は三論宗、地論宗の教学と密接な関係をもっている。それらの宗派のなかで研究されて中国仏教による仏教の主体化は一層進む。やがて中国仏教は主体化の極みともいえる『大乗起信論』や『円覚経』『楞厳経』などの中国撰述経典を生みだす。
インド仏教の研究者はだいたい、これに対して「仏教を勝手に解釈し、中国流にねじまげた許しがたい行いだ」としてきた。
たしかに、それらの中で説かれる「本覚思想(人はもともと仏である)」という思想は、インドにはない。
インドから伝わった「如来蔵思想」は、ヒンドゥー教の影響を深く受けた思想だと言われているが、「人がそのままで仏である」とまでは言っていない。
あくまでも、仏道を行うことで「しみついた煩悩」を落とす、という考え方である。
しかし「本覚思想」においては、あらゆる存在がそのままで仏である、と言う。普通の凡夫はそれを知らない。それを知るために修行をする必要がある。
インドのように「業」を積み重ねて、仏になる(こちらのほうが、本来のインド仏教の主張である)のではなく、「もともと仏であるのにそれを知らない」というのである。
あたかもバラモン教におけるシャンカラの「不二一元思想(ブラフマンとアートマンは一体である)」のように思われるため、それを「仏教ではない」と言ったインド仏教学者もある。

しかしながら、そのような「本覚思想」が生まれた背景を考えると、そこには歴史的、時代的な要請があったことが分かるのである。
詳しくは省くが、社会的混乱の中で仏教の教団が中国で存続していくための努力が続けられ、その中において行われた「真実とは何か」という仏教徒の真剣な探求こそが、「禅」を生み出した原動力に他ならない。
「禅」はインド仏教の中国化である。これは中国独自の仏教である。

禅は「人は修行すれば仏になれる」と信じて、ひたすら行を実践する、その方向性を糺したのである。
「どこに向かって修行するのか」。大乗仏教では自己の救いよりも他者の救済を重視する。しかし、本来我々は他者を救済しうる存在であるのか?
いったい、どうすれば一切衆生は救われるのであるか?
修行すれば空を飛べるようになる、奇跡を起こせる、それによって他者を救済するのだ、などの、インド仏教では一般的であった方向性を、「禅」は徹底的に否定した。
特殊な「悟り」体験は必要ない。むしろそれらは「妄想」である、として厳しく否定される。
あくまでもわれわれの「当たり前の機能」こそが、そのまま仏の姿だと主張したのである。
生まれて、自然に年老いて、死んでいく、それがそのままで仏の姿である。それこそが、救いに他ならない。
そこに一体、何を付け加えるのであろうか?
中国禅はインド仏教が持っている「呪術的」「哲学的」性格に対する強い疑問を抱いた。そんなものがどうして人間の精神を「まとも」にできるものか。
そしてそれらを全く否定した現実的な仏教として、「禅」を生み出したのである。
これは当時のインド仏教をそのまま継承しようとする中国仏教の方向性に対して、強烈なアンチテーゼとなった。
ただ、禅を理解するには文字通り「無念無想」を実践すればよい、というのではない。それはインド仏教学者の偏見である。
もう一度原点に帰ってみて、ほんとうに目の前にある現実を何の偏見もなく、何も付け加えることなく、素直な心で見るのみである。
どこに神秘があろうか?その中にどんな哲学的葛藤がありえようか?
学問も、実践も必要ない。修行自体ですら、禅そのものとは関係が無い。しかもそれらの要素は不必要であるわけではない。ただ、一度それらを切り離して、原点から考えてみることだ。
「わたしとは、何か」ということに真剣に向き合うことが、禅である。

禅はインド仏教が、中国に入ってから生まれた、いまひとつの流れが生んだ仏教であるという事が出来る。
昔のインド仏教学者の言うように、「仏教でない」とは決して言えない。
そんなことを言えば「大乗仏教」そのものが仏教でないことになってしまうだろう。

* 1、0で割り切って生きるのは疲れる

この欄の文を書くのに、「論理学」を思い出し、再び読み直していると、非常に疲労してしまった。
インド論理学は直接ものを扱う論理であり、直観的にわかりやすい部分もあるのだが、そのために一通りの理解では正しく意味を受け取れない場合がある。
その点、アリストテレス流の西洋古典論理学は、現代の学校で教えている勉強の基礎部分を形成しているために、分かりやすい。
「勉強」とは、数学や国語、いろいろな教科の違いはあれ、この「論理」を理解することと等しいからである。
インド論理学は、特に伝統的な外遍充論は、具体例が論拠になるため、一定の結論には至らず、それが正しいことを検証するのが難しい部分がある。
チベット仏教などでは、論争を寺の前の庭で僧侶同士が戦わすのが日課になっているそうだ。その時、身体を動かして論争をしている。こういう状況では、論争の意味は、西洋のそれとは違ってくるだろう。論争は一種の「コミュニケーション」なのだから。
だから、インド論理学は厳密な意味での「論証」とは言えない部分があるのである。
これが「インド論理学は、論理学とは言えない」と言われる理由だと思うが、そのような伝統が数千年も続いてきたのだから、まあのんびりした国である。
一方の西洋古典論理学は、ものごとを「1,0」で割り切って考える、という形式で一貫しているため、「真」「偽」がはっきり出る。
第一、西洋論理学の「命題」の定義は「真理値を持つ表現(1か0で割り切れること)」である。割り切れないような問題は、相手にしない、ということである。
この方法で考えていくことは非常に疲れる。
なぜなら必ず「答え」が出るはずだから、答えが分かるまで、考え続けなければならないからだ。

そもそも、この世間(世俗)は、論理で割り切れることばかりがあるわけではない。
むしろ答えの出ないことのほうが、ずっと多いのである。
もちろん、現象を数値で表し、論理的に解決策を出す、ということも、本来不可能なのである。
昔のインド人はそういうことを分かっていた。だから無理に答えを出そうとはしなかったのである。
分からない部分は、「言葉の領域を超えた世界」である、としてある。

*インド論理学は、乗り越えられなければならない

「論理の規則」にいくつもの種類があると、不都合な結果になる。
論理というのは、ものごとの「真」「偽」 をはっきりさせるものであるからである。
真、偽以外の「不定」もしくは「不確定」は、「確実な知識を決着する」という「論理」の目的とは正反対の項目である。
だから、「不確定」を認めれば、立論者の思うがままに真偽を決定できることになる。
すべての物事が「論理」で決定できる、とは思わないが、「不確定」についての論理は、論理学の扱う領域ではなく、むしろ「芸術」「音楽」の扱う領域であろう。
ゆえにこれを「論理」に持ち込むと簡単に「詭弁」を構成してしまうことになる。

コンピューターの言語は厳密に「論理」の空間で運用される。持っている値は「True」「False」「Null」、あるいは「1,-1,0」だけである。
コンピュータにおいてNullは「不確定」を意味する。これは「プログラム言語が関与する領域」以外の領域を意味し、メモリ空間を開放する時(プログラムの関与を断ち切る)場合に使う値である。しかしながら、「不確定」は中に有用な値やデータは入っていないため、普通は「0」すなわち「偽」として扱っていることが多い。
つまり「3値論理」ではあるが、「2値論理」に還元しうる、ということである。

「不確定」値は、「どちらの値も取りうる」ということであるが、最近の量子コンピュータでは、この値を確率論と結び付け積極的に活用している。
これは厳密に考えれば「詭弁的」要素を含んでいる、と思う。もっとも確からしい計算結果を「真」としているわけであるから。

また人工知能の基礎理論である「ニューラルネットワーク」では、「真」「偽」の判断を複雑な回路を用いて「可変」的に考えている。
しかし、いずれの理論においても、結局最後には「真」「偽」の判断を下さなければならない。
人間が「なにが真実なのか」を考え続ける限り、これは容易に変わるものではない。

しかしながら、この「論理的不確定項」があることは、別になんら問題となるわけではない。
世の中には「言葉で説明できないこと」がある。
これを文字に表現しよう、とするならばどうしても「芸術」「詩」の領域になるであろう。
また、これはこの世界の大部分を占めている領域である。「論理」のある世界は、ごくわずかである。
現代社会では「論理」で何事も説明できる、すべては「真」「偽」に分けられうる、と考えている人が多いと思う。
「論理」の通用しない世界は「アブナイ」のだと考えている人が多い。
確かにある意味それは正しいだろう。

仏教でも「論理」の限界は明確に意識されていたが、それを超える世界は「秘密」として、資格のある人以外には公開されない、というスタンスをとった。
それが「密教」である。「密教」で表わされる言葉は、「世間」の言葉とは明確に区別して考えなければならない。
誤解すると、その人間を破壊してしまうからだ。

インド論理学は最終的にギリシャの古典論理学とよく似た形式を示すようになる。やはり真理を扱う「論理学」にいくつもの規則は無かったのだ。
それは同時に「論理学の限界」を意味する。人間の論理というものは、突き詰めて考えれば同じなのである。
そのうえで「言葉の届かない領域」として「密教」を考えるようになったのであろう。これは「論理」を超えた複雑な象徴体系を作り上げた。人間の生命そのものの現象を言葉で表現しようとしたりしている。内容は非常にシステマチックであるが、体験を象徴的に表現してあるため、正しい指導者の指導の下でないと、正しい意味は理解できない。だからこそ「秘密」とされているのである。それを理解できるひとのみに、それは公開されるのである。

一方の中国仏教では漢語という言語が「厳密な意味」を表現しにくいものであったため、より「直観的」「芸術的」な分野が発達していった。
これはかえって「論理」では表現できない世界を表現することに向いている。
したがって中国禅はこの分野で非常に発達した体系を持っている。人間の「感情」に直接アクセスできるような表現は、中国語のほうが得意な分野であると思う。

*帰謬、帰謬還元法、反所証拒斥論証

帰謬、帰謬還元法、反所証拒斥論証は、後期のインド仏教論理学で「瞬間的存在論証(=刹那滅論証)」と言われる、定型的な論証をする際に考えられた論証方法である。

(1)帰謬
存在するものが「瞬間的存在である」ことを証明するために、「瞬間的でない存在」があると仮定して、それから不都合な結論を導くことによって、「およそ存在するものは、瞬間的存在である」ということを証明する方法である。これは伝統的インド論理学では正しい論証とは認められなかったが、ギリシャ古典論理学においては不可欠な論証方法である。

例えば、有効な原因の集合は、最後の瞬間において必ずその結果を生じるように、あるものがある時にある作用を持っているならば、それはその時にその作用を必ず行う(肯定的遍充)
この壺は現時点においても、過去、未来の時点に属する結果を生じさせる効力がある(所属性 現時点における結果と、過去、未来の時点で起こる結果は同じでないため、この主張は誤りである)。
したがって、 存在する「この壺」は、瞬間的存在であるということになる。

(2)帰謬還元法

ある時、あるものに対して作用しないものは、その時、そのものに対して効力を持たない。例えば稲の芽を生じさせない雑穀が稲の芽に対して効力を持たないように(否定的遍充)
この壺は現時点において、過去、未来の時点に属する効果的作用を行わない(所属性)
したがって、 存在する「この壺」は、瞬間的存在であるということになる。

(3)反所証拒斥論証

同時に結果を生じもしないし、次第に結果を生じもしないものは、効果的作用の能力のないもの(=存在しないもの)である。例えば幻覚のように(否定的遍充)
瞬間的存在でないものは、同時に結果を生じる能力も、次第に結果を生じる能力もない(所属性)
瞬間的存在でないものは効果的作用能力を持たない、つまり存在しない。
したがって、 存在する「この壺」は、瞬間的存在であるということになる。

インド論理学は後世になるにしたがって、ギリシャのアリストテレスが考えた古典論理学の形式に似てくる。
これは「概念」を実在としたからである。なぜ概念を実在としたか、と言うならば、例えば「幻覚」などの「実在しない」比喩を想定する必要があったし、それを実在としなければ、論理として成り立たなかったからである。
これによって、現象でなく名辞による推論が可能になった。 これは、具体的な実例を提示しなければならない、という規定を不必要なものにした。
最終的には、 ギリシア古典論理学のBarbara式つまり、
大前提:「全てのM」は、Pである。 (MaP) 小前提:「全てのS」は、Mである。(SaM) 結論:ゆえに(∴)、「全てのS」は、Pである。(SaP)
と、Cesare式
大前提:「全てのP」は、Mでは ない 。(PeM) 小前提:「全てのS」は、Mである。(SaM) 結論:ゆえに(∴)、「全てのS」は、Pでは ない 。(SeP)
という式に集約される、ということになったのである。

* サーンキャ哲学と後期大乗仏教

サーンキャ哲学は古代インドのバラモン教の六学派のうちの一つであり、ヨーガ学派との関係が深い。
彼らはヨーガの実践で得られた知識を25の真理にまとめた。
これらは大まかに物質に関するものと、精神に関するものに分けられ、物質に関するものは全て根本原質(prakṛti)から展開する。心ですら物質であり、それを見るものである霊我(puruṣa)が永遠不変に存在する、と考えたのである。これはインド哲学における「物心二元論」の典型であった。
この「霊我」は、バラモン教で言われる「アートマン(我)」に相当し、これと根本原質の関係が全ての物事を生み出す根元である。
サーンキャ学派では、この根本原質と霊我をはっきり別のものである、と認識することによって、霊我は独存(kaivalya)という状態になり、根本原質に対し全くの無関心になる。根本原質も見られることによって霊我に対して奉仕することをやめる、という。この時、解脱が実現する、という。霊我は本来何も生み出さないが、根本原質によって「惑わされる」ことによって、物事が生み出されるかのように見えるのである。
古代から現在まで伝わっているインドのヨーガは、このようなサーンキャ哲学の実在論に基づいているのである。

仏教の後期中観派では、バラモン教の六派哲学に対する批判が行われたが、これは仏教としての立場をインド論理学を用いて立論する「中観自立論証派」にして可能なことであった。
帰謬論証派は、自らの立場を他に対して立論しなかったので、対論者との議論が成立しなかった。
自立論証派は、経量部や唯識学派の論理学者であったダルマキールティの確立した論理学を積極的に用いて、サーンキャ哲学とも論争したのである。それらの討論は『真実綱要』『中観荘厳論』などの著作から知ることができる。

サーンキャ哲学によれば、根本原質は常に変化せず永遠に存在しているが、それは変化(=転変、pariṇāma)することにより、現れていない状態から、目に見える現れた状態になる、という。したがって物事は常に原因の中に結果を含んでいることになる(因中有果説)。
一方の仏教では常にあるものを認めない(無常)。そして原因と結果はちょうどシーソーの右と左のように状態遷移するため、原因が結果と同時に存在することはない(刹那滅論)。物事は生ずるやいなや消滅することを続けている、という(ただし、この因果論も、世俗的にだけ成立する理論であり、究極的な立場では言葉で表現することのできない現象である。ことばによって仮に真理を示すならば「因果関係の不断の連続」という表現になるにすぎないのである)。ゆえに、このような存在は、存在している、とは言えない。なぜなら物事が変化することを、人々は「存在していない」と呼ぶからである。
したがって、サーンキャ哲学の説によって世界や認識を説明することは正しく無い。根本的な矛盾があるためである。

バラモン教の六派哲学は、後世ヒンドゥー教の時代になると、ヴェーダーンタ学派の説に一本化する。
サーンキャ哲学はヴェーダーンタ哲学に吸収されたことになる。
サーンキャ哲学の要素は、ヴェーダーンタ哲学の根本聖典である「ウパニシャッド」「バガヴァット・ギーター」などに色濃く現れており、現在まで生き続けている思想だと言える。
仏教でこれらの実在論に対する議論が行われたのは、当時からこれらの実在論が主流派であり、仏教側が対抗する必要があったからである。
ただ、これらの議論に参加しよう、という立場と、参加する必要はない、という立場があったことは確かである。
積極的にバラモン教の哲学をも学び、仏教の立場を明らかにしようとしたのが、中観派においては「自立論証派」であった。
相手の立場を理解し、対話をしようとしたのである。
これはおそらく、仏教とバラモン教の伝統が相互に影響を与え合う状況を作ったに違いない。
それは決して悪いことでは無い。お互いに意見の異なった相手と対論することは、社会に対してオープンな立場を示している。
それによって、批判すべきところは批判し、受容できる部分は受容し、お互いに高め合うことができるのである。

どんな思想でも宗教でも「原理主義」的になり、違う立場の意見を一切受け付けない、ということになると、だんだんと社会から遊離していく。中には反社会的になっていく集団も、昔から数多くある。
「たとえ意見が正反対であっても、議論していこう」という姿勢こそ、社会的に貢献できるのではないだろうか?

* 原因があって、結果がある

世間は新型コロナウイルスの感染拡大によって、大変混乱している。
なぜこんなことになってしまったのだろうか。答えは、考えてみれば実に単純明快である。

人間が過剰に活動し、科学を使って利益を追求したから、地球が温暖化した。
そして、今までにないようなウイルスも活動するようになった。
ただ、それだけのことではないだろうか?そのほかに何かあるとすれば、覇権を争う人間の醜い心。

人間が自然の一部であることを忘れ、「人間という存在は、自然とは連続性が無い独自の存在である」と考えて、人間の利益ばかりを追求した。
真実はそうでないから、様々な問題が噴出してきた。

仏教的に考えれば、そのような結論になるだろう。

仏教の教えの中で、中心的な教えが「四諦」「十二支縁起」である。これは大乗仏教、部派仏教の隔てなく仏教教説の中心にあり続けてきた、重要な教説である。
そして、これら二つの教説の前提となるものが「因果律」である。

これは非常に簡単だ。ものを持ち上げて、手を放すならば下に落ちる。
持ち上げる(原因)落ちる(結果)は、小さな子供でも理解できる。

同様に、種を撒けば、植物が発芽する、良いことをすればよい結果がある、悪いことをすれば、悪い結果がある、なども理解できる。
仏陀はこの法則が、すべての現象にいきわたっている、と悟られた。
そして、「人間が苦しむ原因は、いったい何であろうか」ということを追及されたのである。

そしてついに人間の苦の原因は「無明(無知)」であることを発見されたのであった。
無知の正体は、簡単に言えば「錯覚」である。
物事の、現象のありのままの姿である「無自性(固定不変の実体が存在しないこと)」を知らず、それ対して「永遠の実体である」と執着してしまうことから、苦しみは起こる。
これは人間が生まれながらにして持っている(=倶生)認識のシステムがそうさせている。
それは非常に複雑であり、その仕組みを認識することは容易にはできないが、仏陀はそれを正しく認識されたのであった。

外界の対象は、因果の法則が作り上げた姿で存在している。それは存在しないわけではない。目の前に存在して展開している現象をだれも否定できない。
もしもその現象を否定してしまうと、それと同時に真実まで否定してしまうことになるだろう。だから仏陀は目の前の現象を、正しく見られたのである。
人間は、その「ありかた」を正しく見ていないために、苦しむのだ、ということを仏陀は深く悟られた人なのである。

ありとあらゆる現象は、何らかの「原因」が「条件」に出会い、「結果」を引き起こすことで成立している。
この法則を、大乗仏教では「空(=固定不変の実体が無いままに現れている)」という言い方で言い換えている。

*運動は常に存在する

アリストテレスの『自然学』によれば、運動、あるいは、変化は常に存在していなければならない、という。

「運動は全時間を通じて常にあったし、常にあるであろうということ、そして、この永遠の運動の原理は何であるか、さらに、第一の運動はなにであるか、どういう運動のみが永遠でありうるか、および、第一の動かすものは動かされえないものであること」(『自然学』8−10)

(アリストテレスは「存在そのもの」と「あるものであること」を区別していた。
「存在そのもの」は直接知覚、「あるものであること」は判断を伴った概念知に近い。
これはインド的な認識論によく似ている、と思う。)

アリストテレスは「絶対有」である唯一神が世界を動かす第一原理だと主張したと誤解されてきたように思う。
しかし『自然学』にはそのようなことは書かれていない。ただ、運動の一番の根元にあるのが「不可分割的で、どんな部分も持たず、どんな大きさも持たない」存在である、と言っているだけである。これは、実体の無いものではないだろうか?

ただ、それが司る運動は、「万物は流転する」という考え方が漠然ともっているような「無秩序」な運動ではなく、円運動という「秩序」によって、動かすのである。それは「理法」という考え方にも通じる。

その上で「今」という時間における「停止」の「概念」を否定する。「今」停止しているものは、じつは「停止でも移動でもない」。なぜなら「今」は分割できるものではない、「過去と未来」の境界にあるから。もし「今」が不可分割的にあるとすれば、矛盾がおこる。「今、停止」しているものがあるとすれば、それは無限にずっと停止していなければならないことになる、という。その上で「今」とは時間に付帯的に有る「数」である、としている。
もちろん、運動は力が加えられれば開始し、力が失われれば静止する。
しかしながら、それは円運動をしている時には、静止しているどんな場所もない。
私はここまで読んで、この説が『中論』第2章(観去来品)で主張される内容とよく似ていると思った。
そこでは運動に関する「今」という概念を否定する。ずっとあり続ける「今」が否定されているのである。

アリストテレスはこのような静止的な「ゼロ」を否定するので、後世の人は誤解して「絶対有」論者などと言ったのだと思う。
本人はそのようなことを(神という言葉を使ってはいるが、それは比喩的な意味でしか使われていない)言っていない、と思う。あえていえば、「ゼロ」でもなく「絶対有」でもない「運動」である。

アリストテレスは紀元前4世紀に活躍した人である。『中論』の作者であるナーガールジュナはずっと後世の1世紀の人とされる。また、ガンダーラ地方にはギリシャ文明の影響を受けた仏教が存在していた。ギリシア王メナンドロスとナーガセーナ比丘との対話が記された経典すら存在する。

たしかな証拠はないものの、私は仏教の教説の中に、ギリシア哲学的な要素がかなり含まれている、と思う。
特にナーガールジュナについては、ギリシア哲学を学んだことがあるのではないだろうか、と思われてしかたがない。
また、アリストテレスの著作の中にインドという地名が出てくる。アレキサンダー3世の東征によって、ギリシアの領土はインダス川まで達していた時代もある。そしてアレキサンダー大王の幼少期の教師がまさにアリストテレスであった。

『中論』に見られる、「概念」と「現象そのもの」を分けて考え、前者の存在を否定する考え方は、世界の「無常なる」運動が常に存在するとしなければ、考えられない、と思う。

運動が常に存在する、というのは現代の科学においても確かめられている。
なぜなら、地球は太陽の周りを公転し、太陽系は銀河中心の周りを秒速300kmで回転している。
さらに、ビッグバン以来、宇宙は常に膨張し続けている。

いろいろな方向の「運動」の中に、私たちは存在しているのだ。全体としては一瞬として「停止している」瞬間など存在しない。したがって、時間が停止することはなく、老人が若くなっていくこともない。
「運動」があるから、私たちはいつも同じ状態でいられるわけがないのだ。
目の前で「停止」しているものは、実は見かけ上「停止している」と見えているだけであって、実際にはものすごいスピードで運動しているのである。

「停止」とか「ゼロ」とか「変化せずに存在し続ける」ということは、「概念」的にしか、ありえない。
これは大乗仏教の空の思想とも、まったく矛盾しない。

また、アリストテレスは「物体は真空を嫌う」として、まったく何も無い「真空」を認めなかった。
これも、どれだけ空間に物質が無い状態を作り出そうとしても、そこには何らかの物質が認められる、ということが確かめられているので、正しい。
最近では宇宙には「ダークマター」という物質が存在し、どんなに何もないと思われる場所でも、それが存在している、とされている。
一切なにもない「虚無」の状態など存在しない。

『中論』が言っている「空」は、決して「何も無い」という意味ではなく、物事の原因が条件と出会い、結果がある、という「運動」のモデルのことである。そこには停止した虚無や存在が無い、と言っているのである。

『中論』は詭弁か?

アリストテレスの『詭弁論駁論』(5.2)に、以下のような議論がある。

「或る表現が

1、”端的(はっきり)に語られている”か、それとも、
2、或る観点の下に、そして、”本来の意味においてではなく語られている”か、

そのいずれであるかに拠って成立する論過(論理的欠陥)は、
或る特定の意味で語られた表現が、端的に語られた表現として(相手に)受け取られる時に生ずるのを常とする。

すなわち、例えば「もし非存在が臆見(単なる感覚的知覚)の対象であるとすれば、非存在は存在する」という議論におけるがごとくである。
というのは、或るものであること、と、端的に存在することとは、同じではないからである。」

『詭弁論駁論』(25)「「非存在が存在することは可能であろうか」ー「否」ー「しかしながら、確かにそれは非存在であるにもかかわらず、或るものである」。。。実際の事態は、或るものであることと、端的にあることとは同じことではないのか?そしてまた他方、非存在は、それが何か或るものであるからといって、それゆえまた端的に存在しているのでなければならないという必然性はないのである。」

『中論』における議論は、「存在は、非存在の前提である。一方(非存在)が存在しなければ、他方(存在)も存在しない」というものである。
しかし、存在というのは、はっきりと目の前に「ある」ということであり、この場合「非存在」が存在していなければ存在は成立しない、という必然性は何もない。
西洋哲学的には、「ある」「ない」は相対的概念ではない。「ある」ということは、目の前にはっきり「ある」ということである。それは「非存在」がなければ成立しない、ということはない。
これはインドの論理でも同じであり、そのために『中論』で展開されるような議論を「詭弁」である、とした。

『中論』の主張では、固定的な概念がもし「存在」するならば、「存在」自体も存在できない、という。
なぜなら「存在」は決して変化しないはずのものだから。存在がずっと在るなら、この世の「存在」はまったく動きのないものとなり、その結果、「ただ在る」ことも成立しないではないか、というのである。
だが、これは「存在」という概念にあてはまることであり、「ただ在る」という存在とは違うのである。
一般的には「存在」ということと、「ただ在る」ということは、同じことである。

つまり『中論』の主張は、「ただ在る」存在を認める人々にとっては、存在そのものを否定している虚無論者の主張として理解されても致し方ない。
『中論』では、「この世の存在がすべて空でなければ、ただ在ることも存在できない」というのであるが、対論者にとってはそのような必然性は何もないのである。

* 一切法無自性の論証

インド仏教後期の『中論』(中頌,Madhyamaka-kārikā)注釈者として、とりわけ有名なのは清弁(Bhavya)と月称(Candrakīrti)の二論師である。

前者は『中論』が何らかの主張を持っている、と解釈し、自立的な論証式(インド独自の論理学)の規則に沿って、その主張を説明しようとした。その主張とは「すべてのものごとが、不変化の性質(自性)をもっていない=無自性=空」ということである。
後者の月称は、『中論』で使用されるのは、帰謬論証(Prasaṅga-anumāṇa)という論理であり、それによって無自性の証明が可能である、とした。帰謬とは、主張命題とは反対の主張命題を仮定し、その真理値が偽であることを導出することで、間接的に主張命題が真であることを論証する方法である。

これらの特徴により、後世のチベットでは清弁を「自立論証派」、月称を「帰謬論証派」の伝統にしたがう者と呼んでいる。
しかしながら、実際には「自立論証」によっても、「帰謬論証」によっても、「すべてのものごとが無自性である」ということが論証できた、とは言えない。

「自立論証」においては、無自性を論証しようとする時は、常に「究極の真実においては(Paramārthataḥ)」という限定語を付加することが必要であった。これによって「日常の論理が通用しない」ことを定義した上で、論を進めなければならなかったのである。さらに、その場合否定に対しては絶対否定(prasajya-pratiṣedha)という、言葉そのものを否定する否定を使用しなければならなかった。例えば、通常の否定では「ここに馬はいない」という否定は、「ここに牛がいる」ということを含意できる。しかし、絶対否定の場合は「ここに馬はいない」ではない、ということを意味する。つまり論証に使われている言葉そのものを否定するのである。無自性の論証が、無自性を実際に見た聖者でなければ、不可能なので、そうするのである。以上のような場合、世間の論理の規則を外れるので、強いて言えば、この主張は「両価(Null)=真理値は定義されていない」ということになる。
また、「帰謬論証」は、相手の主張から不都合な結論を導き出して、主張命題である無自性が真であると主張するのであるが、この時に「無自性」という結論があらかじめ想定されてしまっているために、世間的にみれば、一種の詭弁を構築することになる。相手は「なぜ無自性なのか」ということを論理的に説明することを望んでいるのであるが、そうすること自体が誤りである、とされるならば、もはや議論は成立しない。

議論をするためには、共通の土台が必要である。
その土台は、仮にでも、ものごとがなんらかの自性をもって存在する、でなければならない。
議論の対象が、変化したり、性質が明確に知られないものであるならば、論理を構築することはできず、議論が成立しないことになる(帰謬論証派に従うチベットのツォンカパの考えによれば、仮に自性を認めなくても、世間の人が「ただ有る」と認めているものは否定されないので、それによって議論は可能である、とする。ただし論争相手は「ただ有る」というそこにこそ自性を認めているので、それによって共通の土台に立てるのか、どうかはわからないと思う)。

この難点を解決しようとしたのがさらに後世の寂護(Śāntarakṣita)であり、排中律を用いた論証により、インド論理学の世界で議論として成立できるように無自性を論証した。反対概念の中間概念、例えば行くこと、でもなく、去ることでもないような存在が見られない、ということは世間の論理によっても明らかなので、議論が成立する。それを論拠にして、現象世界が自性を持たず、したがって縁起していることは、主張可能である。清弁のように「究極の真実においては」という限定語を付加しなくともである。

一般に現象世界は、単数か複数かのうちのどちらか一方の自性を持っている、と主張される。
たとえば、「単数」であるという主張の場合、現象世界は「原子」が多数集まって構成される、という見解がそれである。
しかしながら、単数の「原子」は、複数の部分を持っているため、さらに分割される可能性がある。
つまり、これは「単数」とは言えない。絶対に分割できない「単数」が「自性を持って」存在しない限り、現象世界が「有自性」である、ということは証明できないのである。なぜなら「自性」とは決して変化しない性質のことであり、それが分割される、ということは変化に他ならないからである。
最近の物理学では、物質は極限まで分割すると「波」と「物質」の両方の性質を持つようになる、と言われる。
では、その「波」は単一の性質を帯びているのか?それとも不変化の性質を持って存在しているのか?
エネルギーの波ならば、それは何によって構成されているのか?さらに小さい存在は無いのか?
そもそも、物質とは、波なのか、物質なのか?そして、それは不変化の性質を持って存在していると言えるのか?
と問われるならば、多分不明であるという答えが返ってくるだろう。
このように「存在」を極限まで追求してみるならば、そこには存在と言えるものは、なんら存在しない。
よって、そのような単一なる「存在」が「複数」集まって構成されている「複数」の自性を持つ「存在」にも、なんら存在する性質はないことになる。
また「単数」と「複数」の中間概念は、それがいかなるものかを説明することはできない。
せいぜいで「或る時には単数であり、或る時には複数である」と言い得るだけである。それは「単数」「複数」の中間概念ではない。
同時に単数であり、複数であることはできないからである。
また、単数でもなく、複数でもない、ということもできない。なぜなら、単数と複数はすべての現象世界を2分する概念であり、現象はそれらのうちのどちらか一方でなければならないはずであるから。
「複数」の自性を持つことが存在の特徴である、としても、それは「単数」の集合で構成されているのではないだろうか?

寂護は以上のように、現象世界には固定不変の自性が存在せず、幻のような現象が、鏡に映った映像のように認知されるにすぎない、とした。
それは、因果関係の不断の連続であり、一瞬の停滞もなく変化し続けている。原因と条件によって、生じている、と言葉で表されたり、映像として捉えられる性質のものである。厳密に検討すれば、それ自体を直接言葉で表現することは不可能であり、言葉にするという行為が、すでに誤りを含んでいるのである。なぜなら、鏡に映った映像は、映されるものそのもの、ではないから。
しかしながら一般の世界に合わせて、仮に言葉を使って、その様相を説明することは可能である。それは鏡に映った映像のように、「ものそのもの」ではないことは言うまでもないが。ただし「映像」の比喩によっては、「時間」の無自性であることまでは表現出来ていない。
それは「無い」「存在しない」ということではない。現象として「ある」が、ただそこには固定不変の「自性」がない、仮にそのようなものがあれば、現象が停滞して「ある」ということも成立しなくなる、ということである。
ただ、無自性を説明する言葉は、現象世界の無自性を知らしめるためには必要なのである。

* 四つの真実

お釈迦様が説かれた教えは、のちに覚えやすいように、まとめられた。
そのうちで、もっとも重要なものが「四聖諦」と「十二支縁起」である。
お釈迦様の教えは、大まかにまとめれば、これらを超えるものではない。
ゆえにのちの南方上座部仏教、大乗仏教に共通して、見られる。

このうちの「四聖諦(四つの真理)」とは、

1、世間のすべては、苦しみである
2、苦しみの原因は、無明と渇愛である
3、苦しみの原因は、滅することができる
4、苦しみを滅する道は、八正道である

である。

八正道とは、いろいろ解釈があるが、だいたい以下のようなことになろう。

正見(この世は縁起しており、執着する対象も、執着も実体がなく、無常である)、
正思(無常なので苦しみであることを思って、世間を厭離する)、
正語(嘘や悪口などを離れる)、
正業(執着によって引き起こされる殺人、不品行、盗みなどをしない生活を誓う)、
正命(悪いことをして生活しない)、
正精進(すでに起こった悪は捨て、未だ起こらない悪は起こらないようにして、良い生活に務める)、
正念(心身の思いに注意して、正しくあるようにする)、
正定(トランス状態などにならず、普通の当たり前の意識で、正しく精神集中して、物事を行う)

これらは他のインドの宗教から「汝らは空を解くのに、実体がある教えを説いているではないか」と批判されたが、
すべて、この世の空性を見るための手段である。
四諦、八正道はこの世が、縁起により、実体ないままに現れているように見えることを知るための修行手段であり、
それそのものが「中道」である。

これらを認識し、実習することで、苦しみを滅する道に入ることができる。

毎日のニュースを見ていると、世の中はまるで炎のように、執着、煩悩で燃え上がっている。
それらは、まさに苦しみそのものの有様である。
苦しみを軽減するためには、それらから離れる必要がある。なぜなら、欲望こそが苦しみの原因だからである。
快楽を追求することが、そのまま苦しみの原因なのだ。
苦しみを軽減するためには、苦しみを引き起こす元を止めなければならない。
快楽や欲望を追求しても、ますます欲望が激しくなるばかりで、苦しみはなくならない。

それを知って、1日でも欲望の追求から離れてみることが良い。
わずかでも、心の安らぎが得られるであろう。

*本質を見抜く目

世の中には多くの現象が起こっているように見える。
毎日目の前に起こる現象は、いろいろな印象を私たちに残す。
それらが「積み重なって(citta)」いるのが、心だという。
心があるから、苦しみもある。
心の本質をはっきりと見届けるならば、苦しみも、苦しむものも、ともに存在しない。
それらの現象が実は「起こっていない(不生、an-utpāda)」と見抜くと、心も積み重なる印象も、ともにありえない。

しかし、それは、肉体という縁が尽きない限り、存在する。
肉体がある限り、心がある限り、苦しみはなくならない。
なぜなら、原因がある限り、結果はなくならないから。
たとえ肉体が滅んでも、心の相続はなくならない。

完全に苦を離れることのできるのは、仏陀だけである。

複雑に入り組んだ概念に惑わされないようにしなければならない。
強く刺激する現象世界に惑わされないようにしなければならない。
しかし、そう思っているのは、われわれが心や肉体を持っているからである。
それらが微塵も存在しない世界が、仏の世界である。
だから、仏を惑わそうとしても惑わすことは出来ず、
どのような力で破壊しようとしても、決して破壊することができない。
もともと存在しないものを、どうやって存在しなくすることができようか?

誰もがこの上にいるし、周りじゅう、このような当たり前の中にいるのに、
誰も、認識することも出来ず、感じることもできない。
そして、自らを苦しめ、自ら地獄や天国を心の中に作るが、それは初めから存在したことのないものだ。

仏陀以外には認識できないのに、世の中には「私こそは知っている」と言っている人が多い。
彼もまた、肉体や心を持っている。
私はそんなものを知る暇はない。
毎日の生活で精一杯だ。

* 神秘体験に意味はあるか?

オウム真理教でサリンを地下鉄に散布した科学者(死刑執行された)の手記を読んでみた。
それによれば、彼は世界の存在を虚しく感じていた。その時にオウムの本を読んだところ、同じような神秘体験をしたために、オウムの教義を真実だと盲信するようになり、その結果、あのような事件を起こすに至った。
彼は手記の中で「神秘体験とは、脳内物質の異常によって起こされる幻覚であり、それ自体に意味はない」と書き、「私のせいで多くの犠牲者が出たことは、悔やんでも悔やみきれない」と悔恨の情を吐露している。

残念ながら、現在でも「神秘体験」「悟り」を異常に強調している宗教は存在する。また、世間のルールとは全く関係のない集団を形成し、独特な考え方を持つ宗教は存在する。
これは、確かに仏教の持つ一面ではある。ここに紹介する「二諦説」という考え方、つまり「勝義と世俗」という二つの世界が存在する、という考え方は、まさにそのような考え方に理論的な根拠を与える一面がある。
しかし、これは「宗教とは何か」という問題の根本に関わる問題である。

そこで、いろいろと考えてみた。
まず、宗教的な世界である「勝義(parama,完全な、優れた-artha,意味)」の指し示している内容である。
これは、普通の世界を超えた、「神秘体験によってしか知ることのできない」世界なのであろうか?
たしかにそういう理解は、仏教の中に存在する。それがその宗教の本質なのだ、ということもできるほど、大きな問題だ。
宗教というのは、多かれ少なかれ、神秘体験を強調し、世俗と対立する、という構造を持っている。
だがこれは、一歩間違えるとオウム真理教のようにカルトを形成することになる。

このような状況を避けるために、伝統的な宗教は、世俗の法(=法律)と聖なる法は根本的に一致していなければならない、ということを、集団に対して求めた。大宗教のほとんどが、厳格な戒律を示しているのはそのためだ。
また、キリスト教にせよ、仏教にせよ、おおきな宗教は大抵世俗の権力と関係を持つことになった。
それが「世俗化」である、と批判する向きもあるが、宗教が人間社会に属している以上、当然そうなっていく。

世俗の法が完全に守られた上での宗教であり、反社会的な面が拡大していけば、簡単にオウムのようになってしまうだろう。
その意味で、宗教がある程度世俗化していくことは必要であり、悪では無い。
怖いのは、その集団が社会との接点を全く拒絶し、カルト化していくことだ。

一部では教団内部での暴力が黙認されているようなところもあるが、とんでもないことである。
それは、恐喝罪や暴行罪に相当する行いだ。それを見過ごしていると、教団の反社会性が強くなっていくだろう。
宗教の意味を根本から否定する愚行だと言える。明らかに世俗の法に反することをやっている団体は、厳しく取り締まっても良い。どんなに伝統のある教団であったとしても、暴行は決して許されることではない。

当たり前の世界がまず承認されていなければならない、ということも、伝統的な宗教ではよく言われる。
伝統的な宗教は陳腐だ、と思うかもしれないが、それは、長い伝統の中で、世俗の当たり前の認識を失ってはいけないことを、その教団が学習したからである。
世俗の法律の大切さを自覚した結果であり、「陳腐であり、あたりまえであること」は、むしろ評価できることなのだ。
聖なる世界は日常の生活の中にある。他の場所に何があるというのか?
後期インド仏教で認識論が盛んになるのは、その当たり前の認識を失わないための工夫の一つである。「何が正しい認識なのか」ということを、はっきりさせるために認識論が必要だったのだ。(後期インド仏教の認識論では、人間の認識根拠を直接知覚と、それに基づいた概念活動と、論理的な推論であると規定するに至った。しかしながら、これと真っ向から対立する「タントラ仏教」も盛んになり、その矛盾はそのままチベットに持ち込まれた歴史がある。)

「神秘体験」に意味はない。それよりも大切なことは、日常の生活を一生懸命にやる、ということだ。

* 現代における宗教はどうあるべきか

人とは異なった体験を有することが、「特権」とは言えない時代が来るだろう。
科学の発達は著しいスピードで発達している。いまやこれまで神秘とされていた現象を説明できる。インターネットによって、その情報は世界の隅々まであっという間に伝わる。
このような世界が、本当に良いかどうかはわからない。
その情報は偽のものも多くあるし、事実以上に誇大に評価されるもの(例えば、人工知能のようなもの)もある。
しかし、情報を選別する能力を鍛えれば、今までは大学のラボの奥にあって、接することもできなかった有用な情報にアクセスすることも容易になっている。
これは「知の独占」がもはや難しい時代が来ていることを意味する。
有用な情報は共有されることが望ましい。それによって、人類は間違った考え方から守られ、より共同を深めることも可能だ。
だが、現実はそう簡単では無いことは、昨今の世界情勢をみれば明らかである。

「特別な知識、経験」が、実はそうではなかった、そんなものはなかった、ということが明らかになると、それに依存してきた宗教は存在意義を失うだろう。
そういう時代は、もう来ている。

では、そのような時代に宗教が万人に救いをもたらす存在として、存在するにはいかにすればよいのだろうか?
「事実」「現実」は否定できない。
ならば、その現実に対して、素直に向き合うより他はないのではないか?
それ以外に、一体何があるというのか。

釈尊は仏教を説かれた当初から、そのように考えておられたし、それは後期仏教に至るまで、一貫して仏教の正統派では維持されてきたように思う。
大乗仏教は神秘主義を否定することはないが、それはあくまで「ほんものの現実」を認識するための手段として説かれただけである。
目指すところは、極々平凡な、当たり前の認識が機能する世界だ。決して超能力などではない。

この点、仏教は今でも宗教的意味を失っていないし、それどころかむしろますますその意味が重要になってきている。
仏教は現代における唯一宗教らしい宗教だと言えるかもしれない。

* 人間は「存在する」「存在しない」以外は認識できない

我々が対象を認識するとき、そこには「存在する」か「存在しないか」の2通りの認識しかない。
例えば、「あの山に煙がたっている」とか「犬がいる」とか、「お金がある」とか「お金がない」とか。
お金が存在する、とは目の前に「お金」である百円玉などがあることである。ただし日本語では、「ある」に属格の意味があり、それが自分の持ち物であることを示す。

およそ目の前に見えるもので「存在し、かつ、存在しない」ものを、私たちは認識することができない。
認識できないものは「存在しない」に含まれる。
世の中で認識と考えられていることは、簡単にいえばこういうことである。

言葉の上で仮に「存在し、かつ、存在しない」ものは、仮定することができるが、それがいかなるものであるかを、私たちは言葉でしか言うことができない。具体的に示すことはできない。

このように言葉を使う、言い表す、書くという行為は、その最初から必然的に「ある」「なし」の極端論を含んでいるのである。極端論を離れるならば、言葉で言い表すことができないことになる。
ゆえに、この世界で起こる現象を、仏教の厳密な論理によって観察すれば、最終的には言語表現が不可能だという結論に至る。

世間一般で使われる言語習慣は、このような性質を持っている。
人間の神経細胞が「全か無かの法則」に従っているので、そうならざるをえないのだ。
スイッチがONなのか、OFFなのかに従って、初めて判断が生じる。それが認識の正体である。
言葉がこのような性質をもっている限り、言葉を使う者はこの性質に従わざるをえない。
そうしなければ、認識は生じない。

「これ以外の法則が、言葉にはあり、われわれの集団ではそれが通用するのだ」と言っている人たちがいる。
これらの人々は、世間から理解されるわけがない。なぜなら、世間の言葉の法則とは違うルールで、世界を作り上げているからだ。
それらの集団の使う言葉は、一般常識からすれば「存在しない」と判断されるだろう。なぜなら、どれだけ思考しても、言葉では理解できないからである。

それは「神秘的な新たな言語」なのだろうか?
私には、「言葉を使用する以上は、言葉の一般的な規則に従うべきではないか」と思える。
それができないならば、沈黙すべきである。
決して理解されることのない言語を使用することに、何の意味があるというのか。

ブッダの説法は、決して世間の言葉を無視した「神秘的言語」によって説かれるのではない。
『中観荘厳論』の中でも言われるように、「ある、ない、どちらでもある、どちらでもない」という言葉の規則を用いて説かれている。これはブッダが世間の言葉の規則に従っていたことを示している。
ブッダの説法は、それゆえに「説法(法を説く)」と言われる。

*2種類の”無知”について

仏教では、無知(無明,avidyā,ma rig pa)と欲望(渇愛,tṛṣṇā,sred pa)が人生の苦しみの根本原因である、と定義する。

欲望については、大雑把に分類すれば
1、感覚的な物事への執着(もっと欲しい、もっと快適な住環境が欲しい、もっと美味しいものが食べたい、もっと裕福になりたい、など)
2、存在することへの執着(もっと偉くなりたい、もっと認められたい、死にたくない、など)
3、存在しなくなることへの執着(消えて無くなりたい、死にたい、など<これも欲望である。無欲のゆえにこう思うのではない)
の3種がある。
感覚や感情の領域に属す問題であるので、直感的にわかりやすい苦の原因である。これらの欲望が満たされないと「渇きに似た欲求」が生じるので、「渇愛」と言う。

問題は、無知の方である。
これは、少々わかりにくい。
1、間違った学説
例えば現象は永遠不滅の唯一の存在が作り上げたものである、とか、物事には固有不変の本質があるなどの「誤った学説、見解」によって生じた無知であり、これは、その学説を仏教の正理によって検討して、無自性であり縁起している、と「理解すれば」取り除かれる無知である。普通我々の知っている無知は、これであろう。頭の中で作り上げる無知なので、「遍計の無明」(parikalpita-avidyā)と言う。

しかし、大乗仏教ではさらに根深い無知の存在を認める。これは
2、「生まれつき持っている無知」(倶生の無明,lhan skyes kyi ma rig pa)と呼ばれ、これこそ、輪廻の根源である、とする。(『菩提道次第論中編』)これを捨てるには、正しい否定対象、つまり人が生まれつき持っている人我執と法我執の二つの我執を、実習(修行)によって断絶するしかない。なぜなら、文字だけの学習によって否定されるのは、後天的に学習した概念だけだからである。

無我や無自性の理論、概念だけを理解して(これはもちろん必要なことであるが)すべてを体得した、というのは、お笑い種以外の何者でもない。
倶生の無明をなくすことと、学習によって後天的に得られた無知をなくすこととは、お互いに関係がない。
つまりどれだけ学習を積み重ねて、無明を滅ぼしたと口で言っているだけでは、なんの意味もないのである。
たとえば自分の家の中に蛇がいるのを見て、「ここには蛇はいるけれども、象がいないから安心だ」と言っている愚者のようなものである。恐怖の原因である蛇を外に追い出さなければ、恐怖はなくなるはずがない。
生まれつきの無知を根絶するには、この私が存在する、という見解と、外界の対象が真実として存在する、という見解を実際に否定しなければならない。これには正しい実習が不可欠だと思われるが、容易なことではない。
これは人間の「本能」として持っているものごとに対する執着を、それが成り立つ基盤もろともに成立しないことを体得することであり、これによって、あらゆる苦しみの原因である無明が絶たれるのである。
普通に生きている人間は、無意識的な「本能」を持って生きている。それは私自身に対する強固な執着であったり、外界の対象に対する強固な執着であったりする。
しかし、それらを否定し去れば、私たちは生存することができなくなるのではないか?
それが、恐怖となり、人にそのような考え方をさせないようにしている。
「本能」を否定する、ということは死に直結する。しかし、仏教は別に「死ね」と言っているわけではない。
これを誤解すると、「虚無主義」という、もう一つのはなはだ誤った極端論に陥る。
ブッダは「中道」を説いたのである。現象を正しく観察して、それらが因果関係の連続として止まらず、無自性なるものとして存在するのを見なさい、といっているのである。
そこには執着の対象が存在しない。執着している者も存在しない。
「存在」を命であると思っている誤解こそが、苦しみである。「存在」を否定してしまっても、いのちの連続はなくならないのだ。
ただ、私も変わるし、すべてのものは川のようにさらさらと流れているだけである。
そうでないと良くなろうという努力は否定される。
努力を積み重ねるためには、物事が変化することが必要なのである。

* 縁起と空が同時に現れるありかた

チベット最高の仏教者であるツォンカパ(Tsong-kha-pa、1357-1419年)は『菩提道次第論』の中で、「空性と縁起が矛盾無く現れることが、中観帰謬論証派の、他とは共通しない(不共)の仏法である」と述べ、「それを理解することは、極めて難しい」と述べている。これはツォンカパが到達した「空」に対する正しい理解であり、偉大な成果である。
(ただ、これがインドの仏教学者の理解と全く同じであったか、どうかは検討する必要があると思われる。)
この学説を非常に大雑把に説明すれば、以下のようになるかもしれない。
空性とは「それ自身で、他の力を借りず成立している固定的な実体が存在しない」ということである。それが「条件によって発生しており、因果関係が決して失われない現象」と全く同じである、ということを「正しい論理によって」理解するのである。
この「正しい論理」は、ダルマキールティによって確立された仏教論理学のことを(間接的に)指している。また、シャーンタラクシタによって確立された「離一多性証因」が、この『菩提道次第論』の中で多用されていることは、実際にこの論をお読みになれば、確認されるだろう。
この場合、普通に目の前に存在する現象の姿形などは、決して否定されない。ただその中の「自性」だけが否定対象なのである。
目の前に展開する現象を、無自性であり、その故に縁起している、と確定することが、普通は非常に難しい。
そのために普通の人間は、対象に執着して苦しみを受けるのである。
これは、頭でわかっているだけではダメで、それをありのままに経験する必要がある。
しかし、この世の中の現象をよく観察すれば、変化して一瞬たりとも停止していないことが理解できるはずだ。
なぜなら、昨日いた人が死んでいないこともあり、昨日いなかった人が、生まれてくることもある。
年を取ると、10年前読めた本の内容を忘れてしまって覚えていないこともあり、若い頃にできていたことが全然できなくなったりする。
また、10年前は全くわからなかったことでも、今はわかる、ということもある。
朝起きて、食事をすれば、少し体の構成が変わるはずだ。それと同時に、脳の中身も少し変わる。
ただ、それは因果関係でつながっているために、連続性が損なわれることは無い。
そのため、朝起きたら昆虫になっていた、ということは無いのである。

* 概念的活動が苦しみの元である

ブッダの入涅槃の後、仏教は「思弁哲学」になってしまった。その極致が『阿毘達磨倶舎論』であった。
ブッダの残された言葉を、「概念的に」研究するだけになってしまった仏教に対し、それらをブッダの真意でないと考えた仏教者たちが、大乗仏教を興した。

「概念」がどんどん増大すると、「現象」をそれらで解釈しようという傾向が生まれる。
実はそれらの「概念的思考」は、個々の脳内で行われている、いわばシミュレーションであり、「現象そのもの」ではない。

やがて唯識思想が生まれた時、彼らはこの世界を「すべてが心の作り出す幻である」とすることで、明確に示した。
また中観思想では、その「心」すら存在しないことを示した。
すべての苦しみは、自らの心が生み出すものである。それはブッダ自身の説いた教えである。
現象とかけ離れた概念的活動が、苦しみの根源なのだ。それらを離れれば、苦しみは無いことになる。
なんと、人間は、自分自身で自分自身を苦しめているのだ。
心の認識を、概念活動を排除して正しく見れば、この世界の縁起しているあり方がわかる。
どのようなものも、それ自身で存在しているものはない。無数の条件によって、存在しているように見えているだけで、確固とした存在は、どこを探しても存在しないのだ。常に変化しているものを、「存在している」と言えるだろうか?
私たち人間が、年老いて死んでいくように、すべての世界も一瞬たりとも止まらず、常に変化するダイナミックな流れの中に含まれている。
だから、幸せを求めて、概念的思考を続ける限り、永遠に幸せには至れないことになる。

では、具体的に私たちはどうやって生きていけばよいのだろうか?
概念を捨てて、現実に向き合う以外には無いのだ。しかし、その「概念を捨てる」という概念や、「幸せ」も概念ではないだろうか?
この世界は、概念で出来上がっているのではないだろうか?
では、どうすればよいのか?
それは、各自で解決するしかない。誰も神秘的力で解決させてくれるわけもない。そんなものに頼るのは非常に危険なことである。世の中にはオウム真理教のような危ない宗教がごろごろしている。彼らは概念や象徴を巧みに使って、何も知らない人々を搾取し、苦しめて本当に地獄の底まで連れて行くだろう。

結局は一人で解決するしかない。各人がごく当たり前の、ありのままに世界を見られる力を持っているのだから。
それはできる。不可能なことでは無い、と断言できる。われわれは自信を持たなければならない。
私たちの目の前にある、当たり前の世界こそが、真実そのものである。
それを感じる力は、たとえ視覚や聴覚を失ったとしても、われわれには確かに存在するのだ。
それこそが、かけがえのない、貴重なものなのだ。それを失ってはいけない。もしも失ってしまっていたとしたら、元にもどす努力はできる。 むずかしいことではない。ただ、あたりまえであれば良いだけだから。

* 問題解決能力

おもしろいページを見つけた。

問題解決能力を上げるための3つのド基本

------------引用---------------

問題解決のコツは
1、どこに問題があるのか? (どこ?:where)
2、原因は何か? (なぜ?:why)
3、どうやって解決するのか? (どうやって?:how)

この3つ質問に「いかに早く正確に答えるか?」にかかっています。

------------ここまで-------------

これは、仏教の論理でもだいたい同じである。
今は、上のページにしたがって、考えてみる。

まず、人間の人生の問題をどうやったら解決できるのかを考えてみよう。
では人生の「どこに問題があるのか」。
人生には苦しみという問題がある。これがあるために、人は幸せに生きられない。
1番は、「苦しみ」に問題がある、ということであることがわかる。

次に、その苦しみの「原因は何か?」ということを考えてみる。
原因はこの世の物事が、無自性=縁起であることを知らないために、対象に執着してしまう「無明」と、
とめどなく湧いてくる「渇愛」「欲求」「欲望」である。
存在しないものを、存在すると思い込む「無明」があるから、何かを「永遠に存在する」と思ってしまう。そしてそれを得ようとする「欲望」が起こる。
また、「永遠に存在しない」と考えて、全ての現象に対して対処することが不可能になってしまう。これもどうしようもない執着を生み出す「無明」の一種だ。「存在」「非存在」という、両極端の考え方そのものが、「永遠」でなく、自性を持たないことを知らないのである。
どちらも「決して満たされることはありえない」ので、「苦しみ」が起こるのだ(永遠に満たされることがないことが、苦しみの本質なのである)。
つまり2番は、「無明」と「渇愛」とが、苦しみの原因だということになる。

では、その苦しみを「どうやって解決するのか?」。
原因がなければ、苦しみという結果はありえない。
つまり「無明」と「渇愛」をなくせばよいのである。
これを克服するために「八聖道」(8つの正しい行い)を実習する。
この世の物事を、ありのままに見て、そこにどんな自性も存在しない、とみる「空観」を実習する。
自性が存在しないことをはっきり見るので、対象に対するどんな欲望も起こりようがないのである。
その時に、自然と正しい戒律を守るようにもなる。
その結果、苦しみはおのずから存在しなくなるのである。

以上のようなことを、ブッダは2500年以上も前に「四聖諦(苦集滅道)」という言葉にまとめられている。
この時代から、人間の悩みの基本は何も変わっていないのである。

問題解決能力を上げるためには、仏教の勉強が最適だ。
仏教の論書には、過去の聖人方が人生の問題に取り組んだ思考と、それらに対する最適な解答が書かれているように思う。

* 『大乗起信論』について

『大乗起信論』は、日本の伝統的な仏教学で「大乗仏教の概論」として必ず学ばれた大切な論書である。
これは日本だけでなく、中国、韓国などの漢訳仏教圏でも同じであった。

近年の研究によって、この『大乗起信論』が中国で作られたこと、そして、おそらく中国南北朝時代(439-589)の北朝(北魏、386-534)で成立したこと、真諦三蔵が翻訳したというのは後から付加された説であること、などが明らかになっている。(大竹晋、『大乗起信論成立問題の研究ー大乗起信論は漢文仏教文献からのパッチワークー』

また、これにより『大乗起信論』と、北魏に最初に伝わったと言われる初期の禅との関係がとても深いことが明らかになった。
この点については、以前から注意している学者もある(石井公成氏など)。

『大乗起信論』が日本仏教に与えた影響は計り知れないほど大きい。それは、この論が簡潔で理解しやすく、論旨も通っていたからである。北魏時代の仏教研究のレベルの高さを示しているとも言える。
そのため、「インド仏教」の概論として、必須の知識となっていったのである。

しかしながら、この論に説かれるインド仏教は、漢訳文献に基づくものであり、解釈も中国思想に基づくものである。
インド仏教の伝統とは、全く異なる部分も多い。
そのため、この論は中国人がインド仏教を「主体的に」受容した結果生まれた、新たな論であると言っても過言ではない。

かつて中国仏教が非インド的な「本覚思想」(生きとし生けるものが、もともと仏である、という考え方)を説いているので、仏教ではない、と批判した学者もあるが、その典拠がまさにこの『大乗起信論』に他ならない。

しかし、『大乗起信論』の独自性は本覚・始覚という「本覚思想」だけにとどまるものではなく、もっと広いものである。
この論はインドの唯識と如来蔵と中観の思想を、中国土着の思想(体、相、用の思想、道教や儒教)で中国の仏教者に理解しやすく解釈した論なのである。

これに初期の禅が深い関係を持っていたとすれば、非常に興味深いことである。

インドでは衰退の一途を辿っていた仏教が、中国やチベットなどで新たな発展を遂げたことは、インド仏教の、他に類を見ないほどの、他者に対する寛容の精神がなければ不可能であったであろう。

仏教の教義は時代に適応し、地域に浸透しやすいという普遍性を持っている。それは仏教が「自己主張」をしないことに徹底する教えを持っていたからである。そのため、どんな土着の宗教とも矛盾せず、極めて受容されやすかったのである。
また、仏教に刺激されて土着の思想が生命を蘇らせたという事実も、仏教の力の偉大な一面を示すものである。

『大乗起信論』が中国で著されたことは、日本に伝わった仏教の価値ををわずかでも貶めるものではなく、むしろインド仏教が決して成しえなかった「新たな展開」を中国思想と混じり合うことによって実現した事実は、大いに評価されるべきである。
それは当時の中国仏教の実践者が、非常な信仰の力によって成し遂げたことであり、この功績は何ものにも変えられない貴い行いであった。

現代まで日本に伝わり、信仰されている仏教がこの中国北魏の時代に編まれた『大乗起信論』によって打ち立てられた仏教の解釈によっていることは、各宗派の教義を検討すれば明らかである。
禅や浄土教、もちろん真言や天台なども、この論に依らないものはなく、この論が仏教の基本の位置を占めていたことは間違いない。
近代になって西洋から輸入された仏教学による研究成果による理解とは比較にならない期間、ずっと『大乗起信論』によってインド仏教が理解されてきたのである。

これを無視して中国、韓国、日本やその他の地域に伝承される仏教を理解することは、不可能であると断言しても大過無いであろう。 現在実際に行われている仏教に関して、この事実は曲げられない。

* すばらしい言葉

仏教の経典や論書、禅の語録などを読んでいると、すばらしいと思う言葉に出会うこともある。
言葉に過ぎないものではあるが、ふっと気がついたり、反省したり。
私は日本人だから、インド仏教の難解な言い回し、論理のピリッと効いた言葉ではピンとこないことは多い。
やはり、その点、「禅」の言葉は、直接響いてくるものが多い。

例えば達磨大師の『二入四行論長巻子』の、弟子との問答の部分は、直接的で良い。
また、『歴代法宝記』の無住の説法などは、言葉として表現できるギリギリの境地を表していると思う。
のちの語録などでは「漢詩」で自らの境地を表現しようとしているが、ズバリと言い切る場面が少ない。

例えば『歴代法宝記』などではこんな感じだ。
----------------------------------
隴州開元寺覺禪師の弟子、知一師は人呼んで質実剛健の僧と言われていた。
ある時、無住の元に修行にやってきた。
そこで無住は彼に問うた。「お前さんはどこからやってきたのか?」。
知一師は答えた。「隴州から来ました」。
無住は問うた。「誰の弟子だ?」
知一師は答えた。「覚和尚の弟子です」。
無住は問うた。「覚和尚は誰の弟子だ?」
知一師は答えた。「老福和尚の弟子です」
無住は言った。「お前さんが修行してきた過程を言ってみなさい」
知一師は答えた。「心の浄らかさを見なさい(という修行をしていました)」
そこで無住は以下のように彼に説法をした。「法には汚れも浄らかも無いではないか。どういうことを「心の浄らかさを見る」と言うのか?ここでは、浄らかさを証明する理由は無いからだ。だとすれば、どこに汚れがあるのか?浄らかさを見ることは、そのまま汚れだ。汚れを見ることが浄らかさだ。妄想は汚れだ。妄想の無いことが浄らかさだ。我を認めるのが汚れだ。我にとらわれないのが浄らかさだ。無念がそのまま汚れの無いことだ。無念がそのまま浄らかさの無いことだ。無念は肯定の無いことだ。無念は否定の無いことだ。無念は自が無いことだ。無念は他が無いことだ。自他を離れるならば、悟りを開いて成仏する。まさに(自に成り切り、)自である時、自もまた自でない。」
知一師はこれを聞いて、悟りを開いた。そして説法の場から他に移ろうとしなかった。
無住は知一師の志が篤く、忠義の心があるのを見て、名を改めて超然と名乗らせた。
彼は常に師のそばを離れず、寺の実務を楽しんだ。

(隴州開元寺覺禪師弟子知一師。時人號質直僧。 來投和上。和上問。汝從何來。知一師答。 從隴州來。和上問。是誰弟子。知一師答。覺和上弟子。 覺和上是誰弟子。是老福和上弟子。和上云。 說汝自修行地看。知一師即呈本師教云。 看淨。和上即為說法。法無垢淨。云何看淨。 此間淨由不立因。何有垢。看淨即是垢。 看垢即是淨。妄相是垢。無妄相是淨。取我是垢。 不取我是淨。無念即無垢。無念即無淨。無念即無是。 無念即無非。無念即無自。無念即無他。 自他俱離。成佛菩提。正自之時。自亦不自。 知一師聞說。言下悟。於說法處。更不再移。 和上見知一師志性淳厚有忠孝心。便為改號名超然。 不離左右。樂行作務。)

*鳩摩羅什と玄奘三蔵はなぜ「自性」を訳さなかったか?

(小本)鳩摩羅什訳:照見五陰空。(五陰が空であると照らし見た)
(小本)玄奘訳:照見五蘊皆空。(五蘊が皆空であると照らし見た)
(小本)法隆寺本サンスクリット:pañca skandhāḥ tāṁśca svabhāvaśūnyān paśyati sma ||(そして、五蘊はそれらが自性空であることを、彼は見た)

(大本)般若共利言等訳:照見五蘊皆空。(五蘊が皆空であると照らし見た)
(大本)智慧輪訳:照見五蘊自性皆空。(五蘊の自性が皆空であると照らし見た)
(大本)法成訳:五蘊體性皆空。(五蘊の体性が皆空である)
(大本)チベット語訳:phung po lnga po de dag kyang ngo bo nyid kyis stong par rnam par rjes su blta'o/(これらの五蘊もまた、自性が空であると完全に観察した)
(大本)サンスクリット: pañca skaṃdhās tāṃś ca svabhāvaśūnyān vyavalokayati ||(そして、五蘊は、それらが自性空であることを、彼は完全に観察した)*中村本によって訂正。

『般若心経』の冒頭の一節の一部の諸訳を並べてみた。
(梵本は、大、小本共に不自然なサンスクリットである。正しいサンスクリット文であるならば、性、数、格の一致はわかりやすい。原本にも間違いが多いらしく、そのままでは読めないので、中村本を参照した。)
梵語の”svabhāvaśūnyān”という言葉が、鳩摩羅什と玄奘訳と般若共利言等訳では「空」の一字で訳されている。般若共利言等は長いヴァージョンの『般若心経』を訳しているはずなので、他の”大本”の訳と合ってこなければならないはずであるが、違っている。
また”小本”には”svabhāva(自性または性)”という言葉が見える。仮に玄奘がこの本に基づいて訳していたならば、当然「照見五蘊皆空」となるはずであるが、実際にはなっていない。

このように、『般若心経』の漢訳には様々な混乱がある。
玄奘三蔵が”svabhāvaśūnyān”という言葉を「自性空」と訳さなかったのはなぜだろうか?
鳩摩羅什の訳も同じなので、この訳が用いたサンスクリット原典にも「自性」が無かったのだろうか?
その理由が、どうもわからない。
鳩摩羅什訳に基づいた『般若心経』の註釈が一本も無いことも、この問題を複雑にさせる。
のちに中国で註釈された『般若心経』の全てが、玄奘訳を用いていることも、理由がはっきりしない。

また、のちに中国で「色」と「空」が、「有」と「無」の関係に置き換えられてしまったのは、もしかしたら玄奘訳の『般若心経』に由来するのかもしれない。

本来の「空性」もしくは「空」は「縁起」と同義であり、「有」と「無」、「有かつ無」、「有でもなく、かつ、無でもない」ものを離れたものであるから、そこに「有」という自性も、「無」という自性も、存在するはずがない。むしろ「有」や「無」は否定対象である。それが「無自性」「空」の本来の意味であるはずである。

玄奘訳『般若心経』の場合、これが「有かつ無」の意味で理解されていた形跡がある。つまり「空」を「無」の意味で理解してしまっているのである。
この場合「有」の自性も、「無」の自性も、存在することになる。論理学的に言えばそれは「両価」であり、「Null値」である。
論理学においてNull値を認めると、「なんでもあり」になってしまう。これでは龍樹が目指した「戯論寂滅」の方向とは逆になるのではないだろうか?Nullはまったく無秩序な論理空間である。たしかにこれは「有でもなく無でもない」が、同時に「有」もあり「無」もあることになる。また、「有」でもあり、「無」でもあることになる。常識的論理は全く通用しない。どんな言説でも間違いでないことになってしまう。どんどん「戯論」が増えていってしまう。

本来仏教が目指した方向は、「概念(戯論)」を実体のないものとして否定する方向にあったと私は思っている。
「縁起」している現象に対応する固定的な概念は存在しない、真理は言葉に表すことが不可能である、というのが本筋ではないかと思う。
しかし、言葉が語られるのは、われわれ人間が「有」と「無」を前提とした言葉を用いないと、思考できないからである。
お釈迦様はそのことをわきまえたうえで、説法されるのである。

*『般若心経』は「マントラ」(呪文)なのか?

『般若心経』ほどよく知られた経典はないであろう。仏教という時、まず「色即是空」を思い浮かべる人も少なくない。
アン・ルイスの「Four Seasons」という歌の歌詞にさえ引用されたほどだ。この「色即是空」が『般若心経』の一節であることは言うまでもないことであろう。

この経典の出自については、近年特にいろいろと議論されている。
ハーバード(現カルフォルニア大)のジャン・ナティエ教授によって、「般若心経は中国で作られた経典である」という説が出されてから、さらに議論が盛んになったような気がする。
また、これを受けて日本の福井文雅氏、原田和宗氏などがこの経典をインド撰述のものである、として反論している。
また原田氏は、この経典全体がマントラ(呪文)である、ということを示唆されている。

私の至った結論からすると、『般若心経』は最後に明確に示されるマントラの部分以外は呪文ではない。
阿 理生「Prajñāpāramitā-hṛdaya(『般若心経』)の問題点」(『印度学仏教学研究』56−2)によると、
般若波羅蜜多=マントラと見る見解は、梵文原典や、敦煌本チベット訳小本の『般若心経』を読むと無理があるようだ(チベット訳の場合は「真実であって、虚偽ではないから‥般若波羅蜜多の真言が説かれる」という意味になる。チベット語で助字「'i」は属格を表し、「〜の」「〜にとって」あるいは与格的に「〜のために」「〜に対しての」の意味で使われる。いずれにせよ、「真実」の主語は、ここで5つに分けて特徴が説明される「真言」である。漢訳の「是大神呪‥」では、「是」の前が主語になる可能性があるので、「般若波羅蜜多」そのものが主語になり、これが「呪(真言)」である、という解釈が成り立つ可能性もある。)

de bas na shes rab kyi pha rol to phin pa chen po'i snangs/
(これゆえに、偉大な般若波羅蜜多(智慧の完成)の真言、)
rig pa chen po'i snags/(偉大な智慧の真言、)
bla na myed pa'i snangs/(この上ない真言、)
mnyam pa dang myi mnyam pa'i snangs/(等しいもののない真言、)
sdug bsngal thams cad rab to zhi ba'i snangs/
(すべての苦しみを完全になだめる真言は)
bden te/(真実であって)
myi brdsun bas na shes rab gyi pha rol to phin pa'i snangs smras so/(虚偽ではないから、般若波羅蜜多の真言が説かれるのである。)
「上山大峻「敦煌出土のチベット訳般若心経」(『印度学仏教学研究』26),pp73-77.参照」

やはり、般若波羅蜜多とはあくまで「智慧」の完成のことであり、末尾に付されるマントラは、般若波羅蜜多(智慧の完成)のためのマントラである。

もし全体が呪文であるならば、それがなぜ中国で翻訳されたのか?玄奘三蔵自身によって「五種不翻」という翻訳の規則が立てられ、その中に「陀羅尼(マントラ)は訳さない」となっている。

《翻譯名義集》卷1 :「唐奘法師論五種不翻。一祕密故。如陀羅尼。二含多義故。如薄伽梵具六義。三此無故。如閻淨樹。中夏實無此木。四順古故。如阿耨菩提。非不可翻。而摩騰以來常存梵音。五生善故。如般若尊重智慧輕淺」(CBETA, T54, no. 2131, p. 1055a13-18)

このように中国の訳場では、マントラは翻訳しないことになっており、『般若心経』に限って翻訳されたのだ、と言うならば、それ相応の理由がなければならない。このような例は、他のどんな経典にも見られない。

『般若心経』は、膨大な『般若経』経典群を簡潔に要約した優れた「経典」であろう。
ダライ・ラマ法王もこれを「経典」である、と認め「唱えるだけでは意味をなさない」と発言されている。
『般若心経』を読み、意味を理解し、研究し、実修することによって、中観の深遠な真理に触れることができる。
また、この『般若心経』には優れたマントラがあり、密教の教えにも触れることができる。

前述のナティエ女史は『般若心経』が玄奘三蔵が中国で撰述したものである、というが、それはあり得ることだ、と私は考える。
事実、『般若心経』には漢字に音訳(サンスクリットの音読みを漢字に写したもの)が存在し、敦煌文献として出土している。
その前書きに「玄奘三蔵は、インドへ旅立つ時、中国益州(四川省)の寺に宿をとり、ある病気の僧侶に出会う。彼の世話をしたところ、彼からこの『般若心経』を授かった。インドへの道すがら、これを唱えて難を逃れた。インドに到着すると、その病気の僧侶が姿を現わし、彼が観自在菩薩であったことを知った」という話である。(「観自在菩薩」とは、観音さまのことであり、玄奘三蔵はサンスクリットを正確に理解して「観自在菩薩」と訳したことは有名である)
玄奘三蔵が中国で文字に著したとしても、それに一体どんな不都合があるというのだろうか?むしろ玄奘三蔵の深い理解に感服するばかりである。三蔵はきっとこれを心で唱えながら、あの厳しいシルクロードを旅したのであろう。これはむしろこの経典の功徳を際立たせるだけである。私は本当に観自在菩薩が玄奘三蔵に授けたのだと、信じている。

『般若心経』は7世紀に敦煌でチベット語に翻訳された。最初は小本であったが、それに序文と後序が付加されたものが、大本である。なぜ付加が必要なのか、といえば、『般若心経』に、ダラニではなく「経典」としての体裁を持たせるためであった。
その後チベットに入ったインド人によって、『般若心経』の註釈が作られるまでに至った。
現在、チベット大蔵経の中に入っている『般若心経』の註釈は8種類あり、それ以外にも2、3の註釈が存在する。
中国本土に至ってはその何倍もあり、日本にも数え切れないほどの註釈が存在する。
これほど人々に長い間愛され続けている『般若心経』は、やはり優れた経典なのである。

『般若心経』膨大な『般若経』経典群を極めて優れた方法でまとめ、短いがゆえに、これほどまで普及した。
短いことによって、どんな人でも仏教に触れることができるようになった。この功績は、非常に大きいと言わざるをえない。
11世紀にチベットに入った名僧アティシャも、この経典に註釈をしており、この経典は般若経のエッセンスを、釈尊がお説きになられたのである、と注している。
その出自がどのようであれ、内容は非常に優れており、私たちはその内容を勉強し、お釈迦様の教えの真髄にわずかでも触れることができるのである。

私も、チベット語訳『般若心経』大本の日本語訳をこのホームページに載せてみた。膨大な般若経の教えの、爪の先ほども理解していないと思うが、読んでいただければ幸いである。

*敦煌出土 唐音訳 『般若心経』S.5648について

サンスクリットの読みを、中国の唐の音でそのまま写したものを「音訳」というが、それに敦煌出土本が何種類かある。
そのうちの一つ、スタイン5648号には、チベット文字が書かれている箇所がある。
敦煌がチベットに支配されたのは、A.D 786-840年頃の約54年間である。つまりこの写本はこの時代のものであることになる。

(チベット文字の「ka kha ga nga」という文字が読み取れる。)

このS.5648の唐音訳『般若心経』の序には、「観自在菩薩が三蔵法師玄奘に与えたもので、不空によって潤色されたものだ」と書いてある。『大正新修大蔵経』No.256の経題ではこれが「觀自在菩薩與三藏法師玄奘親教授梵本不潤色」と記され、「潤色されていない」と読める。『大正新修大蔵経』が底本としたS.700は、IDPのサイトでは現在確認できないので何とも言えないが、おそらく「空」の一文字が抜けているのであろう。
《唐梵翻對字音般若波羅蜜多心經》:「梵本般若波羅蜜多心經觀自在菩薩與三藏法師玄奘親教授梵本不潤色」(CBETA, T08, no. 256, p. 851b18-21)


(敦煌本S.5648では、「不空閠(潤)色」の文字が読める。)

不空三蔵は言うまでもなく、唐に密教を伝えた人である。この敦煌本S.5648によれば「玄奘三蔵に観自在菩薩が親しく教授した本に、不空三蔵が修正を加えた」という意味になる。

『般若心経』の最古の記録は、6世紀の『出三蔵記集』に失訳として記録される「出三藏記集》卷4 :「摩訶般若波羅蜜神呪一卷、般若波羅蜜神呪一卷(異本)」(CBETA, T55, no. 2145, p. 31b9-10)」の二本である。
つまり、少なくともこの時代から「般若波羅蜜のダラニ(マントラ)」の部分は存在していたと思われる。
もしかしたら、この「神呪」にはもともと経典の部分が存在し、それの翻訳が鳩摩羅什によって為されたのだろうか?
また「神」という音が「心」という文字に置き換わったのは、いつ頃からだろうか?
(サンスクリットのhṛdayaは、普通「心臓」「こころ」「知識」を意味するが、中国語の「神」はサンスクリットではdevaという別の言葉になる。「知識」とするなら、vidyāであり、この場合は「真言」を意味する。鳩摩羅什の訳では『摩訶般若波羅蜜大明呪経』という題がついているから、hṛdayaを「真言」の意味で理解していたことになるだろう。)
そしてそれを玄奘三蔵がインドに行く前に四川省で聞いたのかもしれない。観自在菩薩によって親しく教授された、というのは、この経典の内容が、玄奘三蔵が現地で学んだインド仏教の内容と異らなかった、ということを意味しているのだろうか?
不空が長安で金剛智に師事したのがA.D 714年と言われる。この時に、玄奘三蔵(AD. 602-664)の伝えていたサンスクリットの原典が、不空によって唐音に直されたのかもしれない。
あるいは、法隆寺に伝わる最古の『小本・般若心経』のサンスクリット本が8世紀のものとされているから、不空三蔵が、玄奘訳『小本・般若心経』を、サンスクリットに訳した可能性が、あるかもしれない。

詳しく調査した先学の業績をまったく考慮しない、勝手な推論であるので、お笑い程度に済ませていただければ幸いである。

* 「無念」とは

中国の禅宗において、明確に「無念」という考え方が現れたのは、それほど初期のことではないと思う。中国の禅宗は、インドから来たという三蔵法師菩提達摩の元で始まった。この頃の禅ははっきりした教団組織を持っておらず、非常に実践的な教えが説かれていた。しかしながら、最初から中国土着思想の強い影響を受けていたと思われる。
この後、この「禅」は組織化され、「東山法門」と言われる道信の頃から大きくなり始め、その弟子弘忍の頃に唐の王朝との関わりを持つようになった。
「禅」はもともと文章にできるような教えを説いて組織化されるようなことはなかったのであるが、この頃からインドの経典を用いて自らの立場を説明するようになっていった。
唐王室との関係が深まると、さまざまな派閥争いも起こるようになり、そのうち「どの派が正統で、どの派が間違っている」ということを主張するようになった。
また、禅の特徴的な思想である「無念」を強調するようになったのも、この頃からだ。経典を用いて理論的に説明するようにはなったが、禅独自の特徴として、高度なインドの仏教哲学、つまり唯識や中観を中国人自らが主体的に理解し、さらにそれを簡略化、具体化したことがあげられるだろう。
この結果「禅宗」といえるような教団が出来上がっていくことになるのである。
これはインドの経典を用いて、自らの立場を説明しはするものの、それをより主体的に深めた教えであり、間も無く経典の権威すら否定し、中国人独自の仏教を打ち立てることになった。これはやがて中国仏教の中心に位置することとなる。
この辺りの事情は、20世紀になって発見された敦煌文献の中にある禅関係の文献の研究によって、ようやく明らかになってきたことである。
禅を考えるにおいて、中国土着の宗教である道教や儒教の思想の影響を考えざるを得ない。もっとも初期の文献である『二入四行論』には、道教の聖典である『老子道徳経』の一節が引用されたりしており、禅が道教の強い影響を受けていることが確認できる。
政治的にも、道教は唐の時代、仏教を凌ぐほどの勢力を持っていたことがわかっている。
また、中国の僧侶がインドへ行って学習してくるようにもなった。
ということは、インドから中国へ、という流れだけでなく、中国からインドへ、という思想の流れもあったのではないか?
これまでの仏教学では、インドから中国への仏教思想の伝来は視野に入れるが、中国からインドへの思想の伝播の視点は、完全に欠落している。そういうことは無いはずだ、と思い込んでいる。
インドにおいて、本当に中国思想の影響が無かったのかどうかは、よく考えてみるべきテーマとして残されている。
中国的思想の特徴のうちの一つが「無念」であり、文字上は「思考停止」を意味しているように見えるが、内容は決してそうでない。禅における「無念」は、アクティブなこの世界そのものを表している。この「無念」の思想が、インドや西域に伝わったことは無いだろうか?
事実、チベットには確実に伝わっていた証拠がある。
チベットに伝わっていたくらいだから、インドにも伝わっていた可能性はないだろうか?
インド仏教においては、ギリシャ哲学の影響が認められる部分もあるという。従来はそこばかりが強調される傾向があったが、これは学者の見識の狭量が原因であろう。
当時の人々は、我々が考える以上に、国境を越えて人々が交流を持っていたのではないだろうか?

* チベットと禅

チベットに中国禅が入ったのは、唐の時代、安史の乱の頃(755−763年)と思われる。
チベットはこの乱の最中、一時長安の都を占領した。その後は後退したが、敦煌周辺の領土を獲得した。
どの経路からチベットに禅が伝わったかは諸説あるようだが、四川省の山を越えて入ったか、中央アジア経由で入ったかだと思われる。
文献的にチベットで理解されていた禅にもっとも近いものが『歴代法宝記』という初期の禅宗史書を作った、四川省の保唐宗である。
この系統の禅は一般に「無念(何も思わないこと)」の禅を説いたとされる。
実際『歴代法宝記』を読んでみると、「無念を戒律とし、無為無所得を禅定とし、不二を智慧とする」という説が見える。
しかしながらこれは、インドからチベットに入って中国禅と対論したカマラシーラが批判するように「何も思わず、思考停止すること」ではない。たとえば戒律を守っても、それにとらわれないようにする、という意味での「無念」であり、持戒を否定するものではない。
何事にもとらわれず、すべての物事を行えばそれがそのまま解脱の行いだ、とするのである。
これは後のチベット仏教の一派であるニンマ派(古派)に伝わる「大究竟」の教えのベースになったとされる教えである。
『歴代法宝記』はたしかに当時の禅宗の政治的な要素を多分に含んだ禅の歴史書であり、史実でないことも多く含むと見られている。しかしこの時代の禅の歴史書はすべて伝説と潤色に満ちており、到底史実とは考えられないこともまた事実である。
何を以って仏教の正統とするか、という議論は、ある意味不毛な議論であり、南方上座部仏教が古い経典を伝えていたからといって、それを正統だとすることは難しい。文献学的な手法で分析した結果、『スッタニパータ』が最古の経典であるということがわかったから、それが正統だ、というのは近現代の学者が言い出したことであり、アジアに広く伝わった仏教は、それぞれの地域で、自らの信じる仏教こそが正統だと信じていたのである。西洋で生まれた文献学に、それらの伝統を否定し去ることは不可能である。
とにかく、チベットに中国経由で伝わった仏教は、深い探求の末、究極的な真実が決して概念に表すことができない、という結論に至っていたと思われる。これはインドから直接伝わった仏教においても、そこに至る方法は違うけれども、同じ結論であった。
まさに、仏教の伝来に山の北から登るか、南から登るか、という道の違いがあったように、仏教の解釈においても、それと同期するように、違いがあったのである。
その違いこそが、そのまま人間の考え方の違いであり、多様性であり、地域性である。
一律に何か一つのもののみが真実である、と考えるのは、おおらかな仏教の考え方とは矛盾するのではないだろうか?

* 仏教を理解するのになぜ「論理」や「言葉」が必要なのか

仏教は過去に膨大な数の経典、論書などを残してきた。もし仏教の真理が「ことば」に表現できないならば、なぜこれほどたくさんの文献があるのだろうか?
人間は「ことば」を用いてしか、相手に説明ができない。人間は「ことば」によって、他の人間に何かを伝える生き物であるから。
「ことば」は音韻である。これにより、相手に「まがりなりにでも」意思を伝達することが可能である。
以心伝心と言われるが、やはりこれにも「ことば」が付き従わざるを得ない。
「以心伝心」といわれる「言葉」がすでにそれ自体、「ことば」に他ならない。
一般に、「ことば」を否定する、と言われる禅でも、たくさんの語録が残っているではないか。
インド仏教では、後期になるほどこの「ことば」に多くの比重を割くようになっていった。
そしてついには仏教を学ぶに際して、まず最初に仏教論理学を学ぶ、というカリキュラムが出来上がっていった。
仏の教えを正しく、論理的に理解するために、最初にそれらを徹底的に学習する、ということは合理的な考え方であり、仏教において正しく教えを学ぶには「ことば」を正しく学ばなければならないのは、当然の帰結であろう。
確かに「究極の真理」はことばを離れた世界であろう。しかし、そこに至る手段を、何も知らない者が持っているであろうか?
仏教の基本は「聞(教えをことばで学ぶこと)、思(それについて思索すること)、修(思に基づいて実習すること)」である。ことばで多くの経典を学ぶ、それを思索し、実習することは、仏教の修行において、(日本では怪しいと思うが)共通する項目だと思われる。
「ことば」は確かに虚妄な分別かもしれない。しかし、それが虚妄であることを知るには、やはり「ことば」による理解が必要なのである。

* 仏教論理学(ダルマキールティ)の概要を知るには

インド仏教の後期に目覚ましい発展を遂げた、いわゆる「仏教論理学」は、非常に難しいと思われがちだ。
確かに用語は難しく、部派仏教のアビダルマや唯識に対する、多少の前提知識が必要である。
しかしながら、仏教論理学の扱うテーマは、主に認識論であり、「正しい認識とは何か」という、当たり前なテーマである。
インターネット上では、インド仏教最後期の著作である「タルカバーシャー」の英訳(梶山訳.1966)が簡単に読める。
「タルカバーシャー」はダルマキールティの仏教論理学の概要であり、日本語訳も存在(『論理のことば』)し、長く読まれてきた。
この中に説かれる一般的レベルでの人間の「認識」は、2種類に限られる。その他に正しい認識はありえない。
まずは知覚(pratyakṣa)。これは対象を概念を交えず、感受することである。これは「迷乱なきもの」でなければならない。病気や薬で混乱している知覚は、ありのままに対象を認識していない。
そしてその感受に基づいて生じる概念的活動が、推理(anumāna)である。これには「自己のため」と「他者に説明するため」の2種類がある。
これだけ説明しただけでも、仏教論理学の扱う領域が、非常に現実的な現象世界であったことがわかるだろう。
目の前の当たり前の現実に、ありのままに向かうのが仏教の根本姿勢であり、形而上学的な観点とは異なっている。
概念も混乱も錯覚も全て除いて、ありのままに現象に向かいあうことは、禅定の実習の基本姿勢である。
無いものをみたり、トランス状態になったりすることとは、全く正反対である。むしろそれらの異常な精神状態を批判し、正しく無い認識として分類している。
インドの最後期の仏教で、この分野が非常に重視された歴史的要因は多々あるが、仏教の思索の果てにあったのは、最後まで「現実そのもの」であったことは興味深い。
人間の認識を極限まで詳しく分析することで、仏教論理学者が至った結論は、我々の認識というものが「自己認識」である、ということであった。
ごく簡単にいえば、全ての認識が自己の脳の解釈を受けなければ、存在しないということである。
「認識」していると思っているが、それは「脳」の生み出す幻のようなものだ。
脳が「認識している」という信号を発することで、我々の世界は構築されている。
それがなければ、「世界」そのものが存在しない。眠っている間、私たちは外部の世界を認識すらしない。
したがってこれらの「認識」そのものが、究極的な観点から見るならば、ありのままに世界を認知していない、ということになる。
だが、一般的に対象とその知覚は人間に存在する。究極的な分析をしないかぎり、それらは知覚とそれに基づく推理を用いてあたりまえに展開している。
仏教論理学は現実の分析から出発し、認識というものを極限まで分析し、それが「脳による仮構」であることを見抜いた。
それによってこの世界の本当の姿にアプローチしようとしたのである。

* 自然とは?

英語が日本に入ってきた時、Natureという単語が「自然」という翻訳をされたらしい。
オックスフォード辞書によれば、自然とは人間の創造物とは対照的な「物質世界」、これを刺激する物理的力、ものに備わった性質、本質、遺伝的要因のことらしい。
これは漢語で言われる、「自ずから然り」という概念とはまるで一致しない。
漢語で言われる「自然」には、人間と動植物や物質などの境界線が無い。それらを全て平等に含んでいると言えるように思う。しかしながら、その言葉には「天」とか「神」という超越的な存在が含意されているように思う。
インド思想一般では、Natureを意味する言葉として、「自性(svabhāva)」という概念が近いであろう。
それはブラフマン(梵天)という神が作ったものである。
しかしながら、仏教では、この現象世界は「無自性(niḥsvabhāva)」というあり方をしている、というのである。
「自然」というあり方ではない、というのである。
では、どういうあり方をしているのか?
仏教では縁起(pratītyasamutpāda)が、その「無自性」と等しい、という。
それは原因と結果の流れの中で条件によって起こっている、という意味だ。それは「自性」によって起こっているのではない。自性は変化することができないので、条件によってその性質を失うわけにはいかないのだ。
縁起するものはは絶えず変化しているので、条件があればまるっきり変化する。人間はその動きに勝手に「概念」というラベルを貼り付け、脳の中で考えているだけである。その概念は明らかに人間の考えたものであり、反対概念を待って起こるというあり方でしか、認知できない。虚構であり、実際には存在しない。
仮に植物の場合を例えにすれば、植物の種子が水という条件によって、芽吹きをし、栄養という条件によって木に成長する。そして老化という条件によって、枯死するのである。途中で枯死する場合もあるが、その時はそのような条件があったからだ。
しかしこれも、人間が植物だの、種だの、水だのという概念を仮に現象そのものに付けて理解しているだけであり、直に経験しているわけでは無い。ゆえに「概念」は信じられないのである。
すべての現象がこの「縁起」によっていると考えるのが仏教的考え方である。
縁起を支配するような存在はどこにも存在しない。縁起の流れにいる主体以外、だれもそれを変えられないのである。
このような動きを観察するには、心を無にして、概念を離れて観察するしかない。直接感じることが、唯一理解する道だ。いろいろな修行とか、経験とかも、その恐るべき、かつ、恵み深い力を感じるためではないだろうか?
そこには人間とそれ以外のものの区別は無い。いうなれば人間も植物であり、植物も人間である。全世界が縁起によって現れている。
縁起の世界を知る者は、放逸(でたらめに、好き勝手に振る舞うこと)ではない、と言われる。最初から決まっていることは、一切ない。誰もそれを知らないし、変える存在もいない。一番最初の原因は、知ることができないし、知ったところで、それをどうするというのか?
釈尊は「善因善果、悪因悪果」あるいは「善因楽果、悪因苦果」という言葉を残している。
自分も他人も、精神的に安楽になりたければ、良い行いを積み重ねるしかない。
しかしながら、この人間存在は、非常に昔からの縁起の相続が複雑に絡み合って存在している。
だから、すこしでも、良い行いを積むしかないのである。良い結果は必ず将来に起こるであろう。

*昔の仏教の聖人たちが現代社会を見たら

もしも昔の仏教の聖人たちが、科学文明によって多くの人々が幸せに生きている現代社会を見たら、決して否定しないだろう。
むしろ喜ぶに違いない。
なぜなら、彼らは当時のインドにおいて、科学者であり、革新者であったのだから。
彼らは平和を愛し、人々の利益を考える人たちであったから。
むしろ「復古主義」「大衆主義」を批判するだろう。過去に価値を見出し、それに向かう、ということは「現実」から目をそらしている、ということであるから。不幸にして、世界にはまだ非科学的な、固定的な、現実を直視できない考えに支配されている国々がある。
これこそ、真の不幸というべきものだ。
日本は幸せである。科学文明のおかげで、飢えている人は皆無だ。少なくとも、環境の異常性以外の理由で餓死する人はいない。むしろ恨むべきは、異常な環境を作る、人間の頑固さ、頑なさである。
頑なな思想に支配され、それによって不幸な環境に置かれる人は、哀れだ。

*真実そのものを表す言葉

論理や概念、数字や物理を離れて、いわばすべての概念的思考を離れたら、何もなくなるわけでは無いと言った。
ではそこには「永遠の静寂」「清浄なる世界」があるのだろうか?

まずは何も考えず、私たちの周辺を見回してみると良い。コンピュータ技術で何もかもが便利になり、人はその中で、その仕組みに組み込まれて、ロボットのように感情もなく働いている。これは「概念的思考」の極度に発達したものが、作り上げている世界である。実際のところ、コンピュータ技術のなんらかの影響を受けていないものは現代社会には、ほとんど存在しないと言って良いであろう。
しかし、何かの目標を持ち、生きている。しかしそれが何かはわからない。皆が向かっていく方向に、なんとなく動いているのかもしれない。
その中では必ずしも、全員が幸せであるわけでもない。家族は分散し、人間同士のコミュニケーションは機械を通して行われている。
第二次世界大戦が悲惨な戦争であったため、世界中の人々は平和を望んでいるし、戦争を引き起こそうという動きは、昔ほど顕著ではない。戦争が起これば、この世界はむちゃくちゃになることを誰もが知っているからだ。人間の持った技術は、その気になれば世界中の人を滅ぼすほどのものだ。だからあえてそれを使おうとはしない。
これはさらに技術を発展させる要因になっている。つぎつぎと、昔は夢物語でしかなかった現実が、現れている。
20世紀が戦争の世紀だったとすれば、21世紀は技術革新の時代だ。
しかしそれにまつわる犯罪が多発したり、それを利用したテロも起こっている。
このような世界が「清浄なる世界」の本当の姿だ。なぜなら、そういう「現実」が目の前にあるからだ。
これは「真実そのものは、汚れなく、美しいものだ」という期待を完全に裏切るものである。もっと泥臭い、悩みや苦しみ、楽しさや安楽のある世界である。
人間の欲望が際限なく高められようとしている世界である。概念的思考の極致が作り上げている世界である。
これを「美しい世界」である、と仏教を実践している人は認められないかもしれない。どこかに美しい場所があるに違い無いと思うかもしれない。
しかし私たちは、実際のところ、この現実世界を、一歩も踏み出して生活することはできない。
一時的に人のいない荒野や高山を彷徨い歩いても、結局帰ってくるのは、「ここ」でしかない。荒野や高山、理想郷に人間は住めないからだ。常に現実の中でしか、生存できない。
ならば「ここ」で生きていくしかない。 理想郷は諦めるしか無い。日本語は良い言葉だ。「諦」を「あきらめる」と読ませる。
「ここ」からは、どうしても逃げられないのだ。
仏教の勝義諦が表しているのは、理想郷が存在しないこと、ごく当たり前の世界に、ごく当たり前の人間が現実に生きれば、幸せに生きられることを示しているのだ。余計なことを考えると、それだけ苦しみを増すだけだ。
「ごくあたりまえに生活するのが良い」のである。それ以外に、いったい何があろうか?

*月をゆびさす指

『中観荘厳論』71、72偈は、「真実そのもの(勝義諦、究極の真実)」が、言語表現できないことを明確に示している。

以下原文と試訳を示してみよう。

skye ba la sogs med pa'i phyir// 「生起」などが存在しないので
skye ba med la sogs mi srid// 「不生」なども成立しない。
de yi ngo bo bkag pa'i phyir// この自性が否定されているので
de yi tshig gi sgra mi srid//(71) この言葉の音声も成立しない。 

yul med pa la dgag pa yi// (否定)対象の存在しない否定の
sbyor ba legs pa yod ma yin// 適用は正しくない。
rnam par rtog la brten na yang// たとえ概念化を用いても
kun rdzob par 'gyur yang dag min//(72) 世俗になり、勝義ではない。

シャーンタラクシタの『自註』では、『中論』や諸々の大乗経典、さらにはクマーリラの『シュローカヴァールティカ』をも引用して、勝義そのものを言葉にすることができないことを述べている。
『自註』が引用する『中論』15−5、6では以下のように述べられる。

「もしも「存在」が成立しないなら、「非存在」もまた成立しない。なぜなら、「存在」の変異していることを、人々は「非存在」と語るから。」(15−5)
「およそ「自性」と「他性」と「存在」と「非存在」とを見る人々は、ブッダの教説において、真実を見ない」(15−6)

要するに「無」が成立するためには、前提として「有」が必要である。
勝義の世界では、これらの自性が微塵ほども存在しない。当然、存在と非存在の中間も存在しない。存在でもなく、非存在でもないものも、存在しない。
自性という永遠不変の性質が存在しないため、世俗の言葉で表すならば「条件付き生起」(縁起=相対的条件で起こっているということ)をしているため、「存在」「非存在」というあり方が成立しない。
およそ概念作用というものは、「存在」を前提としているために、真実そのものを表現しようとしても、不可能なのである。

「自性」が無いわけであるから、それをどのようにして否定できるだろうか?
否定する対象が存在しない。この場合、原因と結果の不断の連続によって現れている「現象」「事実」の映像は、否定対象ではない。それは否定されているわけではない。ゆえに「自性」が否定されたからといって、縁起している「現象」まで否定されるわけではない(ここが大事なところである)。

(ここでは『中観荘厳論』はナーガールジュナの「相依性縁起」という縁起解釈を用いて説明している。これはナーガールジュナ独自の縁起解釈である)

縁起する世界は、概念を超えた世界に入らなければ、正しく見ることができない。そのために禅定の実習を行うことが必要である。
しかし、それによってこの世界とは全く別の世界を見るのでは無い。言うなれば、現象をありのままの相(すがた)で見る、ということである。
これ以上は実習の世界である。実際に仏教を実践して、その中で体得することであるから、多言を弄ぶことは慎まなければならない。

*勝義(真実そのもの)を表す言葉は存在しない

中観では究極的には真理そのものを表す言葉は存在しない、とわたしは思っている。
これについてはツォンカパが師のラマ・ウマパに「勝義においてはそれを表すどんな言葉も存在しない」という見解を述べたところ、「それは最悪の断見だ」と言われ、その結果、ツォンカパは空と縁起が矛盾なく説明できる、という啓示を得た、といういきさつがある。

しかしながら、『中観荘厳論』の記述を読むと「勝義そのものを表すどのような概念も無い」という意味に読める。
勝義を指し示す言葉や概念はたしかに存在する。経典の言葉や無自性=縁起を理解するための言葉は、多言を以って語られる。
しかし、それを指し示しているだけで、それそのものでは無いであろう。そのことを『中観荘厳論』は述べているのだと思う。
「不生(ものごとが生起しないこと)」を「自性は起こらないが、それ以外の縁起というありかたで起こる」のだ、という解釈もたしかにある。しかし、それも結局は言葉の上での解釈ではないか?
「あらゆる戯論の集まりを離れている」と言われるような世界とは、異なると言わざるを得ない。

*思弁と現実

インドグプタ朝の時代に成立した『アビダルマ倶舎論』(Abhidharma-kośa-bhāṣya)は、仏教の思弁における最高点を示している。最高点とは言ったものの、この内容は「哲学」的分析(いわゆる”哲学”はギリシャ世界で成立した概念で、それといわゆる”インド哲学”は全く本質を異にしたものである、と私は考えている)というよりはむしろ、それまでのアビダルマのカテゴリーをまとめて、作者の世親の立場から、それらに批判的考察を加える、というものである。
『アビダルマ倶舎論』は、そこに何か新しい観点が示されている、というよりはむしろ、それまでの「アビダルマ(対法)」をうまくまとめてある、という点で優れている。
インドグプタ朝では、サンスクリット語が公的な学術用語とされ、国王がインド教(バラモン教)を主として、インドの宗教全般を保護したため、仏教も大きな変化を迫られることになった。(「仏教にバラモン僧が入った」という人がいるが、むしろそれは国家によって進められた「政策」の一種ではないだろうか、と私は思っているが)
私はこの時代に、仏教がサンスクリット語で語られるようになり、認識論や密教が発展したのだと考えている。多くの仏教学者も同じように考えているだろう。仏教のヒンドゥー教化が著しく進んだこの時代、「アビダルマ」も大いに発展した。
仏教の「思弁的」側面が最高点に達した時、同時に実践面でも高度に発展した。それが密教の誕生につながったのではないか?
密教はあきらかに仏教の実践的な一面である大乗仏教の発展した形態である。『大日経』では「般若経」の空の思想が要領よくまとめられ、密教が空の思想の上に成り立っていることを示している。
ともかく、この時代以降インドの宗教はすべてサンスクリット語で語られるようになった。ありとあらゆる言説が、サンスクリットで統合・統一された。いわば仏教も一種の「システム」として、整理されたのである。
サンスクリットという言語が極めて意味を固定しやすい言語である、という特徴があるため、意味の上でさまざまな解釈が出る余地はあまりなかったと思う。
この時点で仏教における「言葉」は、最終局面に達した。発展する余地は、言葉以外の体験的要素に移っていったのであろうが、これもサンスクリット語で固定された。
残るは「現実」しかなくなったわけである。それまでの「経典研究」としての「アビダルマ」から、ブッダの体験そのものに視点が移ってきた。
それは結果として認識論と密教の著しい発展を促した。どちらも目の前の現象に直接関係するからである。
どちらも、より「具体的に」仏教の教えを示す方向性を有している。
それらはブッダの悟りの内容が具体的にどのようなものであったのかを、極めて理論的に示すことになったのである。
以後、それが成功していたかどうかは別として、膨大な数の論書や実践書がサンスクリット語で著されることになった。

しかし中国仏教ではまた別の展開を示すことになった。中国仏教は意味の固定しにくい中国語に翻訳されたので、より体験面での発展を促すことになった。ついには「理論不要」とするようにまでなった。
その結果、直接現実世界を体験する、という「禅」の教えが発展していくことになった。

グプタ朝の支配下の外にあった南インドでは、このような大きな変化は起きていなかったのであろう。比較的古い層の経典が多く残されている。

これによって、南伝北伝のうちのどちらがより「仏教」であるか、という議論は不毛である。なぜなら、過去の時代の言葉と意味を、私たちは正確に知りえないからである。

* 「原因は菩提の心である。根は大慈悲である。完全なるものは巧みな手段である」

『大日経』という経典の中に、以下のような一文がある。

/rgyu ni/ byang chub kyi sems so/ 「原因は菩提の心である」
/rtsa ba ni snying rje chen po'o/ 「根は大慈悲である」
/mthar thug pa ni/ thabs so/ 「完全なるものは巧みな手段である」

この中に、仏教のすべての要素が詰まっている、と言われている。 ごく簡単に説明するならば、以下のようになるかもしれない。 菩提の心というのは、この世が縁起しており、自性を探しても芥子粒ほども見つからないということを認識する心である。 これが原因となり、自性が有ると間違って認識している人々に対する大きな慈悲心が根を張る。 そして、迷える衆生を救うための「巧みな手段」である仏教が起こるのである。 これが仏教である。 「巧みな手段」は、仏が説かれる布施、持戒、忍辱、精進、禅定、般若という6種の完成行やその他の様々な教えを指すと言われている。 この一文は、仏教の本質を、植物が種から大木になるまでの過程として実にうまく表現しているように思われる。 様々な苦しみにあえぐ生きとし生ける存在を、なんとかして救いたいという大いなる慈悲心。 この根の部分がなければ、仏教の木は枯れて倒れてしまうだろう。 しっかりした大きな根がなければならない。 人々に木陰を提供できるような、偉大な木に、私たちはならなければならない。 その第一歩が、「現象が縁起しており、無自性である」ということを、本当に知ることである。

* 過去と現在の差異

 すべては現実を見つめることが出発点である。冷静に考えてみて、この現代の、現実の世界は、過去に比較して、格段に苦しまずに生きられることは疑うべくもない。 それは科学のおがげでもあり、多くの人々がそうしたいと望んだからでもある。 まず、日本では飢えている人はいない。清潔な食べ物を食べられないほどつらいことはない。 つい七十年ほど前までは、皆食べることに必死であった。 その苦しみが、日本にこれだけの経済成長を成し遂げさせたのだと思わなければならない。 この現実を、決して否定してはならない。 世界には十分に食べられず、戦争の恐怖、病気の恐怖に苦しんでいる人々がたくさんいる。 日本が平和でいられるのは、多くの人々の、血みどろの努力の結果なのだ。 それにもかかわらず、この現実に不満を持ち、わざわざ過去の世界が「理想であった」として、それに戻っていこうとする人がある。バカなことだと思う。 人が飢えた場合、精神も飢える。人間が本当に飢えたら、動物的本能がむき出しになることを、多くの人は自覚しない。 わざわざ、好き好んでそんな状態に戻ることはないのだ。 私は、孔子が「衣食足りて礼節を知る」と言ったことを、名言中の名言だと思っている。 人間という存在は、基本的に美しい存在ではないのだ。精神のみで生きられるわけがないのだ。 この幸せな世界を楽しむべきである。また、そういう世界に生まれてこられたことを、ありがたいと思うべきである。 今の日本の繁栄は、過去の人々が、血と汗と涙で作り上げたのである。 それを決して忘れないようにしなければならない。 現実をよく見よう。

* つながり

仏教はインドに発生し、その後、南インドを超え、スリランカ、ミャンマーへ渡ったり、カイバル峠を超え、シルクロードを通って中国、日本に伝わったり、ヒマラヤを超えてチベットに伝わった。
最近では交通の便がよくなり、世界中に広がっている。

とても重要なことは、仏教が「もともとあった宗教」を根こそぎ排除するような方向で広まったわけではなく、平和的に融合していった、ということである。
これは仏教が「神」や「絶対的唯一神」を持たず、「法」という、形のないものを信じる宗教であったから可能であった。

「わたしの姿を見、声を聞き、執着するものは、邪道を行うものである。真に私の姿を見るものではない」

と『金剛般若経』に述べられるように、仏教は形のないものを知ることである。それはこの世界の「法」であり、ブッダはそれを発見された方に他ならない。

この世界の厳然たる「法」にしたがって、それを拠り所として生きるのが、仏教徒である。
集団になってそれを求めるのが「僧団」である。だが、必ずしも集団にならなければならない、と強制するわけではない。

仏教はさまざまな解釈がされるが、不思議なことに、宗教戦争にはならない。
お互いに暴力を用いて争うことが愚かなことである、ということは仏教の各地域、各派において共通することである。
基本的に仏教は「自己主張」しない。なぜなら主張する「自我」が存在しないことを、知っているからである。

逆に言えば、暴力を用いて支配しようとする宗教は、仏教ではありえない。

すべての仏教は「非暴力」でつながっている。なぜ自己主張する「自我」が存在しないのか。それを学ぶために仏教の道はある。
人間が真の意味で平和になれば、これほど幸福なことはないではないか?

* ダライ・ラマの『中論』講義

時間があったのでダライ・ラマの『中論』講義 をじっくり読み直してみる。この本は三年ほど前に買って、さっと目を通したのだが、チベットにおける『中論』がどのように解釈されているのかがよくわかるので、良い本だ。

チベットにおいては、日本のように「師匠の教えは絶対で、疑いを持ってはならない」という学習態度はとらない。勉強して、疑問があれば師匠に質問し、納得できるまで議論することができる。それは相手がどんな偉い先生でも、変わらない。ダライ・ラマであっても、質問することは妨げられない。
議論の基礎となるのが仏教論理学であり、論理的に理解できる仕組みになっている。こういうところは、チベット仏教をうらやましいと思う部分である。

読んでいて気づいたのがまず、チベットの仏教徒が、仏教学などで1世紀ごろに生存したと考えられる、『中論』(正確には「中道に関する詩」)を作った龍樹(Nāgārjuna)と、8世紀ごろに生存し密教の『五次第』などを著作した龍樹とを、同一人物である、と信じていることである。

人間が七百年も生きるわけがない、と普通の人間なら思うだろう。当然のことであるが、しかし、それは私たちが龍樹を肉体を持った人間である、と考えているからである。
結論からいえば「龍樹」とは、龍樹の発見した法を、実践し体得した人のことなのである。
つまり、龍樹は肉体を持っていないのである。

事実、1世紀の龍樹が唱えた教えは、現在までも文字として現存している。つまり「龍樹」は生きているのである。

龍樹は、ダライ・ラマによれば「ものごとは縁起(原因と条件)によって起こっており、それ自体として成立しているのではない。それを「空」と言った」のである。
ものごとは「神」のような固定的な実体から生じたのではなく、因果関係に基づく原因と条件から生じたのであり、普通の人間はそれを「存在する」としてずっと同じようにある、と執着しているが、実際には「本質として存在しない」。

現象は目に見えるし、働きも示すが、それは同時に、実体として存在しない=空=無自性である、というのである。

そんなばかな、おれは昨日も私であったし、明日も私であろう、と普通の人は思うだろう。
しかし、それは事実ではない。

昨日の「私」と、今日の「私」は、本質的に違うものなのである。

あなたは今朝、食事をしたでしょう?
排泄もしました。

食べた食事は、あなたでしょうか? 排泄した物は、あなたでしょうか?
昨日と全く同じ「私」なんて、どこにもいないでしょう?

つまり、最初から「私」なんていないんじゃないでしょうか?本当は。

だったら「私のもの」って何でしょうか? 「私」がない以上、「私のもの」があるわけがないのです。

これは「私」だけでなく、すべての物事が、みんなそうなのです。
これを「一切皆空」と言います。

しかし「空」でないと、物事は「存在しません」。動きが止まっていると、何の働きもないですからね。

* 仏典を読んでみよう

現代では先人たちの努力により、仏教の聖典、論書がかなりの数、日本語で読めるようになっている。パーリ語の聖典は岩波文庫でも読めるし、大乗仏教の聖典はいろいろな出版社から翻訳が出ている。
なににもまして、日本には古来から伝わる日本仏教がある。僧侶は大抵大学で勉強し、修行なども行ってきているから、仏教の意味を尋ねれば、何らかの回答を返してくれるだろう。
「現在の仏教は衰退している」と盛んに言われるが、文献や情報の面では、かつてないほどの貴重な情報に接することができる。昔は大学や僧院の奥深くにあり、ほとんど目にすることができなかった文献も、比較的容易に閲覧できるようになっている。
これらは、先人たちが何とかして仏の教えを世に知らしめよう、とした結果できたことであり、その恩恵に浴するかどうかは、やる気次第である。
仏教は非常に長い歴史、多くの文献、多くの経験を現在まで伝えている貴重な存在である。
人間の歴史そのものが詰まったカプセルである。
過去に考えられたことの中には、間違ったものもあったが、その都度改革され、地域の実情に合わせ、変化を遂げて今まで伝承されてきているのである。
現在この瞬間も、仏の教えは私たちの心の奥底で、確実に流れている。
仏教に関心を向ければ、それらの流れの一部を、見ることができる環境になっている。日本はありがたい国である。

* 時空を超えて

唯識学派の創始者とも目される無着(Asaṅga)は、毎夜禅定に入って、天上の弥勒菩薩のところに行き、目の当たりに教えを受けたという伝説がある。弥勒菩薩は56億年後にブッダになる、と予言された菩薩であり、今は別の仏の国で修行中である、と言われる。
我々の通常の意識の世界では、考えられないことであるが、インド仏教においては当たり前に語られる。
インドでは禅定の中で、過去や未来の偉大な聖人たちに会い、教えを受けたという話がたくさんある。
禅定の世界においては時間、空間の概念が通用しない。
チベット仏教後伝期にチベットにやってきたアティシャは、今のチベット仏教の最大派閥ゲルク派の創始者ツォンカパが最も重視する人物である。彼は密教のジュニャーナパーダ流を伝承していたと言われる。
中観に関しては、帰謬論証派と自立論証派を折衷した立場をとっており、チャンドラキールティ、シャーンタラクシタの著作を引用したりするものの、学派の区別に対する意識はほとんどなかった(宮崎泉[2012])。
このために、その思想的立場は、現代の仏教学の想定する基準に当てはまらない。
チベットではナーガールジュナが800年生存したとか、そういうことが信仰の文脈で存在する。
まさに、イメージの中で、昔の聖人は存在している。誰かが聖人の学説を正しく「思い出す」だけで、存在しているのである。
これは大学者であった無着の時にも起こったことであり、インドにおいては特段奇異なことではなかったように思われる。
ゲルク派が信仰する密教の「聖者流」においても、歴史学的には紀元間もなくに生存したとされるナーガールジュナが、8世紀ごろに成立した密教の経典の注釈をしたことになっている。
このような状況では、普通我々が考える「時間軸」によって、彼らの著作を考えるわけにはいかない。
文献学的な文脈では、これらの文献は別人が著したことになるであろう。しかし、チベットの仏教徒はまさに同一の聖人によって、これらの書物が著された、と考えている。
宗教的な文脈では「時間、空間」を超えて解釈される仏教。思想史的に再構成することは甚だ困難であるとしか言いようがない。
文献学的には、現在目にすることのできる経典や論書を解読することにより、そこに何が教えられてるのかを読み取るしか無いのである。それ以上を学ぼうとする場合は、チベット仏教の宗学を学ぶために、出家するしか無いだろう。
後世著されたいわゆる顕教の論書文献も、後期チベット仏教においては密教文献と同一の著者によっていることになるので、顕教だけを学んでも、その真意はつかめないことになるだろう。
チベット仏教では、どう否定しようが密教が重視されたことは間違いないことであり、現在行われているチベット仏教の内容をみれば、それは明白である。
密教が神秘的で、仏教を堕落させた、と言う人もある。しかしそれはどうだろうか?
自分の国の仏教と比較して、とやかく言うことではない。
仏教が伝わった地域によって、先人たちの血の滲むような努力により、それぞれの地域に最適な仏教として、現在まで伝わっていること、そのことが重要なのである。

* ちびしかくちゃん

「ちびまるこちゃん」の作者、さくらももこ氏が亡くなったと発表された。
彼女はメディアに顔を出すことがあまりなかった。そして本名を明かすこともしないまま、逝ってしまった。
ご冥福をお祈りしたい。

「ちびまるこちゃん」の世界は、本当にありふれた日常。何のへんてつもない、平和な時間が流れていく話で、刺激がないといえば刺激がない。しかし、それが多くのひとびとの「理想」だったのだろう。大変ヒットした。

しかし1年ほど前にパロディー作品の「ちびしかくちゃん」を発表していた。これは「ちびまるこちゃん」のブラックユーモアだ。主人公の「しかちゃん」は家族に怒鳴られ、疑われ、友達にもいじめられている。
家族は感情的でとげとげしており、じつはこっちの方が「現実の家族」の姿にずっと近いのではないか、と思った。

「現実」は苦であり、楽ではない。現実は写実的に書くと、あまり面白い話にはならないのだ。

* 歴史と教訓

日本に伝わる仏教は、過去にさまざまな試練を乗り越えて、今まで法燈を伝えてきたものだ。浄土真宗にせよ、禅宗にせよ、真言宗にせよ、インドで発生したもともとの姿とは大きく異なる。

しかし、大きく形を変えたからといって、それを「仏教でない」と断じることは、早計ではないか?
確かにインドで発生した時とは、戒律の解釈、教義の解釈は、全く別のものと言っても良いほど変わっている。だがそれは2500年という長い歳月をかけて熟成され、伝播した地方の実情に合わせ、会通してきたものである。その中には、仏教に真剣に携わってきた先人たちの偉大な努力が染み込んでいるのである。

「どのようにしたら、この世界の人々の生死の苦悩を解決することができるのか」という問題を、真剣に考えてきた仏教者の思いの結晶が、現代まで伝わる仏教なのである。

それはチベット、中国、スリランカ、ミャンマーなど、それぞれの地域で、それぞれの地域に合うように、発展してきた。しかしその根底に流れる「仏教」は、人々の苦悩を救い、幸せを願う祈りとして、ずっと流れてきたし、これからも流れ続けるだろう。
日本の仏教にも、その支流が、確実に流れているのである。
ゆえに「どの地域の仏教が本物で、どの地域の仏教がニセモノだ」という視点は、実に悲しいものの見かたであり、寛容さゆえに世界宗教となりえた仏教の一番の長所を、損なう視点だと思う。

仏教はおおらかな宗教である。ひとそれぞれ顔が違うように、それぞれの思いがあるのを認める。
それこそが仏教の「智慧」である。

* 「特別な体験」を求める必要は無い

「修行をすると、超能力でも付くんですか?」という人がいる。まず、そういう目的で修行をしよう、と思うなら、やめておいたほうが良いと思う。
人間には普通に生きている状態以上の能力は必要で無いからだ。
この世界に生かさせていただいていることが、もうすでに「ものすごい力で生かさせていただいている」ということなのだから。
目で「花は花」「自動車は自動車」などと、当たり前に判断する意識。毎日の業務をこなす力、それら自体の中に、無限の不思議さと豊かさを含んでいる。
それ以上に「本来なら出てこないような力」を望み、瞑想などで無理に力を引き出すならば、きっと心のバランスが崩壊してしまうであろう。
ちょうど、回っているコマを、もっとよく回そうと思って、手を触れるようなものである。そんなことをすれば、コマはバランスを崩し、停止してしまうだろう。
1960年代のアメリカで起こった「ニューエイジムーブメント」は、薬物まで使用して、人間の潜在能力を無理に引き出そうとしたりした。
それに対してはいろいろな評価があるとは思うが、結局のところ、人間のわがままで、せっかくうまく機能していた心のバランスを壊してしまうことにしかならなかった、思う。無理をすると、必ず反動がくるものだ。
街にはヒッピーがあふれ、ドラッグが蔓延した。
インドの仏教は後世、「神秘体験」を重視する方向に行ってしまった。もともとの仏教はむしろ「日常の当たり前の意識」を非常に重視しており、理性的、論理的であったのだが、人々の呪術的な要請のため、大きく変容することになり、原型を止めないほどになった。
「神秘体験」に意味は無い、ということは、長い歴史のある日本仏教では強調される。実のところ、それは長い歴史の中で体験的に得られた経験なのであるが。
また以下で紹介しているインドの論理学派の学者たちも日常の意識を重視した。一部の優れた学者たちは論理を駆使することで「神秘体験」強調の誤りを指摘することに確かに成功していた。
これに対し、仏教内の一部の人々が「呪術」やら「悟り」やらを強調し、それを得るためなら、高額な布施をし、命さえ惜しむな、と言い出した。
仏教の歴史をみると、ほんとうにいろいろな問題があったのだな、と再認識できる。
日本の仏教はそれらの問題を乗り越えて、現在まで命脈をつないできた、貴重な存在である。今の日本に伝わっている仏教は、「毒」の部分をうまく調理してあるのである。

* 当たり前のことの大切さ

当たり前の経験ほど大切なことはない。繰り返し言うように、インドで生まれた経典には様々な”奇跡譚”が説かれているが、それを文字どおりにとってはならない。
深く読んでいくと、それが現実の世界にある「法」に対する比喩表現であることに気づくだろうと思う。
「法」そのものは、決して目に見えることも、耳で聞くことも、心で感じることすらも、できない。『般若心経』で繰り返し「空」だと言っているのは、それのことであろう。「空」=「法」=「現実」である。それに代わる世界も、体験も、一切ない。「ある」というとおかしなことになる。目の前のごく当たり前の現象以外に、一体なにがあるというのだ。何をこのほかに求めるというのだ。この現実が、無限の豊かさを含んでいる。常に移ろい、永遠でない世界。苦しみに満ちた世界である。
「空」は、意識などに知られないままに、この世界を形作っている「法則」そのものであるから、当然「知ることができない」「わからない」。いや、こういうことを話題にすることが、おかしいのかもしれない。それぐらい当たり前の経験である。
そういう世界は、とんでもなく現実離れした世界ではない。あたりまえに目の前にある現実。この、現実そのもの以外にはないし、それ以外を求めると、妄想ばかりが膨らんでいく。
頭のなかをすっきりさせ、目の前の「現象」に取り組んでいこう。それが仏の教えではないだろうか?
だがすでに私たちは知らぬまま、ちゃんとそれらに取り組んで、解決しているから、今現在も生きているのであるが。

*日本仏教のすすめ

卑近な喩えで申し訳ないが、この歳になってくると「日本食」のうまさが身にしみて感じられるようになってきた。若い頃はたしかに本格インド料理や中華料理をうまいと思ったことがある。
しかしそれらは、無理をすると香辛料の強さによって、下痢になったり、胃をいためてしまったりすることがある。
やはり日本人には「日本食」が一番合っている。
それと同じように、仏教も日本人にとっては「日本仏教」が一番合っている。
長い間、私たちが親しんできた仏教、もともとはインドで発生したかもしれないが、現地のものとは全く別のものになっている点で、もしかしたら「日本風カレー」によく似ているかもしれない。
日本人の気質に合うように、長い年月をかけて熟成されてきた仏教。
これが一番わかりやすいのである。

* 「仏教学」の学び方、「宗教学」批判

「仏教学」は、「文献学」と「宗教学」の両方の要素を持つ学問である。
ここで注意していただきたいのは、浄土真宗や禅宗やチベット仏教で伝統的に教えられている、いわゆる「宗学」とは、決して混同されてはならない、ということである。

「仏教学」と「宗学」とは、本来接点を持つべきではない。もしも両者が混同されたり混合されると、客観的な「科学」としての意味を失ってしまうからだ。
もしもそうであれば、科学的で公共的な教育を教えるのが建前の学校などで「仏教学」を教える必要は無く、そのまま宗教の実践によって「宗学」を教えたほうがよほどましだ。

「宗学」は、自分の宗派の伝統を教えるための学問であり、文法規則に合わない文献の読み方、文献の特殊な解釈が許される。
一方の「仏教学」では、文献は文法規則に忠実に解釈されなければならない。歴史についても、考古学や歴史学を参照し、立論されていなければならない。両者が学問の態度において、全く異なることは、明らかなことである。

一方の「宗教学」の分野では、かつて一部の人々が、新宗教やチベット仏教に「フィールドワーク」の名目で飛び込み、その結果その教義を無批判に受容し、客観性を欠いた議論をするようになったことがある。
それと同様に、「宗学」の方でも、それらの人々を「異端」として退け、なるべく関わり合いにならないように教義を再評価するようになった。うちの宗教は、そんな危ない連中とは無関係なことが証明されている、と言わんばかりである。

「仏教学」や「宗教学」、「宗学」がこのようになってしまったのは、なぜであろうか?

そもそも近代「宗教学」の偉人、ウィリアムジェイムズは、自らの精神的救済のために宗教現象の研究を始めたという。
このような研究態度は、「宗教学」を「宗学」もしくは「精神医学」の領域と混同するものであり、大いに問題だ、と思う。
1980年代には、日本でもそのような態度で「宗教学」を学ぶ研究者が多く、その結果、あのような大きな事件を起こすことにまでになってしまった。
当時、「宗学」としては、そのような「宗教学」の態度に対しては、黙認していたと思う。なぜなら「自らの精神的救済」が学問の動機であることは全く問題無いため、だれもそれを指摘する人はいなかったし、する必要もなかったからである。

科学としての「宗教現象」の研究は、まず第一にしっかりした「論理学」を学ぶことから始めるべきだ。そして文献を正確な文法規則にしたがって読みなおす「批判的視点」を常に持っていなければならない。
矛盾があれば自らに問うてみる。何かおかしいのではないだろうか?、と。
危ない宗教が「論理」を目の敵にするのは、自らの教義が「おかしい」ことが露見することを恐れているからだ。

「何かおかしい」という問題意識を持たないまま、宗教に近づくべきではない。
たちまちにして、あなたはその危ない宗教の信者になってしまうことだろう。

「仏教学」を学ぶ人は、まず「科学的な」文献の読み方をきちんと身につけ、客観的な「論理学」を身に付けよ。
私は学生時代、それを十分にしっかり学習できなかったことを、とても悔やんでいる。

”縁起”について

仏教の教えで一番大事なのが「縁起」という教えである。
これは世間一般で言われる「縁起がよい」という言葉の元になった仏教の専門用語である。世間で使われる「縁起が良い」は「運が良い」「日柄が良い」の意味であり、「縁起でもない」というのは、「ろくでもないこと」「不吉なこと」の意味である。
実はこの「縁起」という言葉は、釈迦牟尼仏の教えの中心に位置する最も重要な教えである、ということをはっきり知っている人は、仏教を学んだことのある人以外には、ほとんどいないであろう。

仏教内にも「縁起」についてはいろいろな考え方があり、一様ではない。
最も古い考え方は「これが有るから、それが有る」という考え方である。何かの条件があって、それが起こってくるという考え方である。その背景には「因果の関係」という「この世界の法」がある。
物を上に向かって投げ上げることによって、物は下に落ちる。「投げ上げる」という原因によって、「落ちる」という結果があるのである。それは目の前に経験される「現象」であって、人間の頭が考え出したものではない。ちゃんと目に見えるし、実際に確かめることが出来る。

「なにかをすることによって、それに応じた結果がある」。
投げ上げると物は上に飛ぶ。物は力を加えればその場にとどまっていないで、動くであろう。このような「法則」に従わない物体は無い。このことを「無自性」である、というのである。

人間の苦しみは、この「無自性」を知らない事、そして、そのものがずっとそこに有ると考えてしまって、それに執着することから生まれる「激しい渇望」(渇愛)によって生まれる。

刺激を受けることによって、ほんとうは存在しない「私」という概念が生まれる。そしてそれによって「私のもの」「私の所有物」という激しい執着が生まれる。

これは人間が生まれたときから、細胞に組み込まれている非常に強い欲望であり、そう簡単にこれをなくすことは出来ない。
物事が「無自性」であることを知らないことが「無明」と言われる。
これによって行(作ること)から識(認識作用)などが生じ、最後には苦しみの塊である生存と老いと病気と死が起こってくる。
これが「縁起」という言葉の意味である。つまりこの「人間存在」の苦しみがどのように起こってくるかを説明する言葉なのである。

「縁起が良い」なんてことはない。「縁起」は「人間の存在の実体は、そういうことになっている」という「法則」である。仏陀は人間が大昔から抱えている根源的な欲望によってそうなっているのだ、ということをはっきりと見て、それを説き示すのである。
この「縁起」の繰り返しを正しくあきらかに見て、少しでも「無明」を断ち切ることが幸せへの道である。
これは容易ではない。「簡単にできる」という人がいたら、それこそ信じられない。
残りなく無明の海を干上がらせることが出来るのは、仏だけである。

*仏教は哲学ではない

「仏教は哲学である。なぜなら理論的であり、分析的であるから」という人もある。
これは釈迦牟尼仏在世のかなり後になって発達した「部派仏教」については、そういう見方もできるであろう。
部派仏教は釈迦の教えを分析し、「アビダルマ」という巨大な哲学体系を打ち立てたことはたしかである。
しかし、そのような傾向に異議を唱え、仏教の「宗教としての側面」を復活させた人物こそ、龍樹(Nāgārjuna)であった。
彼は「アビダルマ」哲学を根本から否定し、仏教に宗教としての自覚を取り戻させた人物である。
「アビダルマ」哲学が、概念の生産ばかりに従事し、民衆の苦しみに寄り添うことを忘れたことを強烈に批判し、それによって「大乗仏教」の理念を明確にしたのであった。
「言葉、概念」は、何もしてくれない。現実を救済しようとするなら、必然的に概念の外へ行くしかない。
象牙の塔にこもることは、ほとんど死者にも等しいことになりかねない。
「赤裸々な現実そのもの」に対しては、いったいどうして概念が通用するだろうか?
龍樹の後継者たちは一様に言う。「この世は、自性がない、実体がない」と。そして「この現実に向かい合わなければならない」と。
それがどうして「哲学」などであろうか?
仏教は生きている。常に生々しい現実と共にあるのだ。

*「研究」とは何か

「人間は生まれつき知ることを欲する」というアリストテレスの有名な言葉を借りるまでもなく、人間には「知りたい」という欲求がある。
それは「自分が理解したい」という欲求であり、それを行動にすることが「研究(Investigation)」にほかならない。
したがって、最終的な目標はそれを「明らかに理解すること」である。それを研究することにより、名誉や利益を求めるのは本来の研究の目的を大きくはずれるものであろう。
私が匿名でどこの学会にも属せず、独自の切り取り方で研究を進めるのは、学会に属していると、どうしてもそこの政治に巻き込まれるからであり、政治によって「ほんとうはそうであること」が歪められてしまう場合もあるからだ。
テキストを読むときは、そのテキストが意味していることは自明のことであるはずであるが、テクストが文字であるという性格上、やはり受け取り方は様々である。「わたしはこう思う」という意見に賛同する集団ができる。そしてその解釈を、その集団の成員にも強制する。それが「政治」の正体である。
これでは本来そのテキストが何を意味していたのかが歪められてしまうのではないか?
ならばいっそのこと、それらを離れてしまえば、「本当の意味」が見えてくるのではないか?

私は「論理学」に関しては、アリストテレスが紀元前にまとめた「古典論理学」の基本原則をはずれるものは存在しない、と思っている。
インド論理学やチベット論理学は、それを超えていたとは決して思わない。時代的にも、インドやチベットの論理学が隆盛したのは、ギリシア古典論理学の隆盛のずっと後のことである。
学者の中には「インドやチベットの論理学は、西洋論理学よりずっと優れたものであり、先を行っていた」と主張する人もある。しかし、これらの意見には、どのような根拠があるのか?
これらの人たちは、アリストテレスによってまとめられた「オルガノン」の巨大な体系を知った上でそのように言うのか?
インドやチベットの論理学にしても、結局は実在論に基づかなければ立論すらできなかったではないか?
それらの論点はすべて古代ギリシアの論理学のなかに含まれており、この論理学体系がインド論理学のはるか以前に、このような複雑な体系を作っていたことこそ、真に驚くべきことである。後世のインド論理学はその論点のはるか手前でとどまっている。
現代の社会は西洋論理学に依拠する「科学」がなければ成立しなかった。この恩恵は、それをいかに否定しようとも、計り知れないものがある。インド論理学によって、それらの科学に匹敵するものが、何か生まれただろうか?
これは十分に考えてみる必要の有ることである。
むやみに科学を否定し、「それに変わる、もっと優れたもの」を求める方向は危険ですらある。一旦道を外れたら、そこに戻るのがいかに難しいか!
インドやチベットの勉強をする人に対して、このことは、特に強調して置かなければならない、と思っている。常に科学者として、行動してもらいたい。

*オウム真理教の事件が起こった時

「オウム事件」が起こった時、私は大学院でインドやチベットの勉強をしていた。彼らがインドやチベットの仏教を利用し、それを歪め、とんでもない事件を起こしたことに対し、激しい衝撃を受け、それ以来、仏教の勉強を長い間控えていた。

あの当時、オウム真理教を教義の観点から正確に批判出来たのは、記憶によればチベット学の大家である、東京大学の山口瑞鳳先生だけであった。その他の学者は、批判するどころか、マスコミに出て、オウム真理教を擁護することすらしていた。
仏教学は、何の役にもたたなかった。
わたしは、仏教学にたいして完全に絶望し、「こんな勉強には全く意味がない。かえって世間に害悪を撒き散らすだけだ」と考え、長い間仏教学の学習をする気すら起こらなかった。
地下鉄にサリンをまかれ、なくなっていった多くの人たち。
その人達の無念さが胸に迫ってきて、いたたまれなくなった。

仏教学界は、いまだにあの事件に対して、きちんとした総括をしていない。
あの教団の教義が、どのように間違っているのか、きちんと明らかにしない限り、また同じようなことが起きるのではないか、と危惧している。
わたしはあの教団が、「あたりまえの現実」を無視して、仏教の哲学的概念から導かれる神秘体験を求めていったところから、間違いがはじまった、と思っている。
しかし、実際のところ、現行の仏教にそのような傾向が全く無いとは言い切れない。
それは、どこの仏教が持つ傾向であることも、また間違いない。
しかしながら、オウム真理教が、それを極端に推し進めた結果、あのような事件が起こった。
それだけは確かである。

*インド仏教の歴史

仏教はインドで興ったのだから、仏教を学ぶためにはかの国の言語を勉強する必要がある。
さらに、日本で行われている仏教を理解するには、中国語の勉強をしなければならない。
そうでなければ、仏教(仏の教え)の「意味が」わからないことになる。
「意味などわからなくても良い」という方は、それでもいいだろう。「それでいい」という理由は、この文の中で明らかになるだろう。

しかし、仏教を本格的に研究するならば、非常に広い分野の知識に加え、なによりも「言語能力」の上級者でなければならない。
だが、これは「仏教」の本筋を大きく外れる方向ではないかと思う。なぜなら「知識が増えていく」方向は、仏教が本来目指した方向では、ないからだ。
仏教は、その出発点において、あのインド哲学の巨大な知識体系を批判した存在だから。
あきらかに「概念的知識」が増えていく方向を否定している。
仏教の理解は、発生時点ではそれほど難しいものではなかったのではないだろうか?

後期仏教の大哲学者カマラシーラが『修習次第』の中で、勉強しすぎは良くない、と説いているのは、仏教が概念的知識の増大を目指していなかったことを示しているし、巨大になりすぎた知識体系への批判でもあるように感じられる。
つまり、知性より実践を重んじてきた流れの中に、今まで伝わる仏教があることは間違いないと思う。
龍樹の『中論』が、当たり前の現実を否定しないものの、哲学的概念を徹底的に批判した理由も、この部分にあるのではないだろうか?
ディグナーガが仏教論理学で「正しい認識根拠」を、直接知覚とそれに基づいて単純に推論されるものの二つに限ったのも、無益な論争を回避し、「現実そのもの」を見つめて修行するためではなかったか?

知性とはなんだろうか?概念を沢山覚えることだろうか?そしてそれを使って、あらたな概念を生み出すことだろうか?
あらたな概念を生み出していけば、それらの概念はさらに複雑な概念のネットワークを作り出し、それを理解することがだんだん難しくなっていくだけだ。そのような「概念的増大」を痛烈に批判した人こそ、龍樹であった。

仏教は哲学とは違う何かである、と思う。それを「学問」と呼べるかどうかは、非常に疑問である。もともとの考え方を考慮に入れれば、それは「反学問」「反概念的知識」の立場である。

ゆえに、学問や論理学によって「超越的な思考」や「体験」を求めるのは、非仏教的な考え方であると思う。
それは知性なき者を仏教から遠ざけ、排除する力になる。それは社会に対して、オープンな立場ではない。

しかしそれにもかかわらず、実際のところは、後期インド仏教では論理学と密教が、仏教の主流をしめていくようになっていった。そこでは学術用言語のサンスクリットが使われた。その結果、仏教はバラモン哲学の学者たちとの対話を進めるようになり、またお互いに影響しあったのであろうと考えられる。
その極致にいた仏教学者のうちの一人がシャーンタラクシタである。彼がサンスクリットで書いた『真実綱要』はインドのバラモン哲学全般に言及しており、仏教が当時バラモン教と同じような哲学学派として存在したことがうかがわれる。(最も、シャーンタラクシタはそれらの哲学学派の説を、全くの概念遊戯だと批判したのではあるが。これは特殊な例であったように思う)

だが、私はこれは本来仏教が目指した方向とは、逆の方向であったのではないだろうか、と思うのである。
なぜなら、一般の人々に対してわかりやすく説明するために、「サンスクリット語」の使用を避け、アルダマガディー語という、俗語で法を説いていたのが、仏陀であったのだから。

論理学と密教の隆盛は、ほぼ周りじゅうがヒンドゥー教であった当時としては、致し方のないことであったと思うが。
最終的にはインド仏教は、大きなインド教のガンジス川の流れに呑み込まれていった。有名なインドの詩人カヴィールの詩の中には、後期インド仏教の考え方と、ヒンドゥー教と、イスラム教の考え方が渾然一体となって溶け込んでいる。まるでカレーのように。

しかしながら、本来仏教は「当たり前」で「現実的」な体験の中に、人々を引き戻すものだったのではないだろうか?
だがそれとは真逆の方向に、行かざるを得なかったのがインド仏教の悲劇というか、歴史的実情であったのであろう。

最近、仏教はインドにおいては全く新たな運動として再生してきている。本来の実践的な運動として、哲学を離れた、誰もが参加する運動として。それを知って、なぜか心がほっとするのである。まだインドに仏教が生きていた、という事実に対して。

*「現実」をよく観察する

仏教の真理は、「現実」を離れたものは何もありません。
しかし「なぜ経典などに超能力やらありえない記述がでてくるのか、あれは現実では考えられないではないか」という反論があるでしょう。
文字通りに読めば、当然です。仏が舌で全世界を覆った、とか、他人の心が読める、とか、空中浮遊した(笑)とか。
しかしそれらはすべて「比喩」として理解されなければなりません。
仏陀は「法身」です。仏陀はものごとのルール、決まり、道理そのものであり、それは全宇宙のどこに行っても決して変化しません。「法身」というのは仏教用語で「法を体とする者」のことです。ものごとの法則=仏陀なのです。それでその比喩があれほどバラエティーに富んでいるのです。だから普通の人間の体を持つ者だと考えると、荒唐無稽な記述としか読めないわけです。

それは「言葉というものの性質」を理解すれば容易にわかることです。それらの比喩が言われているのは、すべてこの現実の法則を言葉で表現するためにあるのです。
それは、そのような言葉を使わなければ表せないほどの素晴らしい智慧を指し示していることもあります。仏陀がこの世界の真実そのものを表そうとして、説かれたことです。なかなかやすやすと理解できるものではありません。

仏陀は「縁起」を覚った方だと伝えられています。それは世の中で存在すると言われているものは「これがあれば、あれがある」という性質を持ったものだ、ということです。これは人間が、ものごとの固定的で不変化の「実体(=自性)」を見てしまうことによって、それから生老病死の苦しみが展開する、そういう「現象」のことです。
その「現象」は幻としてあたかも「存在する」もののように目の前に現れます。「縁起」の力で、ほんとうは何も存在する性質をもたないもの(=空)であるにもかかわらず、現れているのです。

仏陀はこの「空」なるものの理解に人々を導くために、経典を説かれたのです。私たちは「実在論」に基づく、頑固な固定観念のネットワークを頭の中に構築しています。これは実は、人間存在である限り、決して否定できません。それを少しでも軽減してあげよう、という仏陀の慈悲心によって、経典は説かれています。
経典はもっと自由に読まれても良いと思います。お坊さんの専売特許でもなんでもありません。
日本語に訳された経典はたくさんあります。ぜひ、手にとって読んでみられてはいかがでしょうか?

*仏教における帰謬論証と自立論証

「帰謬論証」というのは、対論者の論理が自己矛盾することを指摘し、相手の主張と論理が成立しないことを示す論法。
「自立論証」は、対論者の使う論理の中で、相手の主張が成立しないことを示す論法。

仏教では両方とも使われた。

私は「自立論証」が正しいと思う。なぜなら、相手の使う言葉や論理を否定してしまった後で、相手の主張が成立しないことを示すことはできないから。
コトバは確かに真実ではない。しかし、コトバという事実は存在する。これを無視すれば、人間社会との関係を断つことになる。

*コトバを使う限りは、コトバの持つルールを無視することはできない。

私は古代ギリシャで確立された「論理学」のルールを外れた、特別な「論理学」が存在するとは考えない。
人間は「ある」と「ない」、1とゼロを離れたコトバを、それがどんなものか具体的に示すことはできない。
スイッチがONになっている状態と、OFFになっている状態以外に、どのような状態を想像できるだろうか。
ONでもOFFでもないとは、いったいどういう状態なのか。
私はそんなものは見たことがないし、想像もできないから、表現できない、と思うだけである。

*この世界の道理は、コトバの世界を離れたところにあるのであろうか?

ONとOFFを離れた世界は、「考える」ことも「概念」にすることもできない。「ONとOFFが同時にある」という主張も、それをよく分析すれば、ONとOFFが非常に高速で入れ替わっているのを、ただそのように誤認しているにすぎない。
考えられないもの、については、ただ沈黙するだけである。どのような表現を用いても、「表現すること」それ自体が、ONとOFFの世界を用いて解釈しているのだから、不可能である。ONとOFFを離れた世界は人間の脳が作り上げた「正しくない認識」にすぎない。「考えられないもの」を想像し、それを真実だとすることも、誤った認識にすぎない。

*目の前に見えている「現象」が真実なのか?

無知(=無明,avidhyA)を原因として生まれ、身体を有し(=有身見,satkAyadRSti)、脳で考えている(=戯論,prapaJca)我々人間にとって、真実とは目の前の「現象」以外にはないだろう。
コトバを話し、論理を組み立て、「現象」世界を人間の都合の良いように構築するのが、人間の性(さが)である。
当たり前の「世間の」真実にしたがっていくしかないだろう。だからわれわれは物体の動き、数字の性質など、「現象」が示す道理にしたがって生きているのである。
「現象」に名前を付けずに、「ありのまま、概念のフィルターを取り除いて」見ることができるのが、仏陀の見方であろう。そこには超能力もなければ、この世界と違う世界があるわけでもない。そこに至るまでに、いったいどのくらいの概念を否定しなければならないだろうか。真にあたりまえの、ありのままの世界に生きるためには、どのくらいの妄想を離れなければならないだろうか。私たちの頭が分厚い概念のネットワークで占められている限り、そこには決して至れない。
「あたりまえの世界」を否定して、変な世界を作り上げると、人間というものがどれだけ悲惨なことになるか、いろいろな事例で私たちは知っている。
最後に行き着くのが「現実」である。それと向かい合うしかない。

*「戯論」(prapañca)をやめる

大乗仏教において起こった、これらの論は一般には「中観哲学」などと言われています。しかし、内容をよく読んでみると、実は「哲学」を徹底的に否定し去る(というよりは「概念」が成立しない地点まで、考える人を導く)ための論であることがわかります。つまり、大雑把に言えば「哲学なんかやっても、何の意味もないからやめろ。もしそれが理解できないなら、筋道をたててよく分析し、納得してみなさい」と言っているのです。「概念」を使っていろいろ考えると、巨大な「概念」のネットワークができてくる。それを「思想」だとか「哲学」などと言って、人々はありがたがるわけです。

実際のところ、それらは「存在しないもの」です。人間の頭がこしらえた、夢の世界にしかすぎない。たとえそれが神であろうが、科学であろうが、数学であろうが、同じです。そういうものでは決して本当に幸せにもなれないし、安心を得ることもできない、と言っているのです。
かえってそういうものは「現実」を歪んでとらえることにつながったり、挙げ句の果ては他人をも巻き込んで、戦争や闘争を起こすことにもなる。それは、人間の歴史のなかで何度もくりかえし、くりかえししながら起こり、人々を地獄の苦しみに陥れ、今現在まで、続いてきているんです。それでも人は「概念」を捨てようとはしません。「概念」こそ、あらゆる苦しみの根元なのにもかかわらず、です。

「人間が頭の中で作った理論」や「哲学」を否定することを「戯論をやめる」という。仏教から見ると「概念」のネットワークは、それを支えている一番の基盤が成り立たないので、成立できない。
「概念」ネットワークが完全に壊れてしまった後に残るのは、目の前の「ほんとうに当たり前のこと」です。
「ごく当たり前に生きていくのが良い」とは、ほんとうに名言だと思う。

私たちは、それを素直に受け入れる以外に、いったい何を求める必要があるんでしょう?

「コトバ」は”本当のこと”そのものを表しはしません。仏陀はたくさんの「コトバ」を残されました。それが「コトバ」である以上、やはり限界があります。しかしながら、仏陀の示された「コトバ」の先には、なんらかの現象があったことは間違いありません。そうでなければ、仏教が何千年もの間、存続するはずがありません。それはこの世界の「道理」であり、「法則」でした。それは今も変化していません。しかし、いかに「コトバ」を尽くしても、それそのものを表現することはできないのです。しかも「コトバ」は時代時代で意味を変え、数千年前の「コトバ」がいったい何を表していたのか、たしかにそうだと断定することは不可能なのです。それを安易に断定することは、危険な行いです。まったく間違ったことを、真実だと思い込むことにつながるからです。ここに書いている「コトバ」も言うまでもありません。およそ「コトバ」というものは信用できないものなのです。

この世界の「道理」を知るためには、おのおのの人が苦しみ、悩みながら、自覚して体得する以外に、方法は無いように思います。
仏陀は道を示されただけです。それを歩むのは、私たち自身ではないでしょうか。それを鵜呑みにする必要もありません。一番愚かな行為は、自分で考えることを放棄して、人の「コトバ」の言いなりになることです。よく納得しなければなりません。自分自身が体験しなければなりません。だれも、あなたを救ってくれないのです。

この『中観荘厳論』が一番言いたいことは、この「戯論をやめる」ということに他なりません。奇特な方がおられて、もしこんなものを読んでくださる方がおられたとしたら、ぜひそこを忘れないようにしていただきたい。

*ここにアップした論文について

20年ほど前に書いた文です。書いた当時は「目の前の現象をしっかり認識して、あやしいものには惑わされない」というしっかりした主張を持っている、インド仏教哲学の最高の論に接し、驚きを感じました。こんな深い洞察を、読んだことがありませんでした。原文で読んでみようと思い、チベット語やサンスクリットを必死で勉強しました。後期インド仏教になると、仏教はだんだん怪しい方向に行ってしまい、結果、土着のヒンドゥー教やイスラム教とごちゃ混ぜになってしまいました。それをどうこう言うつもりはないですが、インドに昔からの仏教はほとんどなくなってしまいました。吸収されてしまったのです。最近の研究によれば、このインド論理哲学の隆盛自体が、イスラム教徒がインドに持ち込んだアリストテレス流の論理学に触発された結果ではないか?とも言われています。だとすると、この時代の仏教徒はイスラムとの論争の中で、アリストテレス流の論理学を知っていて、それを自分たちの論理の中にも取り入れたのではないか、ということもできます。それはともあれ、昔からのインド仏教の流れは、今は東南アジアや中国、チベットに残るだけとなってしまいました。日本にももちろんありますが、中国仏教の移植です。中国仏教はインド仏教を中国的にした仏教です。だからといって、まったく価値がないわけではなく、良い意味でより深化され、洗練された仏教だと思います。ただ最近できた新宗教はいけない。学問の伝統が無いために、まるでデタラメです。仏教の本筋を大きく外れています。まるで「教祖」に金を貢ぐための「詐欺集団」です。こういう宗教のために、しっかりと伝統を持っている宗教が衰退しています。本当に悲しいことです。伝統ある宗教は長年の経験から、超能力や祟りなどが嘘であることを、しっかり知っています。今の新宗教には「論理」がありませんね。だから「目の前の当たり前の現実からスタートしなければならないのだ」ということがわかっていないひとが多すぎます。それでも「他人を救済する」などと言っています。自分さえ仏教の教えをよくわかっていないのに、どうして他人を救うことなどできるでしょうか?人を救うにはどれだけの修行や学問の積み重ねが必要なのか、これらの人々はわかっているのでしょうか?「私は人を救える(=ブッダに成る)」なんて言うことは私にはとてもできません。たとえ何万回生まれ変わっても、無理ですね。それほど、「仏に成る」ことは難事中の難事です。ブッダでもないのに、ブッダであるなどという、非常に正しくないことを言えば、嘘をついていることになります。そのような大きな嘘をついて、他人を迷わせて地獄に連れて行く罪の報いは、必ず嘘をついた本人にかかってきます。因果の道理は確実なのですから。恐ろしいことです。それはともかく、インドにもともとあった仏教が、ヒンドゥー教やイスラム教に吸収されたのは、結局、仏教に「仏教を守る論理」の伝統がなくなった結果だと思いますね。「護法の論理」がないと、他の宗教に対し、自らの立場をきちんと説明できませんから。後期のインド仏教の初期に書かれたのが、この文でテーマとして取り上げた『中観荘厳論』でした。これはnAgArjuna(日本では竜樹と呼ばれていますが)の(西洋古典論理学的な)論理を深く理解し、インドの論理学も完全にマスターしていた天才シャーンタラクシタが、「仏教の中観思想」の一番大事なところを、詳しく説明した論文です。「中観思想」は、仏教の一番のエッセンスの部分を研究した人々が研究してきました。それはブッダの教えを長年に渡り研究してきた結果たどり着いた、究極とも言える見解です。大変に難解です。若気の至りで、このような甚深な教えに取り組んだことは、良かれ悪しかれ、私のこの後の人生に大きな影響を与えてしまいました。今から考えたら、やめておけばよかったかな、と思うこと頻りです。私の実力をはるかにはるかに超えています。とてもおよびもつかないような、思考の究極です。私はそのうちの「二真理説(二諦説)」に的を絞って論じようとしましたが、前提知識の紹介だけで終わってしまったような気がしています。当然といえば当然ですが。時間があれば、適宜書き直ししていこうかなあ、なんて思っていますが。ちょっと無理かなあ。若い頃の誤解が、かなりの頻度で入っていますね。しかしながら「目の前の現実をしっかり見ていこう」という結論は、今でも間違っていないと思います。ナーガールジュナやシャーンタラクシタは、結局のところ論理における「ゼロ」をしっかり説いたんではないか、と思いました。そこには怪しげなものなど一切ありません。ほんとうに何もないのです。空間すら、時間すら、そして思考も。そしてその「考えられない」ものは現実に目の前にしっかり見えています。そこに何を付加しますか?どんな想像を付け加えますか?だとすれば、至極当たり前の世界を、極々当たり前にやっていく以外に、ないではないですか?他人はいい加減なことを言って、あなたを騙すかもしれない。しかし、自分の目を信じてください。何を拠り所とするというのでしょうか?普通に「言葉で」考えられる領域は、ここまでです。シャーンタラクシタは、この先の領域として「密教(=タントリズム)」を想定していた、と思います。これについては、本文の中でも少し触れています。シャーンタラクシタの思想史的な前提として、密教を想定することは、自然な流れだと思います。弟子のカマラシーラに関しては実際に『大日経』の影響も見受けられます。密教は純粋なる「体験」の世界であり、実践の世界なので安易に立ち入るべき領域ではないです。密教の経典は高度な「体験の象徴」で体系づけられているため、実際の体験がない場合、決して文字通りに受け取ってはならないです。これを理解するには師匠による厳密な「師資相承」が必要です。直接ブッダの世界を体験するわけですから、当然のことでしょう。密教を勝手に解釈することは、例えば暗号を知らない人間が、謎の文字列を見るようなものです。それを解釈しようとしても、決して正しい理解には至らないでしょう。厳に慎まなければなりません。


*ここに書いてあるもののソースのコピー、引用は、好きなだけやって下さい。
ただし、注記、付論の公開はしません。注記は、コピーされる方自ら、自分で図書館に行き、調べてください。全て、該当する場所が見つかるでしょう。実際に調べたんですから、当たり前といえば当たり前ですが。研究とは、自分で調べることです。人に調べてもらったものでは、身に付きません。なので「あえて」注は載せてありません。間違いを発見することがあるかもしれません。その場合は、あなたなりの反論を考えて下さい。それが学問であり、勉強です。こんな拙い文章を公開しているのも、少しでも「仏教学」が続いてくれ、との願いからです(国立大学法人ではこの分野の講座がなくなってしまうでしょう。とても残念なことですが)。よろしく、お願いします。付論の公開をしないのは、十分に訳せていないのもありますが、まだ十分に理解していないからです。仏教の中観思想を理解するのは、並大抵では出来ません。「空」をNothingやNullや、単に「無いこと」「無」であると理解し、虚無思想と同じだ、と理解しては、けっしてなりません。「空」とは、0でもないし、全てを否定することでもありません。一番ひどい誤解がこの「空」を「無」であると理解することです。ツォンカパがたびたび自著で繰り返すように、これは地獄に真っ逆さまに落ちる理解の仕方ですので、くれぐれもご注意ください。「空」とは、この世の中の現実そのものです。決して「存在しないもの」ではありません。普通に存在しているもの、です。そして現実からは逃げられません。ここまで考えられるようになるまで、何年かかったでしょうか。今までは、仏教とは、被救済思想である、と考えてきました。知らず知らず、「虚無の深淵」に落ち込んでいたのです。でも、仏教は「自ら助けるものを救う」宗教です。「自分の足で、立てるようになるため」の教えです。だから釈迦も言います。「自らをよりどころとせよ。法をよりどころとせよ」と。西洋論理学との単純比較は、僕の書いた論文でもやっていますが、現時点で考えてみると、やっぱり間違いであったと思います。仏教は「修道」することによって、いろいろ考え方がかわりますから、普遍的真理を概念の中に求める「西洋的」知識のあり方と、「修道」によって、概念が変化していくあり方は、全く違います。「西洋的」ものの捉え方の最大の弱点は「不変の概念」です。数やコトバは、決して変化しないものである、という前提の元で、議論が進められていくのですから、「西洋的」学問では、たぶん仏教の真意はつかみとれません。仏教では、禅定をおさめたり、思索や修道の中で、伝えられる言葉の意味が変化してしまいます。なお仏教では、「全ての生きとし生けるものを、救済しよう」という大きな誓いを立てます。これを「発菩提心」といいますが、これが学問したりする目的なのですから、そのような姿勢で、仏教というものを考えないと、とんだ知識遊戯で終わってしまいます。極端に言えば「仏教学」が、正しく文献を読むこととすれば、そのためには修行が必要だ、ということになります。修行が進まなければ、意味の分からない言葉が、沢山出てきます。いわゆる「仏教論理学」においてもそうで、西洋論理学とは、全く違う学問大系だと、最近特に思うようになりました。古典サンスクリットを、「文献として」研究する、というのが文献研究の基本姿勢とすれば、それと宗教としての「仏教」とは、かなり違います。「仏教学」を勉強する意味があるとすれば、「いろいろな観点から物事を観察するのに役に立つ」と言うことでしょうか。一面的な見方は原理主義的になりやすく、危険です。たくさんいろいろなものを知る、ということで、より寛容なものの見方が出来るようになってくるのではないか、と思います。

*欧米のインド仏教の研究レベルはすごいです

日本の国立大学法人では、インドや仏教関係の講座がなくなりつつあります。代わりに情報系や医療系など、すぐに使える分野の講座が増えてきました。これに反し、アメリカなどでは東洋思想系の講座が増えているということです。日本の国の考え方の主流は、すぐに役に立たない学問は、必要ないという考え方なのでしょう。日本は小さな国ですから、背に腹は変えられないという事情も十分に理解できますが。しかし、日本の情報系の知識がインド人に敵うはずがありません。ぜんぜんレベルが違います。彼らはアメリカの大手のソフトウエア企業に行けばたくさんいます。日本にも最近は見かけるようになったでしょう。仏教の研究についても、同じだと思います。昔は日本の仏教学のレベルは世界一だと言われていましたが、今では遠く及ばないぐらいに離れてしまっています。やはり日本人が教育できちんと英語を教えず、論理学も教えてこなかったのが原因です。これからインド仏教を本気で勉強したいなら、海外へ留学するしかありません。そして向こうで教鞭を取るぐらいの覚悟で臨まなければならないと思います。アメリカの仏教学のレベルは、亡命チベット人の多くがアメリカにいる影響もあり、非常に高いです。


*おすすめの本

インド論理学が初めて、という方におすすめです。ただし、西洋論理学と比較している部分は、必ずしも正しいとは言えません。そもそも「インドに論理学があるのかどうか」ということが議論されていたこともあるのですから。

この本が素晴らしいのは、これだけ古い本にも関わらす、「訳が分かりやすい」(内容は超難しいですが)ということです。ツォンカパの『道次第広論』の観の章の完訳なのですが、およそチベット仏教をやろうとする人は、必ず読むべきです。インド後期の仏教の研究のためには、ツォンカパはさけて通れない道です。

インド論理学の論文集です。最近再販された様ですね。インド論理学を知りたい人向けですが、かなり専門的かも。